私たちは、煙草を吸っていない。
世の中には「愛煙家」という言葉がある。
愛煙家ーー。ほかに同じニュアンスのもので、愛国家や愛妻家などが挙げられるが、生まれ育った祖国や生涯を誓い合った妻に伍して語られるのだから、煙草の魅力はよっぽどだろう。
ところで、すっかり秋である。
この季節は快い。やれ食だ、読書だ、運動だ、芸術だと、秋ってのは短さに託けて何でもやらせたがる。日中の陽の光は、水圧の弱いシャワーのように優しいし、色づいてくる紅葉なんてのも風情があって良かろう。
また、この頃の哀愁なんてのは煙草としっぽり相性が良い。愛煙家たちにとっても、ヒジョーに乙な一服となりやすい季節であると言える。
さてさて私はというと、出張の秋ということで大好きな北陸に来ているのだが、いま、現在進行形で大雨と雷にお見舞いされている。
猛烈である。暴風雷雨である。私の思い描く秋に、こんな過酷なシーンは無い。あと、この時期のイレギュラーな北陸をナメていた。すこぶる寒い。図らずしも「おーたむっ(おー寒っ)」なんて口に漏らすは秋の仕業。よぉっ!なんてーー
言っとる場合ではない。辛い。先輩との待ち合わせ場所である駅前のレンタカー屋に早く着いた私は、ここぞとばかりに目を一服キメ込んでいるワケだが、頭上に屋根代わりの螺旋階段こそあれど横殴りの雨が、今私を毎分毎秒とてつもない勢いで襲っている。ノーガード、タコ殴りである。
火ひとつ付けるにも苦心を払い、絶対に消えてくれるなよ…!と、必死に雨風の盾となり火種を庇う私。グッショリと濡れ震え滴りしながら、我関せずといった面持ちでゆったり立ちのぼる紫煙を見つめていると、ふとメタに立ち返って疑念が湧いてくる。
なんでこんな思いしてまで煙草吸っとんだ…?
素朴な疑問だった。なぜ私がキミを守っている。キミが私を守りなさい。知らんかもしれんが、ここんところキミ評判悪いぞ。令和に入って特段、もう街の端っこにギュウギュウに追いやられて、アレはもう糾弾だ。キミといると私まで憚られてかなわんよ。いや、臭う。かなり臭うぞキミ。昨日風呂入ったか?
良し悪しのシーソーゲームは、ひとたび傾くと一気に崩れる。急に芋づる式に不満が湧き出る様は、まるで恋愛のようだ。ですよね?桜井さん(彼は勇敢な嫌煙家である)
このように朝から大変忙しいワケだが、ふと車道を挟んだ向かいの軒下にも、まったく同じ境遇の女がいることに気づく。
スレンダーな身体のラインを強調するタイトなスカート。インナーニットの上に羽織る大きめのジャケット。顔立ちはさながら『あぶない刑事』の浅野温子で、歳は20代前半ってところか。余談だが、私は『101回目のプロポーズ』の30歳前後の浅野温子が好きだ。知らん!
ありゃピースだな。乱視の目を凝らして銘柄を把握したところで、はて、なぜ彼女は煙草を吸っているのだろうかと思う。若いのに。
突然だが、煙草を吸う女は、真のオンナである。
なぜなら喫煙の動機なんてのは十中八九、過去の男の影響であるからだ。
どれだけ突っ張っていても、笑いに全振りしていても、高嶺の花を気取っていても、愛してしまった男の影響をダイレクトに受け取ってしまう健気さ、語られることのない哀愁の奥行きには、いつだって物語が潜んでいる。処女を気取ったヤリマンとは比にならん、心惹かれるのも当然だろう。
なるほど、年齢など関係ない。
彼女(浅野温子)はもう立派な愛煙家である。(ソウナノ?)
ここで、もうひとり注目したい人物がいる。
目の前にある車道に沿ってまっすぐ行くと、突き当たりに駅前の商店街が見える。そこにも一名、この大雨の中で煙草を嗜む男の姿がある。正直なところ、100mは先なので断定しづらいが、雰囲気は中条静夫。赤いシリーズの『赤い衝撃』で、山口百恵の並びで見かけた気がしなくもない風貌だ。
そして、私の願望込みだが、赤マルかショッポを吸っている。なぜ彼は煙草を吸っているのだろうか。
男ってのは大概、手軽なワルへの憧れやハードボイルドへの導きだろう。影響は察するに、『とんぼ』の長渕剛か『探偵物語』の松田優作のどちらかだ。二極化を極める、例外はない。(カレーの食い方と“Vespa”の乗り方も熱い議論があるだろうが、また別の機会に)
つまり、ロマンである。人の心を映している。
なるほど、人類もれなく咥えタバコで生まれてくることはない。
彼は(中条静夫)は、立派な愛煙家なのである。
とまぁ後半かなり年表が拗れたが、改めて令和である。まさしく“煙たがられる”時代に、なぜわざわざ愛煙を嗜むのか。この疑問は、私と浅野温子、中条静夫を通じて、すべての愛煙家たちへと向く。
……いや、そもそも私たちは煙草を吸っているのだろうか?
なんというか、禁煙に意思は存在するが、喫煙に意思が感じられない。むしろごく自然に、導かれるまま、吸わされているだけのように思う。
私は、今一度自らに立ち返り、手元の煙草をよく観察してみた。大雨の中で。
黙々と、火種から立ちのぼり
風の気まぐれにカタチを変えては
静かに消えてゆく。
もし空気中に溶けなければ、
真夏の入道雲のようにモクモクと、
心踊る輪郭でも帯びたのだろうか。
顔前を揺らぐ紫煙たちは、
世の森羅万象が諸行無常であることを
そっと諭してくる。
仏教の無常観におけるーー
「形あるものは、やがて滅する」という真理を
いつも静かに映し続けているようだ。
なるほど、これが心との対話というやつだろう。“友蔵 心の俳句”ばりに差し込まれた私のポエムが、すべてを教えてくれた。
まず、喫煙という行為は、現代においてカタルシスを孕んだ日常へと相成っているということだ。そして、導かれるまま“煙草”に吸わされているだけなのだ。自分の意思など皆無なのである。
もうひとつ、嫌煙家諸君にお伝えしておきたい。ここが重要だ。私たちは、煙草を通じて“禅の境地”にたどり着いたのであって、やめようと思えばいつでもやめられる。今はただ、自分なんて無い(無我)を粛々と受け入れているのである。
ふと顔を上げると、中条静夫はいなくなっていて、浅野温子はちょうど駅へと向かっていくところだった。少しだけ雨風が弱まっている。ありがとう。その背中を見送っていると、入れ替わるように先輩がやってくるのが見えた。
「おはよー。もう煙草吸った?」
「いや、吸ってないです。多分吸わされてました。」
「なんだそれ。笑 じゃあオレも。」
愛煙家ーー
それは煙草をこよなく愛する者たちの愛称ではなく、煙草に愛されてしまった者たちの末路だ。
私たちは、煙草を吸っていない。
喝采。
イラスト: タカハシトモヤ
P.S.
2019年公開のドキュメンタリー映画『NO SMOKING』にて、日本音楽界の至宝、細野晴臣は煙草への質問に対して、こう答えている。
D:煙草って必要ですか?
細:必要ですね。
D:音楽的にも必要なかんじがしますか?
細:必要です。
D:それは理由を伺っても大丈夫ですか?
細:煙のくゆる。燻らせる。っていうのは音楽的なんですよね。音楽を燻らせる。という気持ちでやってますから。
私も今後、一言一句間違えずに言おうと思う。なんと聞かれても、そう言おうと思う。

