【ニッポンの世界史】#40 世界史は、なぜ必修化されたのか?(その1) 世界史離れ・林健太郎・中曽根康弘
「社会科」とは何か?
現在、高校には「社会科」という科目はない。
教育関係者や大学受験経験者などであれば、「あたりまえじゃないか」「地歴公民科(地理歴史科と公民科)」というんだということはご存知だろう。
だが、一般的な常識かと言われれば、そうではないだろう。
この連載の第2回で見たように、高校に社会科があった時期もあった。1951年に示された学習指導要領(試案)から、1989年告示(1994年度入学者より適用)の学習指導要領までの時期だ。
1951年試案のまえがきでは「社会科」について次のように述べられている。
「(前略)社会科は現代社会をいっそうよい社会に形成させるに必要な知識や態度・能力を養うことがその最大目的である。
(中略)
現代社会を理解して、将来に向かい有為の社会人を形成させるためには、単に、みずからをとりまく周囲の社会を知るだけではふじゅうぶんであり、時間的・空間的に視野を広げて、さまざまな異なった社会生活を学ばせなければならない。この時間的視野の立場に立って歴史を学ぶのが、社会科における歴史教育なのである。」
言うまでもなくこの背景には、戦前の教育に対する批判がある。
ただ、こうした社会科という科目を高校段階まで設けることについては、早くから批判もあった。
特に 1950年代は高校社会科を「解体」すべきだという意見も特に右派から叫ばれるようになる。
また、特に歴史学からは、学問的な系統性を持たせるべきだという意見もあがった。いわゆる「歴史独立論」だ。
「世界史離れ」
とはいえ、数次にわたる学習指導要領の改訂を経ても、「社会科」という科目の枠組みは残され続けた。
だが、注目すべき動きが1970年末から起こる。
もともと1970年告示指導要領では日本史・世界史・地理A/Bから2科目が必ず履修すべき科目(必修科目)だった。現代化カリキュラムとも呼ばれ、各科目とも学習内容が大幅に増加。受験戦争の過熱化を生んだと批判されたものだ。
それが「第一次ゆとり教育」とも言われる1979年告示指導要領では、下図の右のようになる。
必修科目は新たに新設された現代社会のみとなったのだ。

だがこの現代社会が問題を生んだ。
多くの大学は現代社会を受験科目として採用していない。にもかかわらず標準単位数は4(1週間に4コマを標準授業数とするということ)。受験を意識したカリキュラムを組む進学校は、対応に苦慮することとなった。
とはいえ受験戦争自体はなくなっていないばかりか、加熱の一途をたどっていた。理由は一概には言えないが、さまざま思惑から「世界史」は受験生から敬遠されることとなった。

「世界史離れ」は特に東北・四国・中国・九州地方で顕著だったという。『読売新聞』(1983年12月7日)によればば「大学への進学指導の締めつけ、つまり、時に本人の適性や希望を無視した徹底的な振り分けが行われていることで知られており、同時に地元国立大の入試傾向に合わせたカリキュラムを組むところが多い」ためだという。
林健太郎の社会科解体論
そんな中、1983年1月15日、第13期中央教育審議会が、特に歴史教育について「審議経過の報告」を公表した。
高等学校の社会科の科目構成の在り方を再検討すべきというものだった。
さらにその後、1985年3月15日に林健太郎参議院議員が参議院予算委員会で「社会科解体」について発言をした。
林健太郎(1913〜2004)といえば、トップシェアを誇る山川出版社の『詳説世界史』の書き手の一人、ドイツ史研究者だったが1983年6月の参院選に出馬し議員となっていた。
少し長くなるが林の質疑を抜き出そう。
……私の勝手な意見を言いますと、社会科というものは私はもう役割を終えたので、あれは解体して歴史と地理、それから道徳教育、これはまあどういう名前をつけるか自由ですが、それを私はこれからやるべきだと思っております。
それから、ついでに申しますと、私は日本の小学校なんかがもっと国語ですね、小学校一年のときから理科とかそれから社会科とか、そんないろいろ何といいますか知識をごたごた教える必要はないのであって、小学校の低学年にはこれはまず国語をしっかりやること、それから数学ですね。この国語をしっかりやるということは日本の古典をやがて読む力を養うもとになるものでありまして、もちろん小学校のときに古典を読むわけじゃありませんが。それから数学の力というのはやっぱり人間の頭の訓練の非常に根本になるものであります。そういうわけで、ゆとりのある教育ということがよく言われますけれども、これは小学校では理科にしても社会科にしても、大人の常識の断片みたいなものをちょこちょこ教えたりする必要はないのであって、根本的に人間の文化の基礎になる言葉ですね、背のような読み書き、それからそろばん、そういう教育をすべきだというふうに思っておりまして、これは質問じゃなくて私の意見を言ったわけであります。
要するに、社会科から歴史や地理を独立させるといった小手先のことではなく、社会科自体を廃止し、歴史教育を重視するべきだというわけである。
国会の場において、これ以前にここまで踏み込んだ発言はない。
林の予算委員会における質疑が、その後の「社会科解体(再編)」につながると見てよいだろう。
なぜ「世界史必修化」だったのか?
結論からいえば、その後の学習指導要領改訂により高校社会科という教科枠組みは消滅することになる。
代わって、「地理歴史科」と「公民科」が生まれ、世界史(世界史AまたはB)が必修科目となった。
しかし、林の主張した歴史教育の重視は、、「世界史必修化」に帰結することになったのだろうか?
なぜ、「日本史必修化」ではなかったのだろうか?
ヒントは先ほどの質疑の続きにある「国際化」だ。
次に、私は歴史教育の必要ということを主に強調いたしましたし、それはさっき総理も愛国心とか、それから世界の中の日本人ということをおっしゃいましたけれども、現在いわゆる国際化時代、国際社会ということでありますが、国際社会であればあるほど、これはそれぞれの民族の持っているところの文化的伝統というものが非常に重視されるべきであると思います。
ちなみにこの発言の少し前では、林が「今度の教育改革に関する総理の教育理念」について、中曽根首相に問うている。
私は、一口で申し上げれば、世界的日本人、そういうことを申し上げておりますが、いよいよこの世界が非常に身近に迫ってまいりまして、交流も多いし、文明の融合ということも切実に感ぜられている今日でございますから、そういうことに耐え得るようなしっかりとした愛国心と、それから日本の歴史や伝統や日本の風土から出てきておる人間性というものを、いわゆる日本の精神文明というものをわきまえた上に立って、そして世界的に通用する堂々たる見識を持った日本人をつくっていただきたい。
林の「国際化」論は、中曽根首相の答弁では「世界的日本人」育成の必要性という話に対応する。
また、これまで見てきたように「日本の精神文明」は、日本を世界の諸文明の一つとして位置付けんとするときに使われるタームだ。この質疑の2年前には比較文明学会が設立され、伊東俊太郎らによって「日本だからこそ、世界の文明をフラットに「比較」しうるのだという積極的な意志」や、「だからこそ「世界文明」形成のイニシアティブすら発揮できるのだ」という前のめりな姿勢も披瀝されていた(「ニッポンの世界史」第38回)。
世界の大舞台、それも従来のような欧米のみならず、「第三世界」におけるビジネス展開も含めた大きなスケールで、自信をもって歴史文化を語る主体を育成すること。すなわち、いわゆる「戦後レジーム」を脱却すること。
そのためには、歴史を社会科という檻から救い出し、コンテクストを一新させる必要があるし、歴史を日本史の檻から救い出し、かつて京都学派が展開したような諸文明の興亡のなかに日本史を定位するような歴史観(「ニッポンの世界史」第10回・第11回)を構築する必要がある。
この段階ではまだ「世界史」必修化は明示されていないものの、「世界史必修化」論の起源には、一つにはそうした願望に根をもつ政治的側面があった。
しかし、だからこそというべきか、その後の議論はいっそう複雑な経過をたどることとなる。
(続く)
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