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歴史の扉Vol.10 軍歌の世界史

軍歌の多くは近代に誕生する。
一方では国民としての意識をもたせようとした国歌によって、他方では支配階級を倒そうとする革命歌として様々なものがつくられ、20世紀の総力戦の時代には商業化もされていった。
そして、いま現在「国歌」や、歌詞を代替して別の歌として歌われているものも少なくない。

戦争や革命をモチーフとする歌は、血なまぐさいテーマを意気軒昂にうたうものだけではない。悲しい心情をストレートにうたった痛切なものもある。誰がなんのために曲をつくり、どのように受容されていったのか。

ここには歴史総合の授業で、使えそうなものをピックアップしてみようと思う。




18世紀 ルール・ブリタニアとラ・マルセイエーズ


すでに1740年にはイギリスで「ルール・ブリタニア」がつくられた。おりしもオーストリア継承戦争が勃発し、ヨーロッパが戦乱に包まれようとしていたときだ。


また、1792年4月には、のちのフランスにフランス国家となる曲を、ストラスブールでルジェ・ド・リールという工兵大尉が作っている。それをマルセイユの義勇兵がパリ進軍の際に歌い広めたことから、「ラ・マルセイエーズ」と呼ばれる。
当時のフランスには、オーストリアやプロイセンの軍隊が革命を止めるために迫っており、各地から義勇兵がパリ防衛に駆けつけたのだ。



軍歌はドイツ、イタリア、アメリカへ

フランスはその後ナポレオンが現れ、幾度も勝利を重ね、ヨーロッパ各地に領土をひろげていく。

フランスの強さの裏に「軍歌」の持つ国民をまとめる力があることに気づいたのは、ナポレオンの占領を受けた隣国ドイツだった。

エルンスト・モーリッツ・アルントが1813年に「ドイツ人の祖国とは何か」を作詞。これに曲がつけられ、軍歌として歌われるようになった。


その一年後、やはりナポレオン戦争中にアメリカ合衆国で、のちの国歌が生まれた。
第二次独立戦争ともよばれる米英戦争(1812〜1814)の中で作られた「星条旗」という歌だ。


ナポレオン戦争後のヨーロッパでは、革命とナショナリズムの動きをおさえる保守的な体制(ウィーン体制)が生まれた。


しかし、それに抗う動きが各地で噴出。革命とナショナリズムを盛り上げるための軍歌はその後も次々に作られていく。

たとえば「ラインへ、ドイツのラインへ/大河の守護者たらんとする物は誰だ」と歌う「ラインの護り」(1840年)、「ドイツ人の歌」(1841年)。


さらに、統一運動の盛り上がっていたイタリアでも、ゴッフレード・マメーリが「イタリアの兄弟よ」(1847年)を手掛けた。これは第二次世界大戦後にイタリア国歌となるものだ。


イタリア王国の成立した1861年、アメリカ合衆国では南北戦争がはじまった。
このとき北軍の行進曲として歌われたのが「リパブリック讃歌」(1861年)、南軍の軍歌に「南軍の兵士」がある。


革命とインターナショナル


19世紀末には、世界各地の国家体制を武力で打倒しようとする共産主義革命が第2インターナショナル(1889年設立)に結実した。
世界各地で社会主義者や労働者の間でうたわれるようになっていくのが、パリ・コミューン(1870〜1871年)の直後にフランスでつくられた「インターナショナル」だ。

起て飢えたる者よ 今ぞ日は近し
醒めよ我が同胞(はらから) 暁(あかつき)は来ぬ
暴虐の鎖 断つ日 旗は血に燃えて
海を隔てつ我等 腕(かいな)結びゆく

いざ闘わん いざ 奮い立て いざ
あぁ インターナショナル 我等がもの
いざ闘わん いざ 奮い立て いざ
あぁ インターナショナル 我等がもの

聞け我等が雄たけび 天地轟(とどろ)きて
屍(かばね)越ゆる我が旗 行く手を守る
圧制の壁破りて 固き我が腕(かいな)
今ぞ高く掲げん 我が勝利の旗

いざ闘わん いざ 奮い立て いざ
あぁ インターナショナル 我等がもの
いざ闘わん いざ 奮い立て いざ
あぁ インターナショナル 我等がもの

訳詞:佐々木孝丸/佐野碩、世界の童謡・民謡、https://www.worldfolksong.com/national-anthem/internationale.html


軍歌を取り入れるアジア諸国


ヨーロッパによる植民地化を避けるため、アジア諸国はヨーロッパの諸制度に学び、近代化を目指そうとした。
その一つが、ヨーロッパの軍楽隊や国歌の制度である。

日本最初の軍歌は「抜刀隊」(作詞1882年)といわれる。作詞者の外山正一は、幕末にイギリスに留学し、維新後はアメリカに留学し、東京大学教授に就任したエリートだ。

西南戦争(1877年)をモチーフに、西洋式の軍歌を導入しようとしたもので、甲申事変(1884年)で日清間に暗雲の立ち込める中、1885年に陸軍楽隊のフランス人シャルル・ルルーにより曲がつけられた。のちに陸軍分列行進曲に編曲された。実は現在の陸上自衛隊においても使用されている。歌を通して、戦前と戦後は連続しているのだ。


1894年に日清戦争がおきる2年前、中国をかつての「元」になぞらえた軍歌が多くつくられた。
そのうちのひとつが「元寇」(1892年、作詞作曲:永井建子)である。

歌詞(3・4番は略)
1番
四百余洲(しひゃくよしゅう)を挙(こぞ)る
十万余騎(じゅうまんよき)の敵
国難ここに見る
弘安四年夏の頃
なんぞ怖れんわれに
鎌倉男児あり
正義武断(ぶだん)の名
一喝(いっかつ)して世に示す
2番
多々良(たたら)浜辺の戎夷(えみし)
そは何 蒙古勢(もうこぜい)
傲慢 無礼者
倶(とも)に天を戴(いただ)かず
いでや進みて忠義に
鍛えし我が腕(かいな)
ここぞ国のため
日本刀を試し見ん

なお、日清戦争と日露戦争の間の時期につくられたのが、もっとも人口に膾炙している軍歌のひとつ「軍艦行進曲(軍艦マーチ)」だ。この曲は、第2次世界大戦下で日本の支援によって軍が創設されたいきさつから、現在のミャンマー国軍の軍歌としてうたわれている。


日清戦争に敗北し、義和団事件・日露戦争を経て、すでに落日の様相を呈していた中国の清朝でも、1906年に急ごしらえで仮国歌がつくられた。

我らは東アジアの大帝国として何千年もの間ここに居た!我らの土地の山、我らの土地の川は、文化を広める。神に恵まれた4億人、我らには大きな土地とたくさんの産物がある。黄竜徽の誇りを上げて、帝国の歌を歌おう!

出典:Wikipedia「頌竜旗」の項目、https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A0%8C%E7%AB%9C%E6%97%97



総力戦の時代へ


20世紀初頭、日本とロシアの間で日露戦争が勃発した。戦端が開かれる前より、戦意高揚のための軍歌がいくつもつくられていた。「アムール川の流血や」(1901年)や、「時宗の裔鉾取れや/秀吉の裔達佩けや/恨尽きせぬ蛮族を/屠り尽さむ時至る」とうたう「ウラルの彼方」(1904年)はその代表例だ。

一方、ロシアで戦友の死をいたんで歌われたのが「満洲の丘に立ちて」(1906年)。じつに物悲しい曲調の歌である。


初の総力戦である第一次世界大戦においても、多くの軍歌がつくられた。

大戦に先立つ1912年にイギリスでつくられた「ティペラリーの歌」は、戦場で望郷の念とともに歌われた。ほかにフランスの「マドロン」(1913年)もよく歌われた。楽観的な大戦初期のムードも感じられる。

ほかに、荘厳なイングランドの「エルサレム」(1916年)、アメリカが向こう側、つまりヨーロッパへの軍事介入をコミカルに歌った「オーヴァーゼア」(1917年)、フランスのヴェルダン要塞の戦いを「ここはフランスの関門」と歌った「ヴェルダンから奴らを通すな」(1917年)。

オーバーゼア 歌詞
1番
ジョニーよ銃を執れ、銃を執れ、銃を執れ。
取ったら走れ、走れ、走れ。
彼らが我らを呼ぶ声が聞こえる。
全ての自由の息子達よ。
さあ急げ、遅れるな、今日中に。
「素晴らしい息子だ」と父親を喜ばせる為に。
恋人には「恋しがるな」と伝えよう、
そして「最前線の我らを誇りに思え」と。
(繰り返し部)
「向こう側」へ、「向こう側」へ。
伝えろ、伝えろ、「向こう側」へ。
ヤンキーが来るぞ、ヤンキーが来るぞ。
どこへだろうと戦鼓を鳴らしてやってくる。
だから備えろ、さあ祈れ。
伝えろ、伝えろ、「用心せよ」と。
我らは超えてくる、海を超えてやってくる。
そしてやり遂げるまで戻りはしないのだ。
2番
ジョニーよ銃を執れ、銃を執れ、銃を執れ。
ジョニーよ、フン族に暴れっぷりを見せてやれ。
旗を掲げて翻らせて。
ヤンキードゥードゥルなら果たすか死ぬか。
装備を詰め込め、気概を見せろ、全力を尽くせ。
田舎中から集まって、ヤンキーどもは隊列を組む。
母親がお前を誇りに思うように、
そして伝統ある星条旗を誇りに思うように。
(繰り返し部)

Over there(向こう側)とは、アメリカから見た「向こう側」である大西洋のこと。

「オーバーゼア」の歌詞に見えるフン族は、4世紀末にローマ帝国に侵入したアジア系遊牧民のことだが、ここではもちろん同盟国のことだ。もっと直接的な歌としては「フン族狩り」(1918年)などという歌もある。

 
 

参考資料

音源の多くは上記にあげたように広くYouTubeを活用できる。クリアな音源は、国立国会図書館の歴史的音源(れきおん)の使い勝手がよい。館内閲覧のものもあるが、オンライン上でもかなりの音源を拾うことができる。

参考文献




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