「阿Q正伝」によせて ー"棄祖離宗"の意味ー
「阿Q正伝」とは中国文学の巨匠、
魯迅(ろじん:1881-1936)の著した中編小説。
「中国文学の金字塔」とまで謳われた本作を不惑を過ぎてなお
未だ読んだことがないというのも勿体ない話なので、
先週購入したのをようやく読み終えた次第。
「阿Q」とは「Qちゃん」というようなニュアンスで、
名前が「Q」で表されているのは
「漢字表記(本名)がわからないから」という設定。
死後に本名がわからないほど"取るに足らない最下層貧民"の目線を借りて
当時の「社会」を描き出し、迷信や旧習に捉われて現実を直視しない中国人の民族性を鋭く批判した作品です。
全体的にinterestingだったが、
その中でも特に面白かった部分
↓↓↓
ある日阿Qは村人と諍いをおこし、コテンパンにされます
(阿Qは弱っちいのです)。
その憂さ晴らしに通りすがりの尼さんの頬っぺたをつねって憂さを晴らすのですが(最低だ…)、
尼さんも黙ってはいません。
「阿Qの罰当たり!お前なんか、子孫が絶えるわ!」
この罵り言葉に阿Qは打ちのめされます。
「全くその通りだ。
子孫が絶えたら俺が死んだあと、一体誰がお供え物をしてくれるんだ?
子作りには女…女がいるんだ…女ーーー!!!」
盛りのついた猫のようになり、
同じお屋敷に勤める女中に手を出そうとして主人に見つかり、
失職するのですが…(もはやギャグ)。
この箇所で魯迅は二つの句を引用しています。
「不孝に三あり、後なきを大と為す」(孟子)
「子孫絶えたる亡魂となりて飢えん」(左伝)
阿Qのような下層民であっても自分の血統が絶えることを非常に恐れる…
この点が面白かった。
翻って日本。
江戸時代の江戸の男女比は男2:女1。
単純に考えて、男性の半分は結婚できない。
だからって彼らが
「子孫がいないと俺やべぇよ💦」
と思ったかといえば、そんなこともないような…?
むしろ「宵越しの金は持たねぇ」という
潔い江戸っ子気質が生まれたのではなかったか?
「棄祖離宗」
という言葉が紫微斗数全書には随所に登場する。
例を挙げれば
「加火忌劫空沖破,殘疾離祖刑克六親」
「在身命陷地,棄祖離宗」
などだが…。
現代の日本人の感覚だと
「あーはいはい、故郷を離れるのね~。県外の大学でも行くんか?」
くらいのシャビシャビの理解になるかもしれない。
しかし実はこれは結構重大なことなんじゃなかろうかと、
魯迅を読んで思った次第。
つまり、「棄祖」も「離宗」も
「先祖供養をしない」
ことを意味し、
これは当時の中国では"重大な規則違反"だったのではないかと思うわけ。
それは「運が悪いから」
という側面もあるかもしれないが、
「本人に責任感がないから」
という風にも捉えられないだろうか?
何を見ても何を読んでも、
結局思考はいつも斗数に結び付く。
オタクの悲しいサガですなぁ(笑)
