雇われ店長をやめ、雑貨屋オーナーへ。初めての成功体験からの…【第1のどん底③ 飛躍編】
「出てってくれって、まじか…」
──店長として働いていた雑貨屋で、突然そう告げられた。
人生は、想定外のまさかを経験して初めて、本当の力が目を覚ますのかもしれません。
借金返済のために雑貨屋で店長候補として働き始めた僕。
前回は、社長から初めて教わった「売る技術」に衝撃を受けた話を書きました。
無事に借金もほとんど返し終え、経済的には、ようやく安定を取り戻しつつありました。
けれど、どん底から立ち上がるには、もうひとつ大きな壁がありました。
借金を返すために始めた仕事が、まさか独立という形で人生を変えることになるとは、このときは思ってもいませんでした。
この話は、第1のどん底の最終章。
もし、あなたが今なにかの壁を感じているなら、この話がそのヒントになるかもしれません。
ぜひ、最後まで読んでもらえると嬉しいです。
この記事は全体の約9割を無料で公開しています。無料部分だけでも、「独立して自分の店を軌道に乗せるまで」の具体的な行動や考えを読むことができます。
店長になった雑貨屋、まさかの閉店──
雑貨屋の正式な店長となった僕は、社長の売上を超えることも珍しくなくなってました。
ところが突然──テナント契約の終了で、お店が閉店になると知らされたのです。
1ヶ月後には出ないといけないと…
「まじか…」
収入もようやく安定し始めて、やっとこれからというタイミングだったからです。
まだ働き出して、半年ほどの頃でした。
単なる契約終了ではなく、テナント会社と社長との間でなにかあったような雰囲気でした。
社長も相当困り、必死に交渉を続けていました。
けれど、その決定が覆ることは、ついになかったのです。
社長から、「他に出店できる場所を探してみてくれないか」と頼まれました。
僕にとっても、お店にとっても、まさに死活問題です。
場所は福岡。
休みの時間を使い、不動産屋を回り、街や商店街を歩き回りました。
店舗が見つかれば、そのまま社長の雑貨屋の店長として勤める予定です。
けれど、結局、店舗は見つかりませんでした…
東京で働く、焦る日々
雑貨屋の閉店が間近に迫ってきたとき、社長から電話でこう誘われました。
「東京の店を手伝ってくれないか」
そう声をかけられたのです。
社長はまだ福岡での再出店を諦めてません。
良い物件が見つかれば、再び僕に任せたいという話でもありました。
それまで東京で手伝ってほしいという内容です。
当時は、彼女との結婚が決まり、籍を入れたばかり。
そんな新婚の時期に一人で東京へ行くのは、正直気が引けました。
それでも、社長には本当にお世話になっていました。
恩を返したい──そんな気持ちもあったのです。
そして不思議と、この先の道が開けるような直感がありました。
そうして、東京で社長のお店を手伝うことになりました。
期待と不安が入り混じる、新しい日々の始まりでした。
──2ヶ月が過ぎました。
しかし、福岡での再出店は、どうやら現実的ではなさそうでした。
日が経つにつれ、福岡に妻を残したまま、このままずるずると東京にいても埒が明かない。
そう感じて、焦りが募っていきました。
けれど、焦っても状況は変わりません。
そのうち、心の奥で、ひとつの確信が芽生えていきました。
──自分でも、お店はできる。絶対にうまくいく。
5年前、初めて雑貨屋の前を通り過ぎたときの僕は、「ここはやめておこう」と立ち去ろうとしました。
でも、今は
「自分の力でお店を立ち上げてみたい。
自分でもできる!」
そう心から思っていたのです。
人は、ここまで変われるのか──
そんな自分自身に驚いていました。
「自分で店をやりたいんです。
妻と一緒に。」
僕は、これが「独立する」ということなのかと思いながら、社長にそう相談しました。
社長はまだ、僕といっしょにやりたかったはずです。
けれど、僕の状況を察して、社長は少し笑ってこう言ってくれました。
「せきさん、やってみなよ。
仕入れ先、紹介してあげるよ。」
それは本当にありがたい言葉でした。
社長には何の利益もありません。
それでも僕たち夫婦を、心から応援してくれたのです。
感謝の気持ちは、今でも忘れられません。
絶対やれる、問題は資金
自分でお店をやる──
そう決めたとき、怖さよりもワクワクのほうが圧倒的に勝っていました。
振り返れば、ここが最初の成功体験の始まりでした。
自分でお店をやってみたい。
その思いは日を追うごとに強くなっていきました。
雑貨店で働いた8ヶ月で、僕は売れるスキルや感覚を、確実に掴んだ実感がありました。
自分の手で売上を作れるという実感がそこにはあったのです。
どんな声かけをすれば、商品に手が伸びるか。
どんな商品を置けばお客さんが立ち止まるか。
そして、どんな工夫をすれば、まとめ買いをしてもらえるか。
お客さんの流れや購入のタイミングまで、頭と体が覚えていました。
「絶対やれる」──そう確信していました。
最初の壁は、やっぱりお金
ただ、問題はお金でした。
僕は現実を計算しました。
お店を出すには、まずは物件取得費・内装工事・什器・仕入れ・看板・広告などの初期費用がかかります。
さらに、毎月必ずかかる家賃や光熱費などのランニングコストも考えなければいけません。
それを見越して、数ヶ月分の運転資金も用意する必要がありました。
どん底から這い上がったばかりの僕には、もう妻もいた。
今回の失敗は絶対に許されない。
だから、リスクを最小限に抑えることを考えました。
そのために──小さなお店で家賃を抑える。
在庫は最低限にする。軌道に乗るまでは人を雇わない。
それでも、初期費用が最低でも300万円は必要でした。
この頃には借金はすべて返し終えていました。
だけど、貯金はほとんどありませんでした。
それでも、「どうにかなる」と自分に言い聞かせていました。
古い商店街に小さなお店を持つ
早くお店を始めたい一心で、雑貨屋の場所を探し始めました。
目をつけていたのは、人通りの多い人気の商店街。
けれど、前に探したときと同じように、空き店舗はひとつも見つからなかった。
ようやく見つけたのは、古い商店街の小さな空き店舗でした。
人通りは、夕方を除くといまひとつ。
広さは10坪も満たない。
けれど、その場所が、僕たち夫婦の新しい人生のスタート地点になりました。
本当はもっと条件のいい場所を狙いたかった。
けれど、今は一刻も早く始める必要がある。
収入のない日々を、これ以上長引かせるわけにはいかなかった。
場所は決めた。けれど、資金がない──。
すると、そんな僕を見て、義父が300万円を貸してくれることになったのです。
信じられませんでした。
籍を入れたばかりの当時の僕は、借金まみれから這い上がったばかりの、何の実績もない若者。
まるで、道端に生える雑草のような存在でした。
ただ、絶対に成功するというマインドだけは強く持っていました。
そんな僕に期待を込め、300万円を託してくれた。
もっと貸せるという様子でしたが、僕にはそれで十分でした。
「このお金は必ずすぐに返す。そして絶対に成功する」と、心に誓いました。
ゼロから店を形にしていく
自分のお店を持つ。
その響きだけで、胸が熱くなる。
それは初めての経験。空っぽの空間からお店を作り上げていくのは、ワクワクしかありませんでした。
すべて自分の思い通りにできる──そんなお店を持てることが、僕には究極の贅沢に思えました。
内装工事はすべて自分で行い、棚も作った。
看板やロゴ、キャラクターのデザインも自分で手がけ、印刷業者に発注。
ガラスケースの什器はリースにし、チラシはコピー屋で安く刷った。
在庫は最小限に抑えた。
できる限りの工夫をして、初期費用を抑えました。
それでも、運転資金はほとんど残っていませんでした。
本当に、ギリギリでのスタートでした。
でも、不思議と怖くなかった。
むしろ、いよいよ本番だという高揚感に包まれていたのです。
オープン初日、甘くない現実
こうして、古い商店街の一角に、自分の雑貨屋を構えることになりました。
オープンからの1週間が勝負。
まさに、人生をかけるような気持ちで準備を進めました。
オープン初日。
徹夜で迎えました。
朝のシャッターを開ける音が、やけに大きく響く。
ワゴンを出し、商品を並べる。
人通りはまばら。静かに音楽を流す。
行列こそできなかったものの、すぐにパラパラとお客さんが入ってきました。
「ここからだ。」
静かなスタートでした。
以前働いていた雑貨屋とは比べものにならないほど、静かでした。
売上は、想定を少し下回りました。
二日目も、三日目も──
一週間経っても同じ。
「思ったより厳しいな…」
けれど、誰のせいにもできない。
すべて自分の選択です。
収支はマイナスにはならないものの、生活費をまかなえるかどうかというギリギリのラインでした。
できることは、全部やってみる
でも、それも想定のうち。
まずは店舗を出してみないとわからない。
そう思って、気持ちは前を向いていました。
「次の手を考えよう。」
立ち止まっている時間はない。
配ったチラシの反応も、ほとんどなかった。
それなら、自分たちの力で広げるしかない。
同じ商店街にあるお店で買い物をして、挨拶まわりを続けました。
そして、チラシを配りながら、お店の存在を知ってもらう努力を続けました。
また、お店が狭いので、少しでもお客さんが入りやすいように、僕ら自身がお客さんのフリをして店頭に立ちました。
試してみると、妻の方が圧倒的にお客さんを呼び込むことができました。
小さなことでも、できることはやり続けました。
それでも、1ヶ月たった時点での売上は、生活ギリギリ。
まさに綱渡りのような日々。
このままでは、2ヶ月目以降はさらに厳しくなる──。
そう感じた僕は、危機感を強く持ちました。
迷ってる時間なんてない。
だったら、動くしかない。
待つより、攻める行動
1ヶ月の売上を見て、僕はすでに2店舗目を考えていました。
早すぎるかもしれない──
それでも、僕は“待つ”より“攻める”を選びました。
ただ、2店舗目をオープンする資金なんてありません。
それでも、店舗を持っていることで融資が受けられるかもしれない──
わずかな望みに賭けました。
その可能性を信じて、すぐに動き出しました。
不動産屋をまわったり、テナント募集の張り紙を片っ端からチェックしたりしました。
すると、信じられないことに、僕にとって理想の場所でテナント募集が出ていたのです。
それはなんと──
かつて僕が店長として働いていた、あの雑貨屋と同じ場所。
あの店が閉店したあと、運営会社が変わり、新たにテナントの募集を開始していたのです。
運命的なタイミングでした。
まるで、僕のために再び舞台が整ったかのようでした。
「ここしかない。しかも今すぐにだ。」
お客さんの層も、動線も、売れ筋も、すべて頭に入っている。
しかも、仕入れや陳列の感覚までも、体が覚えていた。
迷いは一切ない。
僕はすぐに担当者に連絡し、会いに行きました。
たとえテナント料の条件が多少悪くても構わない。
申し込む覚悟は決まっていました。
「このチャンスは絶対につかむ。」
勢いの裏で、資金はいつもギリギリ
契約を申し込んだ結果、念願の出店が決まりました。
お店の場所も希望が通りました。
まさに、タイミングの勝利。
もう少し遅れていたら、別の人に取られていたでしょう。
独立2ヶ月目で、まさかの2店舗目オープンです。
しかも、今度の場所は自分にとって戦い慣れたホーム。
そのときの僕には、成功が約束されたように思えました。
資金はほとんどなかったので、2店舗目は融資を受けるつもりでした。
しかし話がとんとん拍子に進み、オープンまで時間がなくなってしまったのです。
売上の現金さえあれば仕入れはできる。
とにかく、形だけでもオープンさせる。
それが最優先。
什器はリース契約の後払い。
陳列する商品だけは十分に揃え、在庫はほぼ持たない──
そう決めました。
そして、なんとか最小限の費用でオープンまでこぎつけたのです。
2店舗目が一気に流れを変えた
ついに、2店舗目のオープン初日を迎えました。
ほんの数ヶ月前には雇われ店長だった僕が、いまはオーナーとして同じ場所に立っている。
その瞬間、胸の奥が熱くなりました。
新しい景色の中に、懐かしさが入り混じった感覚。
気合は十分にみなぎっていました。
妻と僕、そしてアルバイト1名。
3人でこの日を迎えました。
開店と同時に、お客さんが次々と押し寄せてきました。
1店舗目とは明らかに違う──
勢いのある初動でした。
「これこれ。」
昔の感覚が、はっきりと戻ってきました。
店の空気が一気に熱を帯びる。
まとめ買いが続き、レジが追いつかない。
他店にいたお客さんも気になって寄ってきました。
まさに大繁盛。
まるで、かつて店長として働いていたあの雑貨屋での、初出勤の日を再現しているようでした。
嵐のような1日が終わりました。
もちろん、初日の売上は僕の店として過去最高を記録しました。
その後も、売上は伸びていきました。
経営も順調に軌道に乗っていきました。
バッグはこれをこの数、アクセサリーはこれをこの数──。
動く商品を的確に仕入れて、ムダな在庫を出さない。
妻の品定めのセンスも、驚くほど的中していました。
借金地獄から、2年足らずでたどり着いた場所
2店舗目が波に乗ると、すべてが動き始めました。
義父から借りた300万円を、わずか2ヶ月で完済しました。
そこからの勢いは止まりませんでした。
仕入れもスタッフも増え、気づけば想像もしていなかったほどの売上が動いていました。
そして、年商6,500万円、利益2,400万円を叩き出すことができたのです。
成功を目指して走り始めたのは24歳。
当時の目標は、まず月収100万円、そして年収1000万円でした。
しかし、成果が出ないまま──
5年後には借金地獄のどん底にいました。
そこから2年足らずで這い上がり、ひとつの目標を達成することができました。
家賃が払えず退去勧告を受けた、あの狭い古びたアパートの一室から、念願の新居、マンション最上階へと引っ越すことができました。
僕にとって信じられないほどのスピードと変化でした。
成功体験の直後の決断
起業してから初めてつかんだ明らかな成功体験。
誰かの会社でも、誰かの責任の上でもなく、僕と妻が作り上げた店から出した成果。
そして、義父をはじめ、一緒に働いてくれた人々、そして僕を育ててくれた雑貨屋の社長のおかげです。
人生で初めて、報われたと心から思えた瞬間でした。
すべてが順調に見えました。
この実感は、成功哲学や自己啓発の本を何百冊読むよりも、はるかに確実な自信となりました。
こうして僕は小さな成功を手にしました。
けれど、その裏で、心は少しずつ違和感を感じ始めていました。
そして──まもなく僕はひとつの大きな決断をします。
それは、雑貨屋をやめることでした。
雑貨屋をやめた理由
自分の店を始めて、わずか1年で、これまでの人生では考えられない額を稼げるようになりました。
あの家賃6ヶ月滞納の頃を思えば、まるで別世界。
借金もすべて返し終え、銀行口座の残高は日に日に増えていく。
ようやく、人生が報われたような気がしていました。
けれど──何かが違う。
朝から晩まで、休む間もなく働いた。
年中無休。
店を開けて、接客し、閉店後は売上の集計と仕入れの準備。
アルバイトも十数人雇い、無我夢中で働く日々。
一日が終わる頃には、いつも深夜。
「社長」という肩書きがついても、自由はどこにもありませんでした。
お金は増えても、それは通帳上の数字。
実感がない。
もちろん、お金は安心にはなります。
でも、どこか空虚な自分。
心だけは満たされませんでした。
仕事を頑張る理由を見つけようと、一度は生活のために手放した憧れのスポーツカーをまた手に入れました。
しかし、物欲で本当の心は満たされません。
気がつけば、季節の移ろいを感じるのも忘れていました。
働くことが生きることになっていたのです。
「俺は、何のために働いているんだろう。」
そんな思いが、日増しに強くなっていきました。
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