僕が小6の娘とキャンピングカー旅を始めた理由。1ヶ月のつもりが1年半に
「いつかキャンピングカーで旅してみたい」って、一度でも思ったことはありますか?
ちなみに国内のキャンピングカーの保有台数は右肩上がりの増加をしていて、日本RV協会の年次報告書2025によれば、2025年時点で17万3000台になったそうです。
多いか少ないかピンとこなかったので、自動車の保有台数(約8,315万台)と比べてみました。
すると、キャンピングカーは約480台に1台でした。
毎日乗る車ではないことを考えると、思った以上に多いのかもしれません。
また最近では、乗用車や軽バンなどで車中泊する人も増えて、一概に「旅=キャンピングカー」とも言い切れない時代ですよね。
僕が初めてキャンピングカーに乗ったのは、2020年6月です。
最初は1ヶ月のつもりが、気づけば1年半に及ぶ旅になりました。
しかも、一人旅でも夫婦やカップル旅でもなく、当時小6の娘とふたりで。
ただ、振り返れば、あれは旅というより「車を家にして暮らした1年4ヶ月」でした。
車中泊は300泊。ほかはADDress(多拠点居住サービス)なども使いながら、車を家にして暮らしていました。
今回は「キャンピングカー生活(バンライフ)連載」のゼロ章として、なぜ僕が、娘と車を家にする暮らしを始めることになったのかを書き残します。
これは、キャンピングカーや旅に興味がある人に読んでほしい記事であると同時に、一緒に旅した娘に残すための記録でもあります。

僕が初めてキャンピングカーに憧れたのは、20代の頃でした。
本を買って眺めたり、実際にキャンピングカーの販売店に足を運んだりしていました。
でも、当時は自分のビジネスもままならず、頑張ってキャンピングカーを買ったとしても動かない箱になることが目に見えていました。
だから憧れのまま「いつかできたらいいな」と、時間だけが過ぎていったのです。
自由な暮らしの探求
それから10年以上の時が経ち、仕事である程度の成果が出て、ようやく時間やお金の余裕ができました。
国内を旅して、海外にも出て、宮崎と東京の二拠点生活も始めました。
さらに多拠点で暮らせるADDressの初期会員にもなって、「好きな場所で暮らす」を追いかけていたのです。
「自由な暮らしは、どこまで問い詰められるのか?」
僕は、どこにいても仕事ができる仕組みを、ある程度作っていました。
例えば、Zoomでセミナーや個別コンサルをしたり、取材を受けたり、現地で講座をしたり。
だからこそ、こう考えたのです。
旅のすべてが、仕事と直結できたら──
もっと自由になれるんじゃないか。
そして、僕と同じように自由に生きたい人に、その方法を具現化できるように情報やサービスを提供していこうと。
僕の小さな野望でした。
そんな矢先、突然キャンピングカーを貸してくれる人が現れました。
ちょうどそのわずか数日前、僕は「キャンピングカーがあればもっと自由に動けるのに」と思って、車種や価格をネットで眺めていたんです。
運命としか思えませんでした。
20代の夢が現実になる。
そう感じた僕は、迷うことなく二つ返事で動き始めました。
これが最後のチャンスかもしれない
当時、3人の子どものうち、末っ子の次女がまだ小学校6年生でした。
上のふたりは、小学校高学年になるころにはもう、親にくっついて出かけるより、自分の好きなことに時間を使っていました。──正直、親として寂しかった想いがありました。
でも次女は違ったのです。
僕の誘いには、いつも「行く!」と言って、喜んでついてきてくれていました。
それまでにも、海外や国内といろいろ連れて行っていました。
だから僕は、「もう、これが最後のチャンスかもしれない」と思い、次女を誘ったのです。
出発は夏休みでした。
当初は1ヶ月の予定で、学校が始まる頃に戻る計画だったのです。
でも「もう少し借りられる」ということで、さらに1ヶ月延びて、さらに延びて、さらに延びて──
そうして1年半の旅になったのです。
今となっては記念のキャンピングカー旅、一日目の動画。
娘の学校のこと
ここで、「娘さんの学校はどうしたの?」と思われた人もいると思います。
小学校の修学旅行と卒業式は参加しましたが、その他は登校しませんでした。
大きな理由として、旅をしている以上、定住していないので物理的に通学が無理だったからです。
でも、問題は学校だけじゃありませんでした。
旅を始めて3ヶ月目、妻が息子を連れて出ていきました。
まだ目的を持って旅を始めたばかりだったので、家に戻るつもりはありませんでした。
誰も住まない家を維持し続けるのは現実的じゃなかったし、家族がバラバラ(のちに離婚)になってしまったこともあり、ゼロから考えるために家を引き払う決断をしたのです。
そうなると、通学はなおさら現実的ではありませんでした。
また、この期間はちょうどコロナ禍で、学校が休学になったり、リモートが導入されたりと社会が大きく揺れていた時期でした。
僕は学校や市役所に事情を伝え、「通信で出席扱いになりませんか」と相談。そんなやりとりもしながらの旅でした。
基本的に、住民票のある場所が学区になり、通う学校が決まります。
ただ僕は、かねてからその制度に疑問がありました。
人口減少が激しく進む日本では、関係人口(移住はしないけど、地域と行き来しながら関わる人)を増やすためにも、どこでも通学できる仕組みがあってもいいと考えていたのです。
実際に、宮崎の小学校に通う娘が小4と小5の頃に、熊本の小学校に通わせたことがあります。正式な出席扱いとなりました。
デュアルスクールとして注目された制度で、NHK『クローズアップ現代+』や『AERA(朝日新聞出版)』から取材を受け、娘とふたりで出演しました。
だから僕は、キャンピングカーで旅をしながら、各地の学校に通えるようになる実験もやろうとしました。
振り返って思えば、僕のエゴでした。
でも当時の僕は、理屈より先に、何かに駆られ、その瞬間を必死で生きていたと思います。
この稀有な経験が娘に残したもの
娘は旅が終わったあと、僕についてきたことを振り返ってこう言いました。
「勉強や宿題が嫌いだから、パパについていけばやらなくて済むと思った」と。
そうだったのか、と最初は驚きました。
でも、子どもだったら当然そう考えるよな、とも思ったんです。
旅の途中に勉強や宿題を進めようとしても、ほとんど手につかなかったのも、今なら納得できます。
娘にとっては、子どもらしい理由だったのかもしれません。
でも同時に、親として「降ろすべきだったのかな」と悩んだのも事実です。
もちろんタラレバはないですが、やはりこの旅は、娘の人生に深く刻まれる経験になったと思います。
キャンピングカー旅の現実を書いていきます
これからの連載では、キラキラした理想だけじゃなく、実際にやってみて初めて分かった現実を綴っていきます。
この連載で書くのは、キャンピングカー旅や車中泊のノウハウというより、車を家として生活した記録の方が正しいかもしれません。
なぜなら旅の途中からは、目的のある旅というより、サバイバルに近い日々でもあったから。
寝る場所。トイレ。風呂。水。電気。夏と冬。荷物。ご飯に自炊。洗濯。
それらにかかる生活費。
そして、旅しながら稼ぐ挑戦と現実。
旅なのに引きこもりなって感じた孤立と社会の接点。
親子でぶつかった制度の壁。
旅と自由の裏側には、毎日の小さな判断と地味な工夫、稼ぐ挑戦、そして責任が積み重なっていました。
今の僕の言葉でまとめておきたいし、娘にも残したいと思います。
そして、誰かの役に立てば嬉しいです。
おわりに
次回は、キャンピングカー生活の入口として、寝る場所のリアルから書きます。
続きはこちら。
👉 車中泊を300泊して分かった。失敗しない寝る場所の選び方6つ
キャンピングカー旅の記録は、このマガジンにまとめています。
最後まで読んでくださり、本当にありがとうございます。
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初めて僕の記事を読んでくださった方へ──
よければ、最初に書いた自己紹介の記事も読んでみてください。
せきたつや
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