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50代、人生最大の失敗。絶望のどん底から立ち上がれた、3つの生き直すヒント

あなたにとって、これまでの人生で「最も大きな失敗」は何ですか?

小さな失敗なら、きっと誰でもいくつも経験してきたと思います。

でも、「人生が変わってしまうほどの失敗」。
それは、そう何度も起こることではありません。

しかも、絶望をともなうような失敗となれば、そこから立ち上がるまでには、長い時間や勇気が必要なのではないでしょうか?

もしかすると、今このnoteを読んでいるあなたも、何かに押しつぶされそうな日々を過ごしているのかもしれません。

今回は、僕自身が50代で味わった、人生最大の失敗と絶望の話です。

「もう立ち上がれないかもしれない」と心から思った出来事。
そして、そんな僕が少しずつ再起していけた「3つの気づき」を実体験としてお話しします。

このnoteは、「もう無理かもしれない」と思った場所からでも、人生を立て直すヒントはある。
そう信じられるような、そんな内容になればと思って書きました。

僕の経験が、少しでもあなたの力になることができれば。
あるいは、僕のような失敗をしないように、反面教師として読んでいただいても構いません。

それでは、まずは、僕がすべてを失ってしまった話から始めたいと思います。

この記事は、全体の約8割を無料で公開しています。無料部分だけでも、今の自分を変えたいと思われている方には、有益な内容になると思います。

暴走した自由の代償。すべてを失う大失敗

24歳で起業した僕は、30代半ばでようやく、憧れていた「自由な働き方」を手に入れました。

時間にも場所にも縛られず、好きなときに仕事をして。
全国を旅しながら、家族5人で自由に過ごすライフスタイル。

ある意味、それは多くの人が夢見るような「理想な暮らし」だったのかもしれません。

そんな生活が始まってから、15年ほどが経ちました。

そして僕は、50代になりました。

家族を連れて、あちこち旅をしていたある日。
ふと思い立って、次女とキャンピングカーでの生活を始めることにしたのです。

しかし、その数ヶ月後。
僕と娘が旅の途中にいたそのとき、妻が息子を連れて家を出ていきました。

気づけば、家族も、家も、収入も、仕事も、健康すらも失っていました。

僕は、自分が選んだ「自由な生き方」の代償として、あらゆるものを失ったのです。

「何が間違っていたのか…?」

あんなにも望んでいた自由のはずが、なぜ自分をこんなにも苦しめることになったのか。

僕はその問いを、何度も何度も繰り返しました。
答えの見えない中で、自分自身を見つめ直す日々が始まりました。

いつもならポジティブに乗り越えられたが…

恥ずかしながら、僕のどん底体験は今回が初めてではありません。

20代、30代の頃にも、3度の大きな崖っぷちを経験してきました。

1度目は、20代後半。
起業してもうまくいかず、多額の借金を抱え、家賃も6ヶ月滞納。経済的に追い詰められ、4つのアルバイトを掛け持ちしながらも、生きるのがやっとの時期。

2度目は、30代前半。
事業で小さな成功を掴んだ直後に、信頼していた先輩経由からの紹介から詐欺に遭って650万円を失う。信じていた人からも裏切られ、人間不信に。そのまま7年間、引きこもって過ごしました。

3度目は、30代半ば。
家族の生活を守ろうと仕事に打ち込むなかで過労で倒れ、好調だった事業も続けられなくなり、強制的に休業を決断した時です。

どの時も振り返れば、「もう終わりだ」と思ってもおかしくないほどの出来事でした。

しかし、不思議と当時の僕は「絶対に乗り越えられる」と信じていました。

それは、自分の中にあるポジティブな思考を信じていたからです。

そして実際、何度も這い上がり、それなりに成果を出してくることができました。

だから今回も、最初は「また立ち直れる」と思っていたのです。
むしろ自分は、逆境がある方が頑張れるとさえ考えていました。

でも、今回は、何かが違いました。

気力や自信を失い、絶望を感じた3つの理由

今回のどん底では、これまでのように「よし、またやるぞ!」と立ち上がる気力が、時が経つにつれて徐々に無くなっていったのです。

それどころか、自分自身を信じることすらできなくなっていたのです。

これまでにない絶望感でした。

しばらく、この「絶望感の正体」に気づくことができませんでした。

ようやくそれを理解できてきたのは、数ヶ月経ってからです。

僕が絶望を深く感じた理由は、大きく3つありました。

理由の1つ目は、「家族に迷惑をかけてしまった」という自責の念です。

とくに、妻や子どもたちに対する申し訳なさが日を追うごとに増し、重くのしかかり、自分を責め続ける日々でした。

「家族を守る、幸せにする」と言ってきたのに、結果的に迷惑をかけてしまった。

その自己嫌悪は、徐々に自己肯定感を奪い、自信も奪っていきました。

そして、2つ目の理由は、妻の存在の大きさです。

過去の崖っぷちのときなど、どんな状況になっても、いつも陰ながら僕を信じて背中を押してくれていたのが妻でした。

失って初めてわかるとはよく言いますが、その妻がいなくなった今、はじめて、彼女の存在がどれほど大きかったのかを痛感しました。

娘にとっても、どれほど大切な存在だったかを、あらためて思い知りました。

最後の3つ目の理由は、初めての「ひとり親」の現実です。

娘とふたりきりで暮らす中、子育てと生活と仕事のすべてを自分で担うという現実の重さが、想像以上でした。

これまでは、妻が子育てを頑張って家庭を守ってくれていたからこそ、僕は自由な発想で仕事に打ち込めていました。

積極的な思考と行動ができていたのも、そういう環境があったからでした。

でも、ひとり親になってから、その自由な思考すら生まれてこなくなりました。
いや、生まれても消去してしまう自分になってました。

心に、余白も、余裕も、なくなっていたのです。

こうした3つの理由から、人生で初めて、「もう立ち上がれないかもしれない」という絶望を感じていたのです。

とはいえ、いつまでも悩んだり落ち込んだりしている場合ではありませんでした。

妻はもう隣にいませんし、頼ることはできません。

「僕が娘を育てる」と決めた以上、どこかで覚悟を決めなければならない。

もう、言い訳も、立ち止まる猶予もありません。

もはや、待ったなしの状況に陥っていました。

寮付き派遣で突きつけられた、50代の現実

娘を守る。その一心でした。

シングルファーザーとして生きる覚悟を決めたとき、僕の最優先は「自分」ではなく、「娘」になりました。

かつてはキャンピングカーでの自由な生活をしていた僕と娘ですが、まずは住む場所を探す必要がありました。
娘の中学校のことも考えると、選択肢は限られてきます。

そんななか、僕なりに必死で模索してたどり着いたのは「寮付きの派遣」という選択肢でした。

正直、雇われることには抵抗がありました。

起業前の1年間を除き、僕の人生はずっと「自分で事業を立ち上げ、稼ぐ」生き方でした。

でも、そんな気力も自信も失っていた僕には、「起業家であり続ける」という選択肢を選ぶ力がもう残っていませんでした。

だから、娘を育てていくために、僕は「雇われる側」に立つ決断をしました。

「ひとり親」という理由で断られた派遣会社もあった

派遣といえば、基本的に単身者が対象です。
用意されているのは個室や相部屋などの「一人部屋」が基本です。

実際にいくつかの派遣会社に「ひとり親で、娘も一緒です」と伝えると、断られることが何度もありました。

その中で、娘との同居を許容してくれる派遣会社を見つけました。
ワンルームを提供してくれるその会社に、ようやく登録させてもらうことができたのです。

派遣の仕事は全国にありますが、年齢が「50代」というだけで、選べる選択肢はどんどん狭まっていきました。

起業の世界にいたときには一切考えたこともなかった、「年齢」という壁に、社会のリアルを突きつけられた瞬間でした。

「ああ、自分はもう、世間からはそういう年齢で見られているのか…」
言葉にできない寂しさを感じました。

それでも、仕事を選ぶ条件の一つとして「関東圏」を譲ることはしませんでした。

なぜなら、僕よりも娘を最優先にしたから。
娘の夢と未来を第一に考えたかったからです。

身寄りも知り合いもいない場所で、生活を始める

関東圏と限定した結果、さらに選択肢は減りました。

そして紹介されたのは、ある製造工場での現場仕事でした。

未経験でもOK、汚れ仕事、体力が必要、そんな仕事でした。

でも、それを受け入れられる年齢の人材が少ないからこそ、50代の僕にもチャンスがあったのだと、すぐに察しました。

職種なんて選んでいる状況ではありません。
とにかく、娘との生活の場所と最低限の収入を確保するために、迷わずその仕事に申し込みました。

採用の連絡をもらったとき、こみ上げてきたのは「喜び」ではなく「安堵」でした。

「なんとか生き延びられるかもしれない。」

そんな、ぎりぎりの感情でした。

「俺が倒れたら、娘はどうなる?」という不安と責任

勤務地は、身寄りも知り合いもいない、ほとんど土地勘もない場所でした。

唯一の手がかりは、偶然にもキャンピングカー生活をしているときに立ち寄った「快活CLUB」のある町だったこと。

ほんの少し前は、全国各地の「快活CLUB」のシャワーを利用しながらキャンピングカー生活をしていた僕と娘が、今は「定住する」という現実に向き合うことになってました。

仕事は、毎日が肉体労働。
朝起きて娘のお弁当を作って、工場へ向かい、寮に帰る。その繰り返し。

頭の片隅にはいつも、「もし自分が倒れたら、娘はどうなる?」という不安がよぎっていました。

だから、健康管理は最重要でした。
何があっても、倒れるわけにはいきません。

ひとり親という立場の責任は、これまで経験したどんなものよりも重く、深いものでした。

「会社員って、悪くないかもしれない」と思えた自分に驚いた

入社して3ヶ月経った頃、仕事にも慣れてきて、娘との住まいにも慣れ、生活がほんの少し安定し、体調も落ち着いてきました。

その状態が、「小さな幸せ」に感じ始めている自分に気づきました。

そして僕の中で、ある「心の変化」が起きました。

それは、「会社員って、悪くないかもしれない」と感じたことです。

そう感じた自分に本当に驚きました。

子供の頃から、「大人になったらミュージシャンになりたい」とか、「好きなことやって自由に生きたい」というのが僕の夢でした。

だから、会社員という生き方は、僕にとって真逆の存在でしたし、会社員にはならないとも決めていたのです。

でも今ならわかります。

会社員という生き方は、人生の多くの時間を会社に拘束されるかもしれない。

けれども、会社員は、多くの部分で「守られている」という側面があり、それが人生の安定や安心に繋がっていることを。

派遣社員ではありますが、これまでまったく見えていなかった「会社員という、もう一つの生き方」のメリットが身にしみた瞬間でした。

そして、入社してから半年が経とうとしてた頃のことです。

少しずつ心境が変わり始めた

「このままじゃ終われない。」

ある日、そんな想いが、心の底から込み上げてきました。

寮付き派遣という暮らしの中で、娘との生活を守るために必死に働く毎日。

「こんな場所に、このまま居続けていいのか?寮付き派遣の生活に、自分の人生を明け渡すわけにはいかない。」

気づけば僕は、「魂を派遣社員に売ったような自分」になっていたのです。

もう、かつての人生に引退してしまったかのような感覚です。
挑戦する気持ちや、何かを変えようとする意思は、意識的になくそうとする自分になってました。

だからこそ、この気持ちが生まれたとき、「まだ残っていたんだ、あのハングリー精神が」と、自分でも驚きました。

懐かしさと、少しだけ誇らしさが混ざったような、不思議な感情でした。

ゼロからの挑戦は、甘くない

とはいえ、現実は厳しい。

入社して半年、ようやく仕事に慣れてきた頃。
そして、やっと娘とふたりの生活の基盤が整ってきたばかりでした。

ここで退社して、またゼロからやり直すことの大変さは、24歳で起業した自分が一番よく知っています。

この見知らぬ土地で住まい探しをしたり、再び事業を立ち上げたり、新しい働き方を模索したり…
そんなことを思うだけでも、気が遠くなるのは当然でした。

しかも今の自分は、50代のシングルファーザー。
以前の自由な思考や行動ができた頃とは、まったく違う状況にいます。

そう考えると、他のことは想像せずに「今のまま同じ日々を送ること」が、いかに「楽な選択」かは明らかでした。

そう、明らかだったのですが…

それでも、動き始めた理由

「やりたくない仕事を、このまま何年も続けたくない」
「見えない塀に囲まれたような、寮暮らしは嫌だ」
「娘に、こんなパパの背中をずっと見せたくない」

そんな想いが、じわじわと僕の中に広がっていきました。

娘のことを考えても、時間に拘束されているパパより、自由に働いているパパの方がいいでしょう。

そして、僕はノートにたった一行だけ書きました。
その一行から、止まっていた思考が少しずつ動き始めました。

この一行のエピソードは、僕の3話目のnoteで詳しく書いています。


社会の底から立ち上がれた「3つの気づき」とは?

そうして僕の中に、これまでのどん底とは違う感覚が少しずつ芽生えてきました。

そこから見えてきたのが、このあとご紹介する「3つの気づき」です。

これは、単なる精神論ではなく、僕が再起するうえで「実践的な力」になった考え方です。

この3つの気づきによって、僕は「また人生をやりなおそう」と思え、絶望の中から次第に行動に移せるようになりました。

その具体的な内容を、これからお伝えします。

気づき①:人生の定義を変える

僕が追い求めてきた「自由な人生」。

それは、本当の意味で自分を幸せにしていたのか?
いや、むしろその理想に縛られていた自分がいたのではないか。

そんな逆説的な気づきが、どん底の中で訪れました。

「自由」こそすべてだと思っていた

僕は若い頃からずっと、「自由に生きたい」という想いに強く突き動かされてきました。

厳しい父や、管理された学校生活の中で、強い息苦しさを感じていた小中高生時代。

その反動もあり、「好きなことを好きなようにできる人生=自由」だと信じて疑いませんでした。

だからこそ、30代半ばで理想とする自由なライフスタイルを手に入れたときは、本当に自由になれた気がしていました。

その頃の僕は、家族を大切にしながらも、自分自身の「自由」と「幸せ」を何より優先していたのです。

自分を優先しすぎた結果

振り返ってみれば、「自分が幸せじゃなければ、周りを幸せにできない」という言葉に、都合よく逃げていたのかもしれません。

僕は十分すぎるほど「幸せ」だったはずなのに、「一般的な幸せ」にどこか物足りなさを感じて、もっと刺激を、もっと自由を、と、欲を追求していっていたのです。

その結果が、4度目のどん底でした。

自由が暴走すると、簡単に破滅へと向かう。

それを、僕は身をもって体験しました。

自由の定義を書き換えた瞬間

僕は自暴自棄になり、自分自身すら信じられなくなりました。

そんな僕を救ってくれたのは、娘の存在でした。

ある日、娘が笑顔で何気なく言った一言。

「パパ、今日もごはん作ってくれてありがとう」

その言葉が、僕には何よりも自由に感じられたのです。

娘とスーパーに行き、一緒に買い物をする。
ふたりでテレビを見て、一緒に笑う。

このように、娘と穏やかに暮らせることや、小さなことで笑い合えること。

その何気ない日常が、何よりも尊く感じました。

その瞬間、僕の中で「自由」の定義が静かに書き換わりました。

「自由とは、自分のためのものではない。誰かを守るために使うものなんだ。」

僕は、そう再定義しました。

そして、自分を優先するのを捨て、「自分より娘を優先して生きる」と決めました。

その瞬間から、本来の自分を少しずつ取り戻していきました。

本当の幸せは、すでにあった

ふと、20年前のある情景が心に浮かびました。

どん底から這い上がった直後、2歳と4歳の息子と長女と散歩していたあの頃。
ただ一緒に歩いているだけで、胸がいっぱいになるほど幸せだった記憶。

あのときの感情こそが、僕にとっての「幸せの原点」だったのだと思います。

「こうじゃなきゃ幸せじゃない」と、いつの間にか決めつけながら暴走していた僕。
でも、本当の幸せは、実はもっと身近にあったのです。

以下は、僕が実際に自分に問いかけてきた質問です。

立ち上がるヒントの問い①

1.あなたにとって、本当の「自由」や「幸せ」とは何ですか?
2.もしすべてを失っても、それでも守りたいものは何ですか?
3.あなたは、誰といるときに、心から幸せを感じますか?

気づき②:暮らしを丁寧に整える

どこか遠くへ出かけるでもなく、新しい何かに挑戦するでもなく。
僕が変わり始めたきっかけは、とても地味な目の前の「暮らし」からでした。

再起を意識し始めたとき、まず取り組んだのは「生活を整える」ということでした。

というのも、そまでの僕の生活は、ずっと不規則だったからです。

寮に入る前は、キャンピングカー生活やバンライフ。
ご飯の時間も、お風呂も寝る時間すらもバラバラで、日々の生活リズムがまったくありませんでした。

さらにその前は、毎月、国内外を飛び回り、二拠点や多拠点で生活していました。

当時の僕には、それが当たり前で、「整える」という感覚を完全に忘れていたのです。

心が落ち着き、身体の調子が整っていく

寮生活が始まってからは、ひとつひとつの家事や作業を、意識して丁寧に行うようにしました。

例えば、

  • 毎日の洗濯、掃除、炊事、買い物

  • 行政の手続きや学校の連絡

  • 法人関連の書類整理や管理

など。

慣れないこともあり、最初は面倒でした。

でも、ひとつひとつ着実に丁寧にこなすことで、心が少しずつ落ち着いていき、身体の調子も整っていくのを実感できたのです。

工場での肉体労働はきつく、さらに体力は落ちていました。
そこで、ストレッチや軽い筋トレを日々の生活に取り入れ、毎日欠かさずやりました。

ひとり親という立場になったことで、娘のことを最優先にしながらも、自分自身も整える必要があると感じていたのです。

習慣が整えば、思考が整う

この体験から得た学びがあります。

それは、「良い習慣 → 体調が整う → 思考がクリアになる」という順番で、人は立ち上がっていけるということです。

焦って何かを始めようとするよりも、まずは足元の暮らしを丁寧に整える。
そこに、「再起の第一歩」があると気づいたのです。

小さな掃除でも、整理整頓でも、1分のストレッチでもいい。
「暮らしを整える」ということは、いつだってやり直しのきっかけになるのだと想います。

以下は、僕が実際に自分に問いかけてきた質問です。

立ち上がるヒントの問い②

1.今、あなたの足元は整っていますか?
2.毎日の暮らしの中で、整えると気持ちが落ち着くことは何ですか?
3. 「いつかやろう」と先延ばしにしていることは、どんなことですか?

ここまでの2つの気づきだけでも、僕にとっては、再び生きる力を取り戻す大きな支えとなりました。

そして、僕が絶望の底から立ち上がることができた「最大のきっかけ」。
それが──最後の「気づき③」でした。


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