娘のために選んだ、ゼロからの働き方と引っ越し先
「安定を選ぶか、再挑戦を選ぶか」
派遣社員を辞めることを決め、退職を申し出た直後のこと。
派遣先の会社から思いもしなかった正社員の誘いを受けました。
条件の良い本気のオファー。
心が揺れた僕。
ひとりで稼ぐより、生活の安定は約束される。
年齢を考えれば、50代で正社員になれるチャンスなどそう多くはありません。
けれど、その安定と引き換えに失うものもある。
娘の夢を支える自由、自分自身の夢や希望──
その夜、布団に横になって、眠る娘の寝顔を見つめながら、僕はひとり自分に問いかけていました。
「本当に、このままでいいのか?」
ここまでを前回書きました。
ここから先は、僕がどうやって答えを出したのか、ゼロから始めた仕事とは、そして再び挑戦へと歩み出すまでの道のりをお話しします。
この記事は全体の約8割を無料で公開しています。無料部分だけでも「再挑戦を選んだ理由」や「ゼロから始めた仕事」について知っていただけます。
答えを出した夜
正社員の誘いを受けた夜、暗い部屋で天井を見つめながら、娘が眠る横でひとり考えていました。
正社員として働けば、確かに収入は安定する。
待遇も悪くない。
50代でこれからの人生を考えれば、ありがたい話に違いありません。
工場での仕事は慣れないことばかりでしたが、必死に食らいついてきた努力を認めてもらえた証でもある。
しかし同時に、胸の奥で心の声が響いていました。
「このままで本当にいいのか?」
どこかで「安定だけを選んでしまっていいのか」という思いが、胸の奥で渦巻いていました。
少年時代の原点
ふと、過去の記憶へとさかのぼっていきました。
小学生の頃、当時マイコンと呼ばれたNECのPC-6601に虜になり、BASICを打ち込みに毎日デパートに行っていた僕。
秋葉原に行って自作PCを組み立てること、そしてゲームのプログラマーになることを夢に見ていました。
そして中学生の頃、MTVで流れるデュラン・デュランに衝撃を受け、音楽で食べていきたい、と淡い夢を抱くようになります。
思い立ったら行動に移す僕。
父から買ってもらった中古のPC-8801が、Tokaiのストラトキャスターに化けました。
毎日キーボードを叩いていた僕は、毎日のようにギターを弾くようになりました。
そんな社会のことなど何も知らなかった少年時代の僕は、友達にこう言っていました。
「俺はね、公務員やサラリーマンには絶対ならないよ」
その言葉には、自分の未来を信じる無邪気さと、つまらない生き方はしたくないという強烈な自由な想いが詰まっていました。
あの頃から、自分にとっての人生は「自由でいること」がすべてだったのです。
自由がない社会を知った20代
ところが大学を卒業して間もない23歳の頃、僕は一度だけ就職を経験しました。
フリーターだった僕は、「一度くらいは会社員をやってみてもいいだろう」「1年だけ経験してみよう」──そんな軽い気持ちからでした。
しかし、その1年間は社会の残酷さや冷たさというものを嫌というほど味わう結果に。
社長と(後でノイローゼだったと聞いた)上司から、浴びせられた理不尽、歪んだ社会の縮図を見せつけられたのです。
社会を知らない若者が、いきなりこの世界に放り込まれたら口を揃えてこう思うことでしょう。
「日本は奴隷社会だ。ここに自由はない」と。
僕はまさにそう感じました。
社会人になれば自由になれると信じていたのに、現実は正反対だったのです。
この経験が決定的でした。
「自分はサラリーマンには向いていない」──そう強く確信し、今後サラリーマンに絶対ならないと誓いました。
これが、その後の起業への道を選ぶきっかけとなったのです。
そんな記憶を思い返しながら、娘の寝顔を見つめていました。
小さな身体で必死に生きる娘。
僕はその横で、自分の人生を問う。
「安定か、再挑戦か」
安定は欲しい。けれど、夢や希望のない人生を娘に見せることは、もっと嫌だ。
今は娘を一生懸命育てる。
そして、小さくてもいいから夢や希望を見つけ、また頑張りたい。心の底からそう思いました。
「再挑戦する。娘のために、僕はひとりで稼ぐ」
僕は心の中で静かにそう決めました。
この夜が、再び挑戦する人生の出発点となったのです。
僕は、正社員採用の話を丁寧にお断りしました。
30年前の起業と今の違い
僕が起業したのは1994年。
まだ「大学を出たら就職するのが当たり前」という空気が社会を覆っていた時代です。
就職しなかった僕を、人は「落ちこぼれ」と呼びました。
「どうやって生きていくんだ?」と心配する人もいれば、冷ややかに見てくる人もいました。
でも、僕は「当たり前」に生きたくなかった。
自分で、自分の人生の道を切り拓きたいと決めたのです。
もちろん、現実は甘くありませんでした。
個人が起業するにはとても大きなハードルがあったのです。
まずはお金。
起業するには、多額の資本金が必要という常識でした。
法人の場合、有限会社は300万円、株式会社は最低1000万円。
僕は最初は個人事業でスタートしました。
その後どうにか300万円を工面したり、法人登記を自分でやって費用をできるだけ押さえたりして、どうにか有限会社を設立しました。
さらに大きな違いは、環境です。
当時は、インターネットもPCもまだ普及していません。
営業は、電話や対面、FAXや紙が主役。
ビジネスの方法そのものがアナログ中心で、今とまったく別物でした。
手のひらの中で起業できる今
それが今ではどうでしょう。
法人設立は1円から可能。
資金調達はクラウドファンディングなどを利用することができます。
ネット接続はもはやデフォルト。
スマホ1台あれば情報を発信でき、SNSやプラットフォームを通じて全国・全世界と繋がれる。
資本金だって、ほとんど必要ありません。
マイクロ法人、フリーランス、副業──個人で稼ぐ方法は、飛躍的に増えました。
むしろ就職しない選択は珍しくなくなりました。
インターネットとスマホの登場が、ビジネスの常識をひっくり返してしまったのです。
うまくいく保証がなくても
30年前と比べれば、今は挑戦しやすい環境なのはあきらかです。
僕自身も、インターネットの恩恵を受け、そこそこの成果を出せたことも事実。
だからといって、今回の挑戦が「必ず成功する」わけではありません。
いくら稼げるかは人それぞれで、運だって必要です。だから神社参拝もする。
ゼロからやり直す覚悟を決めた僕ですが、100%の自信なんてありません。
それでも、もう雇われて生きる人生はやっぱり選べなかった。
たとえ、うまくいく保証がなくても。
僕がゼロから始めた働き方とは?
寮付き派遣社員を抜け出そうと考え始めたときのことです。
先入観を無視して、シンプルに自問しました。
「どん底から立ち上がるには、初心に戻って、新しい仕事でひとりで稼ぐこと。
娘のために、時間の自由がきく仕事。
ただし、娘との生活がかかっている以上、やれば必ずお金になる仕事でなければならない。
なかなか難しいな…」
──そうなると、請け負ってこなすタイプの仕事か?
「請負であれば、ウェブサイト制作や記事執筆なら経験はある。
でも、これからやろうとしているのは、ゼロから始める新しい仕事だ。
そんな簡単に仕事をくれるものってある?
しかも、すぐに現金化できる仕事。
そんな都合のいいものがあるだろうか?」
そのとき、ふいに頭に浮かんだのです。
──Uber Eats!
なぜ配達員?
僕が選んだ働き方は、Uber Eats。
いまや誰もが知っているフードデリバリー、配達員でした。
思い返せば、Uber Eatsが日本で始まった頃、二拠点生活をしていた東京で利用したことがありました。
スマホで注文して待つこと40分。
部屋に外食店の味が届いたときの驚きと感動。今でも忘れられません。
まさか自分が配達する側になるとは──人生、わからないものです。
さらに記憶をたどると、20代で起業した当時、本業とは別に委託の配達を経験していました。
クロネコヤマトやペリカン便、弁当の配達など。
気づけば意外と配達にハマっていた時期があったのです。
もともと車の運転が好きだったこと(レーサー願望もあったほど)もあり、配達は自分に合っていると感じていたのを思い出しました。
娘の夢を優先するために関東圏に住むことを決めていたのも、Uber Eatsが浮かんだ理由の1つかもしれません。
関東圏ならフードデリバリーの需要はそこそこあるでしょう。
しかも当時は、需要が高まっていたコロナ禍の後半。
追い風が吹いていました。
とはいえ、思いつきで動くのはリスクです。
本当に稼げるのかをリサーチする必要があります。
派遣社員の時給は1,500円。
もしそれを下回るなら、Uber Eatsは却下する。
──これを基準に決めました。
新しい挑戦の始まり
僕はネットやSNSを使って、得意のリサーチを始めました。
「どうやら、時給換算で最低でも1,500〜2,000円。
最悪でも1,500円はクリア、平均すれば2,000円も狙えそう。
条件次第では、もっと稼げる可能性があるな。
地域や時間帯、曜日、天気、経験値による差はあるが、そこはやってみなけりゃ判断できない(と割り切る)ところだな…」
よし、これでいこう──そう決めました。
こうして僕は退職届を出しました。
そして、Uber Eatsを始める準備と同時に、娘と暮らすための新しい住まい探しもスタートしたのです。
「本当にUber Eatsで稼げるのか?」
「無事に引っ越し先は見つかるのか?」
次なる挑戦が、動き出しました。
娘の夢と仕事が両立できる引っ越し先へ
無事、退職届が派遣会社に受理されました。
1ヶ月後には、ついに寮を出ることが確定です。
まもなく1年、娘とふたりで暮らしてきたワンルーム。
布団をふたつ並べれば、足の踏み場がなくなるほど狭い部屋。
でも陽がよく当たる部屋で、休みの日は心まで暖めてくれる最適な空間でした。
幸いだったのは、もしものためにと残していた有給がたくさんあったこと。
おかげで最後の1ヶ月の勤務のうち、半分近くを有給消化にあてることができました。
引っ越しやUber Eatsの準備に時間を使える余裕が生まれ、精神的にもかなり落ち着くことができました。
とはいえ、実際の準備はまだ何も進んでません。
まずは何よりも、住まいを確保しなければ。
僕は賃貸物件を探し始めました。
候補地を2つに絞る
今回で18回目の引っ越し。
間違いないか、もう一度数えてみる。
やはり18歳で上京したときから数えて18回目。
さすがに物件探しや契約には慣れている方です。
しかし、娘のことを最優先に考えて選ぶ引っ越しは、これが初めてでした。
もちろん、家賃や敷金などお金の条件も大切です。
でも、今回の一番の問題は「どこに引っ越すか?」という場所でした。
キャンピングカーで日本中を旅し、家をなくし、シングルファーザーに。
どん底の中、たどり着いたのは地元宮崎からは1,600kmも離れた土地。
縁もゆかりもない場所で、寮付き派遣社員として娘と暮らしていました。
両親のいる宮崎に戻る選択肢はありました。
普通なら真っ先に浮かぶはずです。
でも僕は、引っ越し先を「関東圏」に決めました。
娘の将来のために。
自分の人生よりも娘の未来を。
そして、気づけばそれが僕自身の夢にもなっていました。
だから僕は生きる(ことができる)。
一番は娘。
でも、新しい生活の基盤をつくるには、これから始めるUber Eatsの需要も考えなければなりません。
そうして候補地を、東京か神奈川に絞りました。
引っ越し先に求めた7つの条件
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