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『アルカディア航路』試し読み⑧|四月十八日(土)17:44 薄曇り

 四月十八日(土)17:44 薄曇り
 目を開けると眩しくてすぐに目を閉じた。頭が痛い。薄目を開けると、西日が顔を刺すように当たっていた。頭を反らして窓の方を見る。遮光カーテンが一部開いていた。うつ伏せになって手を伸ばす。手のひらに熱を感じた。カーテンの裾を調節する。部屋が暗くなった。安心したが、背中が温かく体が重い。また布団に横になった。だが目を閉じても眠れない。こめかみが締め付けられるように痛み、お腹が張って吐きそうだ。胃の奥が波立つような不快感。息が浅くなる。ゆっくりと息を吸って吐いて、また吸って吐いて、さらに吸って吐く。しばらくしてお腹が落ち着いてきてホッとし、すると今朝のことが頭に浮かんだ。財布をなくしちゃったんだ。剛也はしょんぼりした顔になった。酒で記憶をなくしたことなんかなかったのに。なんてバカな飲み方したんだろう。タイキに乗せられて、あとはフウタのスペシャルか、あの辺りからぷつりと記憶がない。ありゃ本当に危険だな。あんなことして折角の休日を潰してしまった。計算を進めないと。
 剛也は大きく息を吸い、吐き出すと同時に起き上がった。ゆっくりと立ち上がる。立ち眩みがして壁に手をつき、おぼつかない足取りで玄関まで移動して電気をつけた。次いで布団の上にしゃがみ込み、四つんばいになってちゃぶ台まで進んだ。座椅子に腰掛けると論文を手に取り英文に目を向けたが、何が書いてあるのかさっぱりわからない。数式はもっとわからず、五分もしないうちに論文を投げ出した。無理だ。こんな状態じゃとても読めない。計算するのはもっと無理。はぁーと剛也は大きなため息をついた。恨めしそうな目を論文に向けたが、少しして、よし、と口にし、ちゃぶ台の右隅にあるノートパソコンを真ん中に持ってきて起動した。画面が表示されるとブラウザを立ち上げ、ツイッターを開く。と、剛也は驚いた。通知がたくさんきている。通知をクリックして内容を確認すると、大量にフォローされていた。これまで十人くらいだったフォロワーが二十二人になっている。『ツッチー』『Yuuki』『東川辰巳』『笹本亮五』……。新規のフォロワーを見てなるほどと剛也は思った。昨日交換したのか。連絡先交換したときにツイッターの交換もしたんだ、きっと。みんなどんなツイートしてるんだろう? 剛也はツッチーのツイートを確認した。あの店に向かう前にユーキやマイと待ち合わせるためのツイート、あるいは最近見た映画の感想なんかもあったが、多くは音楽に関するツイートで、曲の紹介とその曲が作られた時代背景が、その当時の政治状況まで絡めて綴られていた。そのほとんどが内容に繋がりがある複数のツイートから成るもので、中には五個以上繋がっているものまである。昨日十八時のツイートには以下のようにあった。
 ——『Shout to the Top!』って実はプロテストソングなんだよね。シャウト・トゥー・ザ・トップ(上に叫べ)って、政府を突き上げてるんだ。80年代中頃のイギリスは景気が低迷して規制緩和とか社会保障改革とか、それで労働者の生活がめちゃくちゃになった。ふざけんなって話でさ→
 ——日本も同じ。五年くらい前から民営化だ規制緩和だって、そのくせ防衛費に何兆もつけてよ。おかしいだろ、軍備の一切を放棄するってどうなった?俺らも怒んなきゃいけない。シャウト・トゥー・ザ・トップ!
 へぇー、すごいな、と感嘆の声を上げながら眺めていると、一週間ほど前にローリング・ストーンズの『Sympathy For The Devil』が取り上げられていた。内容は昨日ツッチーに耳打ちされたこととほぼ同じだった。剛也はにんまりし、今度はタツミのツイートをチェックした。パーティーの宣伝ばかりだ。口先を尖らせ、続いてタイキのツイートを確認しようとフォロワーのリストで探したが、それらしい名前はない。だがおかしなアカウントをフォローしている。『ビッグパーソン』というアカウント名で、ユーザー名は『@big__person__』。アイコンは設定されていない。フォロワーを見てもあの店の常連客はいないようだ。これはなんだろう? 剛也は疑問に思い、プロフィール画面に移動して最新のツイート——昨日十九時半のツイートを見た。『今年の衆議院選不安しかない』『政権交代とかマジでちゃんちゃらおかしいから』という文言が並んでいる。これっていまの政権が続けばいいってこと? 常連客にはいそうにないタイプだな。なんでこんな人と相互フォローになってる? 剛也は難しい顔をして首を捻ると、次のツイート——昨日の十九時過ぎのツイートを読んだ。『ノー残業デーにこれってどういうこと?』『ベスト奴隷企業じゃねぇーか』という文が目につく。仕事の愚痴か、大変な仕事してる人なんだと剛也は思い、続いて冬樹さんのツイートをチェックしようと考えたが、そのときノックの音がして玄関に目を向けた。口を閉ざしたままドアを凝視する。またノックする音。剛也は立ち上がり玄関まで行くと声を上げた。
「どちら様ですか?」
「俺だよ俺」
 ああ海本か。剛也がドアを開けると果たして海本がいたが、ジーンズにTシャツ、その上に長袖シャツを着ている。
「どこか出かけるの?」
 剛也が訊くと海本は微笑みながら言った。「おう、メシ食い行こうぜ」
「ふざけんなよ」剛也は不満そうな顔で言った。「いま金がないってわかってるだろ。ひやかしに来たんなら帰ってくれ」
「いやいや待て待て」海本は笑いながらそう言い、後ろに手を持っていきながら「お前が困るだろうと思ってさ」と続けると、ポケットから財布を出して中から三万円取り出し、剛也に差し出した。
「え、どういうこと?」
「当面の生活費」海本は平然と言う。「キャッシュカード来るまで金下ろせないだろ? 仕事中に銀行に行くわけにもいかないし」
「ありがとう」と言って剛也は金を受け取った。身をひるがえし布団まで戻る。どこにしまおうか考えていると、さっさと着替えろよ、食事行こうぜ、という声がして、剛也は三万円をちゃぶ台の上に置いた。それからスウェットパンツを脱いでジーンズを穿いているとき、海本が言った。
「今度は俺も連れて行けよ」
「え、どこに?」
 剛也がとぼけると海本は声を荒げた。
「おい! 今朝約束しただろ」
「ああ、あの店ね」渋い顔をした剛也だったが、それをカモフラージュするように笑顔を作って答えた。「今日は無理。体も心もボロボロだから」
「よく言うよ」呆れた顔で海本が言う。「じゃあ来週の金曜な、絶対だぞ」
「わかった」
 剛也は返事をすると上着を取りにベランダに向かった。

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