『アルカディア航路』試し読み④|四月十三日(月)12:00 快晴
四月十三日(月)12:00 快晴
昼休みを告げるチャイムが鳴り終わるとすぐ、右から声がした。
「よし行こう。こんな時間に出れるなんて滅多にない。さっさとしないと一瞬で混む」
海本が白い歯を見せて笑っている。
「ああそうだな」と剛也は返し、手にしていた論文をデスクの引き出しにしまって立ち上がった。海本も席を立ち、二人並んで歩き出す。
「わざわざ引き出しにしまうことないのに」
出入り口に向かって歩きながら海本は言う。「午後もあの論文読むんだろ?」
「そうなんだけど、このまえ課長に注意されたから。研究所は会社の中枢なんだ、秘密が詰まってるところなんだ、どこから狙われてるかわからないんだから自覚をもつようにってさ」
「なにそれ」海本は鼻で笑った。「気にすんなって、そんなもん。そもそもこの建物自体誰だって入れるんだぜ。机にしまったところでしょうがないだろ」
「おい、気をつけろ」と言い、剛也は周囲を見回した。立っているのは二人だけだ。他の人はまだパソコンに向かっている。剛也は続けた。「課長とか部長に聞かれたらどうするんだ」
「大丈夫大丈夫」
海本はケロッとした顔でそう言ったが、剛也は返事をしなかった。横目で海本を見て、眉間にしわを寄せる。海本もそれ以上話さず、二人黙って歩を進めた。
「そうそう」
エレベーターホールまで来ると、海本は剛也に話しかけた。
「RTK-GPSってどうなの? 実用化できそう?」
「うーん」と唸り、次いで難しい顔をすると剛也は口を開いた。「まだまだかな。障害物がないところだったら十センチとかそんくらいの精度で測位できんだけど」
「ほう、十センチはすごいな」海本は感嘆の声を上げた。
「でもほら、田舎ならいいけど都会だとビルとかあって反射しまくるからさ、そんなには上手くいかない。時間もかかるし」
「なるほどな」と海本が返したときエレベーターが来て、二人は乗り込んだ。続きを話す素振りを見せた海本だったが、他部署の主任が入ってきて口を閉ざした。
エレベーターを降りると周囲は薄暗くひんやりしていた。工場で加工された部品を保管する倉庫になっている一階のフロアは、昼間照明が消されており、エレベーターを降りて右手にある搬入口から差し込む日差しだけが唯一の明かりだった。
眩しそうに目を細め、搬入口に向かって進みながら海本は言った。
「RTK-GPSって迎撃ミサイルに使えないかな?」
「おいおい」半笑いで剛也は返す。「こっちは農業とかそういうの向けに開発してんだぜ。お前のやってる軍用レーダーとは違うの」
「お前はバカか」海本は呆れた顔をして言った。「最先端の技術はまず軍用って決まってんの。GPSだって軍用に開発されて、そっからカーナビだろ?」
「お前って修士のときからそればっかな」うんざりだという表情で剛也は言った。「カフェで向かい合っても国防の話ばっか」
「当たり前だろ、最重要なんだから」海本は険しい顔をして言った。「日本人が考えなさ過ぎなんだって。いつまでもアメリカに守ってもらえるって信じ切っちゃって」
ムッとした顔で剛也は黙り込み、すると海本も口を閉ざし前を向いた。無言のまま建物から出て、大通りを右に向かって歩き出したが、海本は急に笑みを浮かべ、口を開いた。
「お前は前園の悪口ばっかだったな」
「え、何の話?」
「大学院。帰り道とかカフェとか」
「ああ、まあ」と答え、前を向いて剛也は嫌そうな顔をした。あれはキツかった。あの頃を思い出すだけで胸が痛くなる。剛也は小さくため息をついた。気持ちを察したのだろう、海本は微妙な表情で口をつぐんだが、少しするとぱっと明るい顔になって言った。
「マジでさ、お前冬樹狂だったよな。前園教授を冬樹さんと比べて、ここもダメあそこもダメって。そんなに冬樹さんが良かったんなら、大学院も冬樹研にすれば良かったのに」
「それができたらしてたよ」剛也はしょんぼりとした顔を海本に向けたが、表情とは裏腹に声は弾んでいた。「冬樹さんに拒否られたって、何遍も言ってるだろ」
「そうだったな」と口にして海本は黙った。気まずそうな顔をしている。
言い過ぎたな、でも他にどう言えばよかったんだろう。剛也は渋い顔をした。それから前方に目を向けると、二十人ほどの集団がこちらに向かって歩いてくる。全員が作業服を着ている。横に顔を向けると海本もこちらを見ていて、剛也が何か言う前に海本が口を開いた。
「工場勤めはいいよなあ。服装に迷うことがなくて」
「そんなこと言って、俺もお前も大体ジーンズにTシャツと長袖シャツだろ」
剛也が突っ込むと海本は「まあ確かに」と言って笑い、前を向いた。剛也も前を向く。海本は続けた。「でもそう、こんなに早く出たのに俺らより先に食堂に着くんだぜ。羨ましいだろそこは。まあ関係ないけど」
何が関係ないの? と意味がわからず尋ねようとした瞬間、剛也は思い出した。下は工場、上はエンジニアと事務職。前に海本から聞いた食堂のルール。たまにエンジニアでも一階で食べるおっちゃんがいるけど、ありゃきっと全共闘だな。
「今度は俺も誘えよ」
声がして剛也は右に顔を向けた。なにに? と尋ねようとすると海本が続けた。「レイヴパーティー? そういうの行くとき誘えよな。研究が忙しいとかいうから遠慮してたら、そんな遊び回ってるとは」
「遊び回ってはない」
剛也が返すと海本はいたずらっぽく笑ったが、その笑顔を横目で見た途端、タイキに教えてもらった店のことが脳裏を過った。言うべきかな? でも言ったら俺も一緒に行くって言うに決まってる。そんな時間ないし。でもどうしよう? 迷っているうちに大通りを東西に区切る十字路に差しかかり、二人は右に曲がった。正面にある東門に目を向けながら、海本は問いかけた。
「今日は何時に起きた?」
「八時かな?」
「へぇー、早いなお前、俺なんか八時十五分」
「ご飯はどうすんの?」
「朝飯は抜きか菓子パン。パンなら寮から東門まで歩きながら食べれる」
「健康に悪そう」
「そうでもない」
そこで二人は口を閉ざし、しかし歩く速さは話しているときと同じくゆっくりしていたが、東門の手前まで来て右に曲がり、食堂の建物が見えると二人とも早足になった。
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