99.9%の壁に挑む―『それでも僕はやってない』から学ぶ日本の司法と裁判員制度【映画×授業#9】
「日本の刑事裁判で起訴されたら、99.9%は有罪になる。この数字を、あなたはどう感じますか?」
かつて私が担当していた選択教科「映画に学ぶ」。この時のテーマに選んだのは、周防正行監督の『それでも僕はやってない』でした。
この映画は、観る者に「明日は我が身かもしれない」という強烈な恐怖を植え付けます。実は私自身、この映画を観た直後、あまりに怖くなり、知り合いの警察官に思わず相談してしまったほどです。
「もし、身に覚えのない疑いをかけられたらどうすればいい?」
彼の答えは、非常に現実的で、かつ重みのあるものでした。
「一番の対策は、両手で吊革につかまること。疑われる隙を一切作らないこと。実は僕も、満員電車では必ずそうしているよ」
現職の警察官ですら、日本の司法制度の特性を知っているからこそ、自衛している。その話を聞いて以来、私も満員電車では必ず両手で吊革をつかむようになりました。
そんな「震えるようなリアリティ」を教材に、約20名の生徒たちと「正義のありか」を模索した授業の記録です。
目次
【停止場面】「認めて楽になるか、抗って地獄を見るか」
議論:裁判員制度は「救い」になるのか?
課外授業:霞が関・東京地方裁判所へ
教室の外へ広がる学び:映画から現実へ
おわりに:主権者として法廷に立つということ
1. 【停止場面】「認めて楽になるか、抗って地獄を見るか」
映画の序盤、主人公の金子徹平が取調室で刑事から詰め寄られるシーンで、一度映像を止めます。
刑事のセリフ:
「認めて謝れば、すぐに帰れるんだ。罰金だけで済む。認めないなら、このまま何日も拘留されることになるぞ。仕事もクビになるかもしれないんだぞ」
ここで生徒たちに問いかけます。
【問い】
「もしあなたが主人公の徹平なら、ここで『やりました』と嘘の自白をして解放されることを選ぶかな? それとも、無実を信じて戦い続けるかな?」
生徒たちの反応は分かれます。「絶対に嘘はつきたくない」という正義感。一方で、「明日試験があるなら認めてしまうかも」「親に知られたくないから早く終わらせたい」という切実な本音。
「真実を守ること」の重さを、生徒たちは肌で感じ始めます。
2. 議論:裁判員制度は「救い」になるのか?
授業を行った当時は、日本で「裁判員制度」が導入される直前の時期でした。
【グループディスカッション】
テーマ:「市民が参加する裁判員制度に賛成?反対?」
賛成派:
「もし、裁判官の『常識』が世間とズレているなら、市民感覚を入れるべきだ」「冤罪を防ぐブレーキになるかもしれない」反対派:
「マスコミの報道や感情に流されて、逆に厳罰化が進むのではないか」「素人が人の人生を左右する責任を負えるのか」
この「正解のない問い」を抱えたまま、私たちは次のステップへ進みました。
3. 課外授業:霞が関・東京地方裁判所へ
議論を深めたあと、学校の長期休みを使って私たちは教室を飛び出しました。選択教科の受講者約20名を連れて、東京地方裁判所へ裁判傍聴に向かったのです。
地下鉄の霞が関駅を降り、物々しい手荷物検査を経て建物の中へ。ファイルに並ぶ無数の事件名。窃盗、薬物、交通違反、そして映画と同じ迷惑防止条例違反。私たちは、ある事件の法廷に入り実際の裁判を傍聴しました。
裁判傍聴後、生徒たちそれぞれに感想を聞いてみました。
「『意義あり!』みたいなドラマチックな展開はないんだね。淡々と、事務的に進んでいくのが逆に怖かった」
「被告人が手錠と腰に縄がつけられているのが衝撃的だった。」
「裁判官も検察官も弁護士も、見てると普通の人だと思った。だからこそ、間違いが起きる可能性も理解できた」
映画で「知識」を得て、ディスカッションで「思考」を深め、実際の傍聴で「実感」する。このステップを経て、生徒たちは「司法は自分たちに関係のない遠い世界の出来事ではない」という当事者意識を持ったのだと思います。
4. 教室の外へ広がる学び:映画から現実へ
さて、この授業はここで終わるはずだったのですが、生徒たち自らで続きの授業を始めていきました。
新学期早々、「先生、この間も地裁に行ってたんだ」と数人の生徒が報告に来たのです。授業という枠を超えて、自発的に「現実の司法」を確かめに行く。これこそが、学びが「自分事」になった瞬間でした。
さらに、「先生、これから始まる裁判員制度に興味を持ったから、何かそれに関する映画ってないかな」と聞いてきた生徒もいたので、私は「この2つの作品を両方みると面白いよ」と紹介しました。
『12人の怒れる男』 (アメリカ映画の金字塔。陪審制の理想と現実を描く)
『12人の優しい日本人』 (三谷幸喜脚本。もし日本に陪審制があったら?という仮想の作品)
すると、「もっと知りたい」と関心を高めた生徒たちの数名は、早速ビデオショップへ走り、これらの作品を自主的に鑑賞。後日、「もし日本人が陪審員になったら、やっぱり同調圧力に負けちゃうのかな?」などと、映画の内容を現実の日本社会に照らし合わせて話す姿が見られたのです。
5. おわりに:主権者として法廷に立つということ
『それでも僕はやってない』のラストシーン、主人公が語る言葉は、今も私の心に深く残っています。
「裁判官は、神様ではありません」
裁判員制度が定着した今、私たちは「裁く側」に立つ可能性を常に持っています。その時、私たちは何を根拠に人を信じ、何を基準に判断を下すのか。
冒頭でお話しした「両手で吊革」という自衛策は、悲しいかな、今の日本社会で自分を守るための知恵です。しかし同時に、そんな自衛をしなくても「正義が守られる」と信じられる社会をどう作るか。
この授業を受けた生徒たちが、いつか裁判員として呼び出された時、あの日の霞が関の空気と、映画が問いかけた「疑わしきは被告人の利益に」(推定無罪)という原則を思い出してくれたら。教師として、これ以上の喜びはありません。
映画は、単なるエンターテインメントではありません。社会の歪みを映し出す鏡であり、自分たちの生き方を問う「生きた教科書」でもあります。
教室で映画を観て、仲間と議論し、実際に法廷の空気を吸う。この一連の体験を通じて、生徒たちは「99.9%」という数字の裏側にある、一人ひとりの人間の人生と、それを守るための「法の精神」に触れることができたのだと信じています。
皆さんは、もし裁判員に選ばれたら、自信を持って判断を下せると思いますか?
また、満員電車での「自衛策」や、日本の司法制度について感じていること、あるいは司法をテーマにしたおすすめの作品があれば、ぜひコメントで教えてください。
今日の映画の話が、社会科の面白さを思い出すきっかけになれば嬉しいです。 この作品を「中学社会科の視点」で読み解く授業は、メンバー限定でお届けしています。 大人の学びなおしとしての社会科を、一緒に楽しみませんか。
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