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オイルショック時の日本政府対応を見てみると、行動が今とまるで違う☆メンバーシップ記事(ご入会ですべての有料記事をお読みいただけます)

 先日、知り合いから「1億人の昭和史」シリーズ22冊をご寄贈いただきました。このシリーズは戦時中のものしか持っていませんでしたので、明治大正期、そして戦後の1976(昭和51)年までを網羅できるようになりました。

 まあ、歴史学研究会の年表でもかなりのことは分かりますが、新聞記事や写真、当時の識者の評論などがあるだけに、時代を読むには役立ちます。そこで、現在の状況に鑑みて、オイルショック当時の記事を少し追いかけてみました。

オイルショック当時を収録した「一億人の昭和史9」

 第四次中東戦争に伴う、第一次石油ショックについて。第四次中東戦争は1973(昭和48)年10月6日に勃発、24日に終了しています。その間、16日にOPEC(石油輸出国機構)湾岸6カ国が石油公示価格を70%引き上げ、OAPEC(アラブ石油輸出国機構)が生産削減と供給制限を段階的に行うと発表(5%)。さらに、18日にはサウジアラビアがイスラエルの占領地撤退までイスラエル支持国への経済制裁として石油禁輸を決定、OAPEC諸国も追随して原油の対米・オランダ禁輸を行っています。

一億人の昭和史9より

 日本は、イスラエル支援国家のアメリカと軍事同盟を結んでいる関係があったことから、イスラエル支援国家とみなされる可能性が高かったため、政府は11月20日、イスラエル軍撤退要求などの「新中東政策」を閣議決定。田中角栄首相は三木武夫副総理を12月10日から28日まで中東8か国に派遣して日本の立場を説明し、支援国家リストから外すように交渉。その結果、OAPECは25日、日本を「友好国」と宣言して、必要石油量の供給を決定しています。石油戦略の発動から、およそ2カ月後のことでした。

一億人の昭和史15・昭和史写真年表より

 また、それより先の11月16日に、政府は緊急対策要綱(消費節約運動の展開、石油・電力の10%使用節約、便乗値上げ・不当利得の取締りと公共施設等への必要量確保、国民経済および国民生活安定確保のため必要な緊急立法の提案、総需要抑制策と物価対策の強化、エネルギー供給確保のための努力)を閣議決定。石油大口需要産業への供給削減、大口電力の使用規制、マイカー使用の自粛などの行政指導を始めました。
 27日には公正取引委員会が石油連盟や日石など13社を独禁法違反容疑で強制捜査に入りました。翌年の1974年2月5日、公取委は石油元売り12社の前年秋の石油製品値上げを「ヤミ協定」として破棄を勧告しています。

一億人の昭和史9より

 また、三木副総理の中東訪問中、石油需給適正化法、国民生活安定緊急措置法を1973年12月1日から開かれていた国会で決定し、22日に公布して事態の深刻化に対応していきます。
 石油需給適正化法は12月22日の石油緊急事態宣言で発動しました。同法は、日本への石油の大幅な供給不足が生ずる場合に、石油の適正な供給と石油使用を節約する措置を講ずることで、石油の需給を適正化することを狙っていて、国際的な不測の事態などによる緊急時対策を目的としたものでした。

 このように、政府はさまざまな対応をとっていましたが、それでも、当時の毎日新聞(1973年11月23日付)掲載の正村公宏・専修大助教授は、下写真のように書き出します。

 そして、インフレ心理からの買いだめといった状況下での石油危機への対応を中心とする「統制的立法を用意せざるをえなくなっている現在の事態は、まさにそうした悪いケースの典型というほかない」と断じています。

 中の人はこのころ、小学生で、激しいインフレとモノの変化を体験していましたが、政府対応などは理解できていませんでした。今回、あらためてその時の政府対応の流れを知り、2026年2月28日のアメリカとイスラエルによる一方的なイラン攻撃に端を発した石油輸入途絶の2026年5月14日現在における政府の対応を比較してみた時、日本の政治の現状に、大きな憂いを感じざるを得ませんでした。

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