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人は自分が若者だった頃のことを都合よく忘れる

三十を過ぎる頃になると、「最近の若いやつらは」と言う者が現れ出す。

その言葉は、ずいぶん昔から繰り返されてきた。時代ごとに、若者には名前がつけられてきた。団塊、新人類、氷河期、ゆとり。呼び方は違っても、語られている内容はどこか似ている。

最近の若者は苦労を知らない。根性がない。常識がない。そういう話だ。
ただ、若者について語っているようで、そこにはいくつかの話が混ざっている。世代の話には、少なくとも三つの視点がある。年齢効果、世代効果、そして時代効果だ。

「最近の若いやつら」ときたら

年齢効果とは、単に若いからそう見える、というものだ。経験が少ない。判断が荒い。流行に敏感。これはどの時代でも、若者にある程度共通する特徴だろう。

世代効果とは、その世代特有の背景だ。同じ年齢でも、育った環境や社会状況が違えば、価値観や行動も変わる。例えば、バブル期に社会に出た人と、就職氷河期に社会に出た人では、同じ二十代でも見ている世界はかなり違う。

時代効果とは、社会そのものが変わることで、人の行動も変わることだ。スマートフォンが普及すれば、人はスマホを見るようになる。それを見て「最近の若者はスマホばかりだ」と言う人もいるが、そこには時代の変化も含まれている。

若者の行動を見て、「最近の若いやつらは」と言うとき、その人は何を見ているのだろう。

若いからそう見えるのか。
世代特有なのか。
時代が変わったのか。

多くの場合、この三つは混ざったまま語られている。

ここには、ある認知の癖があるのかもしれない。人は、自分が変わったことに気づきにくい。

人は年を取る。内面の感覚は、思ったほど変わらない。自分の中では、昔から同じ自分のままだ。ところが、周囲の環境は少しずつ変わっていく。若者の行動も、社会の仕組みも、技術も変わる。

そのとき、人はこう感じる。
若者が変わった、と。

若かった頃には当たり前だった行動も、年を取ると違って見える。かつての自分なら気にしなかったことが、今の自分には気になる。自分も変わっているのだが、その変化は、自分ではなかなか自覚できない。
ここで思い出したい言葉がある。

初心忘るべからず。

この言葉は、教訓というより、人は簡単に初心を忘れるという人間の癖を言っているのではないか。若い頃、自分がどれだけ未熟だったか。どれだけ試行錯誤していたか。どれだけ周囲に迷惑をかけていたか。そういう記憶は、時間が経つと少しずつ薄れていく。すると、目の前の若者だけが未熟に見える。

若かった自分を、どれだけ覚えているだろうか

「最近の若いやつらは」という言葉を聞いたときには、少し立ち止まってみたい。自分は、若かった頃の自分をどれだけ覚えているのだろうか。
今の若者を見ているつもりで、かつての自分を忘れているだけではないのか。

まず疑うべきなのは、若者ではなく、自分の記憶なのかもしれない。

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