今月末に控えている模擬授業が既にストレス
私を散々苦しめたあの模擬授業から早1ヶ月、なんと今月も模擬授業をしなければならない(今度は中級)。日本語教師というキャリアへの期待、希望、意欲が低下し続ける中での中級模擬授業は本当にストレスでしかなく、あっという間に来るであろうその日を既に恐れ始めている。最早私が日本語教育を学ぶ理由は、この分野の専攻と国家試験合格という肩書きを得るため、ただそれだけに他ならない状況となっている(これほどまでに幻滅するとは考えもしなかった)。
つまり私の考え方は次のような変遷を辿ったわけだ。
この道で最善を尽くす
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必要最低限の努力で如何にギリギリ合格点を取るか
日本語教育に関しては本当にこのことしか考えられなくなった。そして時間が経つにつれて、ある業界人のブログにこのようなことが書かれていたことの本質的な意味をまざまざと理解するようになってきた。
「日本語教員養成講座のクラスメイト(25人)で日本語教員試験に合格し、日本語教員として働いている人は何人だと思いますか?正解は…ゼロです!
しかも、私のクラスで日本語教員試験に合格したのは私を含め2人でした。その他は、受験しなかった&不合格。再受験を目指しているのも3人だけです」
私は初めてこの文章を読んだ時に「いやいや流石に嘘でしょ」と思ったが、そんなクラスがあっても何ら不思議ではないというのが今の見解である。
さて、恐らくこのブログの読者は私についてこう思っているだろう。
「で、散々文句ばかり言って、結局君は何がしたいのかね?そうやってただ努力したくないだけなのに、自分の外部の要因、つまりここでは日本語教育という業界を悪者に仕立てて自分の怠惰を正当化しているだけじゃないのかい?」と。
御名答。実は私も大変にそれを危惧しているのだ。国家試験の勉強の苦行具合に圧倒されてそこから現実逃避する自分を正当化するために、そもそも挑戦している目標自体に欠陥があるという論法を取っているのではないかと。当然自分をそうした懐疑の目で見つめることはある。だが見つめた結果出た結論というのが、前述した通り、必要最低限の努力でギリギリ合格点を狙う。このスタンスなのだ。
何故か分からないが、ここから完全に逃げてしまっては本当に人として終わってしまうことは何となく分かるのだ。興味も意欲も無いし苦しいけれども、模擬授業はそれなりに良い経験になることは承知している。もし私が前回の模擬授業から逃げていたらどうなっていたことだろう?あの苦しみを避けていたら?きっと未だにこの業界に何らかの希望を抱きながら暗闇を彷徨い続けていたに違いない。全く適正が無いにも関わらずだ。
ここで言う適性とは、私が他の受講生を見ていて感じた差のことである。私にはとても信じられなかったのだが、どうやら準備から実践までのプロセスを純粋に楽しめる人が一定数存在するようなのである(私がそれに該当しないのは言うまでもない)。それは彼らの模擬授業中の表情や授業内容を見れば一目瞭然であった。
さて、このブログを書きながら一つ決心したことがある。恐らく月末の模擬授業では前回と同様にグループで作業をすることになるのだが、絶対に自分が意欲の低い人間であることは漏らさない。当たり前のことなのだが、そうやって模擬授業準備段階から「意欲低いのでこんなもんです」と予防線を張るような生き方はあまりにも無様である。いい歳してそんな態度は許されない。やはりそんな状態でも最低限チームの足は引っ張らない程度に、それなりに神経は使って頑張りたいと思っている。それが私に出来る限度というものだろう。
さて、レポートでも書こうか
