横須賀ストーリー
本籍のある横須賀市から通知が届いた。戸籍法改正で戸籍にフリガナを記載するらしい。
20代の頃、縁もゆかりもなく、1年にも満たない期間暮らしただけの横須賀を本籍地にしたのは、どういう成り行きだったのか忘れてしまったけれども、その後、何度引っ越しても本籍地を変える気にはならなかった。本籍地は横須賀市不入斗(いりやまず)、山口百恵が育った地域だが、ファンだった覚えは無い。
通知が届くまで、本籍のことなど忘れてしまっていたが、東京を離れるにあたって、もう一度見に行こうと思った。いや、その前に写真を撮り始めてから二度ほど横須賀に行った。写真家の森山大道や石内都が撮影した横須賀。いまやどぶ板通りも観光地化され、『ヨコスカ』のいかがわしさも『ベッドタイムアイズ』の淫靡さも消えていた。ビーチボーイズの『スマイリー・スマイル』を買ったラッキーレコードはまだあるようだが、見つけられなかった。つまらなくなったどぶ板通りを歩きながら、小高い山のコンクリートの石段を何段も登ったところにあった、昔暮らした借家を見に行ってみようと思った。30年以上前の記憶を頼りに、いくつかの石段を何度も上り下りしてみたが、その家は無かった。暮らしていたころすでに家の中をムカデが這うようなボロ屋で、急傾斜地崩壊危険区域にあったし、東日本大震災もあったので、さすがに取り壊されてしまったのだろうと思うが、登った石段に違和感があった。もしかすると、ここでは無いのかもしれない。
通知には本籍の住所があった。不入斗以降の番地は忘れてしまっていたのだ。三丁目かと思っていたら、実は四丁目だった。GoogleMapで検索してみると、見覚えのある地形だった。そして昨日、不入斗四丁目に向かった。横須賀中央駅から三崎街道を上がって、いくつかの角を曲がり、ちいさな隧道を越えたあたりから、少しずつ記憶がよみがえってくる。家に向かう石段の向かいの八百屋、建物はまだ残されていたが、廃業しているようだった。元八百屋を背に石段を上る。左右の景色が少しずつ開けてくる。雑草の生い茂る斜面の上に、その借家はまだあった。かろうじて建っているその家の、窓の水色のペンキは、かつて自分が塗ったものだ。人の気配は無かったが、無造作に地面に置かれたポストには名前がある。知らない誰かの暮らしが、今もあるのかもしれない。崩れかけた小さな門の外から何枚か写真を撮って坂を下りた。
アルバイトのような仕事をやめたばかりだった。横須賀に引っ越そうと思い付いて、安い借家を探した。正面にもう一つ山があるので海は見えないが、見晴らし、日当たりはまずまずで、家賃の安さ(破格だった覚えがある)と間取りの広さ(縁側付きの六畳二間、三畳一間と四畳半の台所)で借りることにした。まだ十代だったその時の彼女と不動産屋に行って、借りたいと告げると、不動産屋はけげんな顔をして、「火事をおこしてもいいけど、爆弾だけは作らないでね」と言う。すでに下火だった学生運動もしてないし、もちろん過激派でもない。それにしてもなんでそんなこと言うのか、その時は分からなかった。あとで調べてみると1975年に「横須賀緑荘誤爆事件」というのがあったらしい。不入斗のアパートで中核派の誤爆で活動家三人と、部屋の上階に暮らす、活動に関係のない母娘二人が死亡した事件だ。多分、緑荘の管理をしていたのもその不動産屋なのだろう。そうでなければ、冗談でもそんなことは言わないはずだ。
ともかく、その借家はまだあった。そしてその家が建っている限り、本籍地を変えることはないのだろう。
