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福祉は誰を守るのだろう  〜13年間、叔父の介護代理人として私が見たもの〜

               
 私は十三年間、叔父の介護代理人として歩んできた。介護は、一日や一年では終わらない。病院への付き添い、施設との連絡、ケアプランの確認、行政との相談、家族としての決断。その一つひとつが積み重なり、いつしか介護は生活の一部になっていた。

 この十三年間で、私は本当に多くの人に助けられた。利用者の尊厳を何より大切にする看護師。忙しい中でも家族の話を最後まで聞いてくださる職員。制度を丁寧に説明してくださる市役所の職員。困ったときに寄り添ってくれた地域包括支援センターの担当者。

 福祉の世界には、人として尊敬できる方がたくさんいる。だから私は、介護という仕事を今でも誇りある仕事だと思っている。また、実のところ、介護福祉士の養成の一端に携わらせていただいている。

 しかし、その一方で、どうしても忘れられない経験がある。ある施設、特養で出会った相談員との出来事だった。相談員とは、本来、利用者と家族を支える存在だと思っていた。困っている人の話を聞き、施設との橋渡しをする専門職。私は、その役割を疑ったことがなかった。ところが、現実は私の想像とは違っていた。

 利用者家族も高齢になり、老々介護を余儀なくされている。高齢者相手に、素人相手に、高額な車椅子を買うように執拗に求め、断ると、「もっと安い施設がありますよ、さいたま市の◯◯」というように、施設名を具体的に挙げて退去をほのめかすようなことも度々。説明や根拠を求めても応じてもらえない。挙句のはてに、「◯さんが車椅子を独り占めをしていて、他の方が使えず困っているんですよ」と。
特養で100人規模なら、特殊車椅子はいくらかは備えが有り、在宅生活なら福祉用具の購入は想定内だが、介護保険制度下での特養での暮らしで、なぜ、車椅子をかわなければならないのか?質問をしても、説明が変わる。こちらが問題のある家族であるかのような空気になる。

 挙句の果てに、高齢の素人家族相手に、一方的にまくしたてる。ちにみに、キーパーソンは姪であり、若手の利用者家族には言ってこない。後にわかるのだが、所内でカンファレンスや検討会議もせずに、場当たり的に高額車椅子を売りつけようとしていた実態が明らかになった。

「なぜだろう。」
最初は、そう思うだけだった。介護の現場は忙しい。行き違いもある。そう自分に言い聞かせていた。しかし、違和感は消えなかった。家族として利用者の生活を守ろうとすることが、いつしか対立と受け止められるようになった。

 私は何度も考えた。
福祉とは何なのだろう。
弱い立場の人を守るためにある制度ではなかったのか。そこに働く「人」が施設をつくる。一人の誠実な職員が家族を安心させることもあれば、一人の対応によって、長い時間をかけて築いた信頼が崩れてしまうこともある。人手不足は現実である。介護職の負担が大きいことも理解している。

 しかし、人間的に欠落した、知識や経験が未熟なものに、パワーをあたえてしまったかのように、権力をふりかざす。弱者相手に仕事をしているからだろうか?相談員が権力をもったかのような勘違いを生ませてしまう。私の友人の中には素敵な相談員もいる。包括支援センターの方にも、「おかしい、代弁しましょうか」と言ってくださるかたもいた。その言葉にただただ救われた。
また、県の介護保険課からは施設に指導が入ったが、相談員は配置換えや移動もなく現在もいつづけている。

 人と向き合うための十分な教育や支援を受けないまま重要な役割を担えば、その負担は利用者や家族へ向かってしまう。
その結果、本来守られるべき人が傷つくのであれば、それは福祉の目的とは逆ではないだろうか。

 この文章は、一人の人を裁くために書くものではない。
ちなみに、問題を施設は認めたが、当人の相談員は、自分は悪くないと騒ぎ立て、話し合いができる状態ではないという理由で、こちらが何度も協議と事実確認をもとめたが、本人からの謝罪の言葉はない。
また、施設ぐるみで相談員をかばい叶いませんでした。

ある時、施設長が机に頭が着くほどに謝罪をしたが、本人は雲隠れ。施設長は17回にもわたり面談をし、「教育をするような年齢でもないが、教育をするということを名目に、勘弁してくれ」と言わんばかり。

 子供だって、悪いことをすれば、ゴメンなさいをするのではないだろうか?
また、前職でもトラブルが有り、この度の事で、当時の事がフラッシュバックし、自分がたもてないくらいにヒステリックになっているとか。

 施設長も協議の段階で、相談員に対して、「なぜそんなふうな思考になるのか?なぜそんなふうな受け止め方をするのだろうか?疑問を感じていたが、こちらとの話で腑に落ちた」とか。
いわゆる、認知の歪み、白黒思考などなどがあるのだろうなと言う話にもなった。

 また、施設長は、相談員にたいして「本来は支援する側だが支援される側の状況の人でもあり、彼女自身にケアが必要、、」とまで、施設長は口にされた。

 しかし、残念ながら、彼女から謝罪の言葉をきくとができず、辞めるやめないと騒ぎ立て、結局は施設長まで脅かしの言葉でふりまわすはめに。結局、やめるつもりは毛頭ないのに。

 私が十三年間の介護の中で見た現実を記録し、福祉に携わる人たちと共に考えたい。利用者の尊厳とは何か。家専門職としての責任とは何か。そして、福祉は本当に弱い立場の人を守る仕組みになっているのか。この問いに、簡単な答えはない。

ちなみに、施設長は社会福祉士と名乗っている。今回の問題は、決して難しいことではないのに。社会福祉を学んだものが、真実を明らかにすることから遠ざかり、保身に走る。どこで学んだのかはわからないが、、残念でならない。

母は高齢で持病もある。相談員からの脅かしで、施設に行くのが怖くなり、体調が悪化して入院のなった。

同じように悩み、傷つき、声を上げられずにいる家族が、決して一人ではないことを伝えるために。もしこの文章が、誰かの心に届き?十三年間の経験にもなにかしらの意味があったと信じたい。

 今回、人生で初めての発信になる。
友人に勧められて筆をとってみた。
あまり文章はうまくなしい、つかれきってしまい、なかなか書く意欲もわかない。
何をいっているのか?さっぱりわからないかもしれないが?
だけど、すこしだけかいてみようかな?と恐る恐る筆をとってみた。合掌

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