#482 足利尊氏はなぜ「悪人」扱いされるのか?
日本史には、
「日本三大悪人」
と呼ばれる人物がいます。
・道鏡
・平将門
・足利尊氏
の三人が挙げられることが多いと言われています。
※諸説あり
道鏡は皇位を狙ったとされる僧侶。
平将門は朝廷に反乱を起こした武将。
一方で足利尊氏はどうでしょうか。
鎌倉幕府を倒し、室町幕府を開いた人物です。
教科書では「新しい幕府を作った人」として登場します。
では、なぜ悪人扱いされることがあるのでしょうか。
その理由は、歴史の勝者と敗者、そして後の時代の政治思想にありました。
足利尊氏は何をした人なのか?
足利尊氏は鎌倉時代末期から南北朝時代にかけて活躍した武将です。
もともとは鎌倉幕府に仕える有力御家人でした。
足利氏は源氏の流れをくむ名門であり、将軍家とも血縁関係を持つ有力な武家でした。
当時の鎌倉幕府は成立から約150年が経過し、政治の混乱や御家人たちの不満が高まっていました。
そんな中、後醍醐天皇は天皇中心の政治を取り戻そうとして幕府打倒を目指します。
当初、尊氏は幕府側として後醍醐天皇の討伐に向かいました。
しかし途中で幕府から離反し、後醍醐天皇に味方して京都の六波羅探題を攻撃します。
この行動によって鎌倉幕府は大きく揺らぎ、最終的に滅亡へ向かいました。
つまり尊氏は、鎌倉幕府を滅ぼした最大の功労者の一人だったのです。
しかし、その後さらに大きな転機が訪れます。
幕府滅亡後、後醍醐天皇は
「建武の新政」
を開始しました。
ところが、この政治は武士たちの期待に十分応えられませんでした。
恩賞の不足や公家中心の政治への不満が広がります。
そこで尊氏は武士たちの支持を集めるようになり、やがて後醍醐天皇と対立します。
そして京都を掌握し、新たな武家政権である室町幕府を開きました。
現在から見ると、
・鎌倉幕府を倒した人物
・室町幕府を作った人物
という二つの大きな功績を持つ人物です。
しかし同時に、
・鎌倉幕府を裏切った
・後醍醐天皇とも対立した
人物でもありました。
このことが後世の評価を大きく分けることになります。
もっとも、この時点ではまだ「悪人」という評価が定着していたわけではありません。
水戸学が尊氏を「逆臣」にした
しかし、尊氏が悪人扱いされる最大の理由は中世ではなく、江戸時代後期から始まります。
当時、大きな影響力を持った学問が水戸学でした。
水戸学は、
「天皇を中心とする国家こそ正しい」
という考え方を重視していました。
この思想は後に幕末の志士たちが掲げた尊王攘夷へとつながっていきます。
その中で、歴史上の人物も、
「天皇に忠実だったかどうか」
という基準で評価されるようになります。
その結果、南朝と戦った足利尊氏は
「正統な天皇に反抗した人物」
として見られるようになりました。
つまり、尊氏が逆臣と呼ばれるようになった土台は、水戸学や尊王攘夷思想の中で作られたのです。
明治政府がその歴史観を受け継いだ
明治維新によって成立した明治政府は、
天皇を中心とする国家
を目指しました。
そのため政治制度だけでなく、歴史の解釈にも大きな影響を与えます。
特に重視されたのが、
南朝こそ正統な朝廷である
という考え方でした。
すると当然ながら、
南朝に忠誠を尽くした人物は忠臣、
南朝と戦った人物は逆臣
として評価されるようになります。
その代表例が、
楠木正成と足利尊氏
です。
楠木正成は後醍醐天皇に最後まで忠義を尽くした武将として、
「忠臣の鑑」
のように扱われました。
皇居前広場に楠木正成の銅像がつくられたのもそうした背景があります。
一方で足利尊氏は、
南朝と戦い、北朝を支えた人物として、
「逆臣」
という評価を受けることになります。
しかし実は、こうした評価は中世から続いていたわけではありません。
明治政府が南朝正統論を採用したことで、
学校教育や歴史書にもその考え方が反映されるようになります。
つまり、
足利尊氏が悪人扱いされるようになった背景には、
実際の行動だけでなく、
江戸時代から明治時代にかけて作られた歴史観
が大きく関係していたのです。
戦後になると評価が変わった?
ところが戦後になると状況は大きく変わります。
歴史研究が進み、
「本当に尊氏は悪人だったのか?」
という見直しが行われるようになりました。
現代の歴史学では、
尊氏を単純な裏切り者と評価する研究者は多くありません。
むしろ、
・武士社会の現実に対応しようとした人物
・南北朝の混乱を収めた人物
・室町幕府を築いた政治家
として評価されることもあります。
実際、約240年続いた室町幕府の基礎を築いた功績は非常に大きいものです。
現在の教科書でも、尊氏を悪人として扱うことはほとんどありません。
歴史の評価は時代によって変わる
足利尊氏が悪人扱いされた理由は、
実際に悪事を働いたからというより、
後の時代の政治的な事情による部分が大きかったと言えます。
鎌倉幕府を倒し、後醍醐天皇とも対立し、室町幕府を開いた。
その行動は見る立場によって、
英雄にも裏切り者にも見えます。
そして後世の歴史観は、長い時間をかけて尊氏を「逆臣」と位置付けました。
歴史は単なる事実の集まりではありません。
その時代の価値観によって評価が変わることがあります。
足利尊氏が悪人と呼ばれた歴史は、
「歴史は誰が語るかによって見え方が変わる」
ことを教えてくれる代表的な例なのです。
もしかすると、
悪人だと思っていた人物が、別の時代では英雄と呼ばれることもあるのかもしれません。
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