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#414 天皇になろうとした僧がいた? 日本三大悪人「道鏡」とは何者だったのか?

日本史には、「日本三大悪人」と呼ばれる人物たちがいます。

一般的には、平将門・足利尊氏・道鏡の3人を指すことが多いと言われています。もちろん、これは後世の歴史観による部分もあり、「本当に悪人だったのか?」については議論があります。たとえば、足利尊氏は室町幕府を開いた人物ですし、平将門も関東では英雄視されることがあります。

その中でも、特に異彩を放っているのが道鏡です。なぜなら道鏡は、武士でも貴族でもなく、「お坊さん」だったからです。

しかも、ただの僧侶ではありません。なんと、日本の政治の頂点に立ち、さらには「天皇になろうとした」とまで言われている人物なのです。

現代の感覚でいえば、「宗教家が国家のトップになろうとした」という話ですから、かなり衝撃的です。なぜそんなことが起きたのでしょうか。そこには、奈良時代の仏教と政治の深い関係、そして一人の女帝との特別なつながりがありました。

奈良時代は「仏教の力」が強かった

現在、日本では「お坊さん=お寺でお経を読む人」というイメージが強いかもしれません。しかし奈良時代の仏教は、今よりずっと政治と深く結びついていました。

当時の朝廷は、「仏の力で国を守れる」と考えていたのです。たとえば、東大寺の大仏建立も、「国家を守るため」の巨大プロジェクトでした。

つまり奈良時代のお坊さんたちは、単なる宗教家ではなく、国家を支える重要人物でもあったのです。その中で急激に出世していったのが、道鏡でした。

女帝・孝謙天皇との出会い

道鏡が歴史の表舞台に現れるきっかけとなったのが、孝謙天皇との出会いです。孝謙天皇は、後に「称徳天皇」とも呼ばれる女性天皇でした。

あるとき、孝謙天皇は病気になったと言われています。その際、道鏡が祈祷を行ったところ、天皇の病状が回復したとされました。

これをきっかけに、孝謙天皇は道鏡を深く信頼するようになります。ここから道鏡の人生は、一気に変わっていきました。

お坊さんなのに「大臣」より偉くなった

道鏡は、天皇の信頼を背景に異例のスピードで出世していきます。

最終的には、「太政大臣禅師」「法王」という、前例のない地位にまで上り詰めました。特に「法王」という称号は非常に異例です。政治と宗教、両方のトップのような存在だったとも言われています。

つまり当時の道鏡は、「日本で最も権力を持つお坊さん」だったのです。当然、貴族たちの中にはこれを快く思わない人もいました。しかし、天皇の後ろ盾を持つ道鏡には逆らえませんでした。

「天皇になれ」という神のお告げ?

そして、道鏡事件最大の衝撃がここです。

あるとき、九州の宇佐八幡宮から、「道鏡を天皇にすれば天下は平和になる」という神託が届いたのです。

もしこれが実現していたら、日本史は大きく変わっていたかもしれません。なぜなら、日本では天皇は皇族が継ぐものと考えられていたからです。

つまり、皇族ではないお坊さんが天皇になるなど、前代未聞でした。しかも道鏡は僧侶です。現在の感覚でいえば、「宗教指導者が国家元首になろうとしている」ようなものです。

当時の貴族たちが大騒ぎになったのも当然でした。

命がけで道鏡を止めた男

ここで登場するのが、和気清麻呂です。

朝廷は、「本当に神様はそう言ったのか」を確認するため、和気清麻呂を宇佐八幡宮へ派遣しました。

すると、宇佐八幡宮の本当の神託は違っていたと言われています。清麻呂が持ち帰った神託は、「皇位は必ず皇族が継ぐべきである」という内容でした。

つまり、「道鏡を天皇にしてはいけない」という意味です。当然、道鏡は激怒します。

和気清麻呂は左遷され、九州へ追放されてしまいました。しかも、『続日本紀』によれば、清麻呂は名前まで変えられ、「別部穢麻呂(わけべのきたなまろ)」という屈辱的な名前を与えられたとされています。

「穢(きたな)」という字を使った、かなり露骨な嫌がらせです。
それほど当時の道鏡は強大な権力を持っていたのです。

道鏡はなぜ失脚したのか

しかし、道鏡の権力は永遠には続きませんでした。

770年、孝謙上皇(称徳天皇)が亡くなると状況は一変します。
道鏡を支えていた最大の後ろ盾が消えたからです。

すると貴族たちは一気に反撃に出ました。

道鏡は失脚し、栃木県の下野薬師寺へ左遷されます。
かつて「法王」と呼ばれ、日本最高権力者のように振る舞っていた人物は、政治の表舞台から消えていきました。

なぜ道鏡事件は重要なのか

この事件は、日本史に大きな影響を与えました。

朝廷は、「仏教勢力が政治に入り込みすぎる危険」を強く意識するようになります。そして後に、桓武天皇が奈良から京都へ都を移した理由の一つにも、「奈良仏教勢力から距離を置きたかったこと」があったと考えられています。

つまり、道鏡事件は単なるスキャンダルではなく、日本の政治と宗教の関係を大きく変えた出来事だったのです。

お坊さんが天皇になりかけた奈良時代

私たちの感覚で見ると、「お坊さんが日本を支配しようとした」という話は、にわかに信じがたいものがあると思います。
しかし奈良時代には、それが現実になりかけていたのです。

もし道鏡が本当に天皇になっていたら、日本史はまったく違う形になっていたかもしれません。

歴史の教科書では数行で終わることも多い道鏡事件ですが(中学校の教科書には名前すらないかもしれません)、その裏には、女帝との強い結びつき、仏教と政治の関係、神託をめぐる対立、命がけで反対した官僚など、まるで大河ドラマのようなストーリーが詰まっていたのです。

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