機動の理論について、勝ち目をとことん追求する柔軟な思考
木元寛明氏の解説本『機動の理論 勝ち目をとことん追求する柔軟な思考』を読みました。
前回『戦術の本質』に引き続き、木元氏の著作。
機動。男心をくすぐる甘美な言葉だw
何となく戦術とセットで買って今まで積ん読封印してました。ようやく日の目を浴びる時が来た。
そもそも機動とはなんぞや?という概念やその歴史を解説した本になります。
まぁ、本書はフラーの理論の紹介や要約をしてる内容になりますかね。
まず、フラーって誰やねん?って話ですが。
フラーはイギリスの軍人です。第一次世界大戦で参謀として従軍。
退役後は軍事評論家として研究を発表。その理論が後の戦争や軍事に多大な影響を与えたんだとか。
現代人が思い浮かべる機動戦や機動力の意味合いや概念は、そもそもこのフラーの提唱が今に伝わってるということらしい。
どうやら著者の木元氏はこのフラーに大変な敬意をお持ちで。文面からそれが伝わってきます。
知られざる軍事研究家・フラーの知名度の低さをかなり憂いてて、本書で改めてフラーの業績や後世への影響を示しています。
フラーはファシズムに傾倒してたようで、それが業績に影を差したり敬遠されてる理由なんすかね。
まぁ、フラー本人の思想は置いとくとして、本書の内容は興味深くて非常に面白かった。
フラーが立案した幻の作戦《Plan1919》。
敵軍の首脳部・指揮系統を物量と奇襲により圧倒し、降伏へ追い込む頭脳破壊戦。
戦車の登場や戦闘機の活用。新技術をどう実際の戦争に落とし込むか。
しかし、技術の進歩はあくまで条件が変わるだけで、戦い方はアレキサンダーやナポレオンの戦歴に照らされて適合する。
時代が進むのに方法は回帰するのが、何とも不思議で面白い。
現実に適応するという考え方は柔軟なだけに選択も無限にあって、戦争であれ文化であれ、人類の進歩は本当に途方もなく感じる。
そのPlan1919から端を発して、ドイツの電撃戦やソ連の縦深突破理論。
IDFの中東戦争や米軍のエアランドバトルや砂漠の嵐作戦へ綿々と繋がっていくんは木の成長を見てるみたいで関心させられる。
近年の米軍の攻撃、イランやベネズエラでも、相手の弱点を急襲し一撃離脱。
正にフラーの提唱する頭脳破壊と機動戦にそのまま則ってますからね。影響力恐るべしです。
戦術やドクトリンの成長、時代の潮流を受け入れて研究する重要性が、どれだけ大切かが読んで身に染みました。
特に日本という国はそれを理解できずに敗北していった訳で。
ノモンハンで最先端のソ連軍と戦えたのに、そこから何も学ばす教訓とせず、太平洋戦争へ突入しちゃったし。
反省と修正。現実に適応する。分かってても難しいんだろうけどね。
電撃戦でフランスを一ヶ月で落としたドイツ軍も、その後のソ連侵攻は散々な目に会ってます。
フランス侵攻が快勝だっただけに分析が滞ってしまう。経験の蓄積が活きないというか。
成功体験が人間の心にストッパーをかける。勝利や成功は誘惑の始まりでもある。勝敗はそういう意味でも紙一重なんでしょうね。
それにソ連侵攻はフラーの機動戦に反した戦い方でもあったんで。
勝者の驕りや軽挙妄動は呪いのごとく、現実の教義を犯した者を容易く突き落とす。
ドイツを打ちのめしたソ連もロシアへ変わり、現代のウクライナ戦争。
赤軍野外教令、全縦深同時打撃。フラーの機動戦論を見事に昇華した軍隊が今やヘッポコに成り果てて、見る影もないのが何だか悲しくなってくる。
経験や教義は形骸化する。常に軍隊はブラッシュアップしないといけない。
それは実戦からしか得られない。勝ち戦ですら反省が必要。
中東戦争で連勝してるIDFも、今までの戦争はピンチの連続でもあり。
第四次中東戦争ではエジプト軍との緒戦に敗北して窮地に追い込まれる。
敵も学んで成長する。だから、勝ちに驕らず、負けてもへこたれない。
戦争は学習と忍耐力、人間同士、永遠のイタチごっこなんすね。
そして、機動という概念は今や意志力や精神力までを含めての戦術になっている。
ただちょこまか動くのではなく、常に自軍の有利を考えて、進退自在や攻防一体。
フラーの理論は今や軍隊の血肉として、完全に定着しているのを実感しました。
近代から現代までの戦史、その推移。勿論それだけ血腥い事ではあるんですが。
戦略や戦術が変化・進化していく様が、人類の残酷さと雄大さをまざまざと証明している。読んで圧倒されました。
今後も新しい戦術がどんどん発展していくし、それは止め様がないと思う。
その発展の度に戦争という人類の宿業が影を濃くして、フラーの機動戦という光を織り交ぜ、更に妖しく艶めくことでしょう。
では、また。
