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フジファブリックというバンド【前編】2004-2014/イメージと内省の風景

2025年2月6日、NHKホールでのワンマンライブをもってフジファブリックが活動休止に入る。2000年結成、2004年にメジャーデビューして以降、一度も足を止めることのなかったバンドであり、かねてより「解散しない」と公言してきたからこそその驚きは大きい。2009年に当時のフロントマンであり、結成の中心人物だった志村正彦を亡くし、オリジナルメンバーが不在になってなお15年もの期間、人気と活動規模を維持しながら活動を行ってきた歴史は異質かつ偉大だ。その歩みが一旦の中断される重みは計り知れない。

本稿はフジファブリックの歩みを批評的に捉えようと試みた文章である。彼らの音楽性は常に同時代のバンドと比べて独特かつ読み解き甲斐のあるものでありながら、フロントマンが途中で変わる出来事もあってか1組のロックバンドとしてその性質が一貫性のある目線で語られることが少なかったように思う。また「若者のすべて」という巨大な名曲に常に"語り"が回収されがちなバンドでもある。活動休止ライブには行くことはできないが、リアルタイムでその変貌を目撃してきた身として、本稿をその異質で偉大な歴史に捧げたい。


"イメージ"のバンド

1stアルバム『フジファブリック』(2004)で印象的なのはその情景描写の数々だ。まず目の前に景色があり、次に“感覚”が現れ出る。強いメッセージではなく、ソングライター志村正彦の胸に去来したイメージがその姿形のまま書きつけてある。そして時にオリエンタルなフレーズ、時にフォーキーな質感が冴えるアレンジが情景と感覚を同時に喚起してゆく。片寄明人(GREAT3)との共同プロデュースで手にしたサウンドがその詞世界を際立たせるのだ。

窓からそっと手を出して
やんでた雨に気付いて
慌てて家を飛び出して
そのうち陽が照りつけて
遠くで陽炎が揺れてる 陽炎が揺れてる

「陽炎」

いつの間にか地面に映った
影が伸びて解らなくなった
赤黄色の金木犀の香りがして
たまらなくなって
何故か無駄に胸が
騒いでしまう帰り道

「赤黄色の金木犀」

当時のロックシーンと言えば、ASIAN KUNG-FU GENERATIONを筆頭にストレイテナー 、ART-SCHOOL、ACIDMANなど焦燥的な内省や空想的な詞世界を持つバンドが台頭していた。そんな中、彼らが掬い上げたのは暮らしにある”情緒"そのものであった。言いたいことではなく、そこにあるものを写実的に表現する。歌のためにサウンドが存在し、詞世界を広げるためのアレンジがある。裏を返せばロックバンドとしての主張は抑えめな1作だった。


そのわずか1年後にリリースされた2ndアルバム『FAB FOX』(2005)はバンドらしいアグレッシブさや攻撃性が全面に打ち出されるようになる。楽曲の繊細な情景描写も健在だが芽生えるイメージは徐々に激しく大きなものになっていく。また「マリアとアマゾネス」や「唇のソレ」といった欲望で悶々とした楽曲や、「Birthday」や「ベースボールは終わらない」といったより生活感の強い楽曲も増え、多彩なサウンドと共に表現の振れ幅を見せる。

志村:(「モノノケハカランダ」について)ドカーン!とか、ドバー!とか、ウリャー!とか(笑)、そういうような気持ちを曲にしたかったというか。Aメロとかもあんまり意味ないんですよ。ただ勢いのある言葉を並べてドリャー!っていうのが伝わったらいいなって。

Billboard Japan より

志村:自信みたいなのがついたなと思います。1stの頃はどうしてもいろんなことを気にしていたんですよ。こういうことをやったら、珍しいかなとか。そういう周りを気にしている中で、かっこいいものの基準っていうのがあったんですけど。今は自分がこれはいいと思ったら何をしても大丈夫だと思えるようになってきました。

BARKSより

ライブの活発化やセルフプロデュースへの移行がこの変貌に繋がったのだろう。相変わらず具体的なメッセージは希薄だが、何かが動き出す前のめりなエネルギーや超現実的なダイナミズムを鍛えたグルーヴから抽出ている。この後フジファブリックを評する常套句となる"変態性"に満ちた楽曲を多く揃えつつ、インディーズ時代からの代表曲「茜色の夕日」で締め括った点からも表現者として、バンドとしての確固たる自信を漲らせた1枚と言える。


2006年にドラマー足立房文の脱退がありつつもライブ動員は増え続けるという上昇気流の中で発表された3rdアルバム『TEENAGER』(2008)は、バンドのポップな一面が開花した作品である。志村以外のメンバーが作曲した曲も増え、フジファブリックらしさをバンド全体で構築していった時期の作品と言える。妖しさや不穏さなど前作を印象付けていた要素は控えられ、キラキラとした鍵盤や開放的なギターの音色が新鮮味をもたらしている。

世界の約束を知って それなりになって また戻って

街頭の明かりがまた 一つ点いて 帰りを急ぐよ
途切れた夢の続きをとり戻したくなって

「若者のすべて」

夜には希望がいっぱい こっそり家から抜け出そう
おなかはコーラでいっぱい 朝まで聴くんだAC/DC

それでもいつも物足りない とにかく君に触れられない

「TEENAGER」

前作で手にした"前のめりなエネルギー"の勢いに任せて青春の記憶へと深く潜り込んでいったかのように思える本作。ここで描かれるイメージはさらに鮮明な思い出にまつわるものになっていく。ぼんやりとした景色というよりも具体的な出来事や特定のシーンと呼ぶに相応しい場面の描写が起点となった楽曲が多く、そこには感覚よりも感情が濃く立ち昇るようになる。「若者のすべて」はその最も純朴で切実な側面が刻まれた1曲と言えるだろう。



主体の声

"イメージ"のバンドとして様々な情景を形にしてきたフジファブリックだが、4thアルバム『CHRONICLE』で大きく転換する。ここまで拡張され続けていたバンドの個性的なサウンドを一律化し、シンプルな作風へと傾倒したのだ。パワーポップやハードロックを基調とした楽曲それぞれのバリエーションは多様ながら、いずれもワンアイデアだけで突破していく潔さがある。これらは志村が全て作詞作曲を行い、単独でアレンジしたものである。

志村:メンバーに頼りすぎるのもいけないんじゃないかっていうことに気づいて。いち音楽家として、自分がひとりでどこまでできるんだろうっていうことを考えるようになったんです。

New Audiogramより

志村:誰しもが感じるちょっと後ろ向きなことを楽曲にしたいなって思ったんですよ。ある意味、そういう楽曲を作ることで消化して、辛くなくなるんじゃないかっていう希望を込めたし、当時の僕が、民生さんが"とても辛いよ"と歌う楽曲(ユニコーン「甘い乳房」)に救われたように、僕と同じように満たされない境遇にいる人たちが共感してくれたら、僕がここまでのものを吐き出した労力は報われるんじゃないかなって思いますね。

New Audiogramより

本作に刻まれているのは志村正彦という主体そのものである。前作で記憶を掘り起こした先、向き合ったのは内なる自分が叫ぶ“”だったのだ。ゆえに本作ではイメージと感情の前後関係が反転する。伝えたい想いを優先し、それ以外は背景となる。デビューから5年を経て周囲の多くのバンドマンが行ってきた内省と自己開示を作品へ昇華したのだ。ストックホルムでの初海外レコ―ディグという環境変化もまたパーソナルな独白を促したと言える。


しかし2009年の暮れ、志村が急逝する。4th完成直後から積極的に次作に向けてデモ制作を行っている最中だった。遺された楽曲の欠片を基に山内総一郎(Gt)、加藤慎一(Ba)、金澤ダイスケ(Key)の3人で完成させたのが5thアルバム『MUSIC』(2010)だ。前作を経て再び多彩に変化しつつあったことは明白であり、自らと向き合った先で更に前へ進む意志が込められている。もはやイメージと感情は一体化し、新たなゾーンに到達する最中であった。

まとまっていない気持ちだけれど 届けてみたいから

「会いに」

迷路の中で会おう
にじんだままでもいいよ

まだらな君を見せて
隠したがりでいいね

「Mirror」

このアルバムでは「会いに」と「Mirror」で山内がボーカルを務めている。「Mirror」は鏡に映る自分に向けて歌う曲で、志村の作詞でありながら偶然にも山内の歌い手としての起点が示唆されている。また「会いに」は志村の詞に加藤が加筆して完成させたものでこちらも表現の根源が綴られている。本作をもってフジファブリックの主体は遷移した。それは単に歌声を担う人物が変わっただけでなく、バンドを動かす内なる“声”が3人に増えたことを意味する。


3ピースバンドとしてイチから制作された6thアルバム『STAR』(2011)はバンドのリスタートを告げるに相応しい晴れやかな1作となった。全編を山内がボーカルを担当し、加藤のみならず山内と金澤も作詞を行い、3人が作曲を担う。共作も多数あり、それぞれのアイデアを混ぜ込んだバンド主体のアルバムで、1人の表現主体に依らない作品となった。サウンドは『TEENAGER』期をソリッドに整えた印象で、煌びやかな躍動感が中心に据えられている。

加藤:「後ろ向きなモノが無いように」というか、落ち込む要素は無い方がいいと思ってましたね。特に3人で話し合ってって訳ではなかったんですけど、そこは共通していたと思います。

Billboard japan より

各楽曲の情景描写は少なく、言葉には『FAB FOX』期に顕著な"前のめりなエネルギー"が先鋭化したような強烈な推進力が搭載されている。それこそがこの状況下でバンドを動かし続けるために必要なものだったのだ。3人が作詞をしているにも関わらず、全員がその意志を無意識下で共有したことから最もまとまったメッセージを放つ1作になったと言える。主体が分散されたはずが作品は結果的に1点へ向かう。3人が一塊となる書覚悟を感じる作品だ。


自分自身を歌うこと

7thアルバム『VOYAGER』(2013)はアニメ主題歌やCMソングなどこれまでになくタイアップ曲が多く収録された。志村と比べると山内の歌声は太く真っ直ぐな響きであり、こうした開けたフィールドの仕事と親和性が高いものだったのだろう。タイアップワークによって外から求められるフジファブリックの姿を照合しながら、3人でいかにして”フジファブリックらしさ”を維持しつつ、それでいて更新していけるかを追求したのが本作の趣向だろう。

線路は続くよ
揺れながらカーブを曲がって運んで行く
窓には映る顔
横切る明かりと目が合ってた

「春の雪」

通り過ぎた夏の欠片 照らす月が映し出す
悲しい歌 消えないけど 君の面影が道標

「Light Flight」

丹念な情景描写も前作と比べると増えた。ここに宿るイメージは"フジファブリックらしさ"の再確認とも呼べるものだ。そしてやはり喪失のイメージも浮かぶ。志村というフロントマンの存在感は死後もなおフジファブリックを支え、そのバンド像を方向づけている。本作のラストが季節を映し出す感傷的な「春の雪」と「Light Flight」で閉じられている点も象徴的だ。3人はかつての自分たちと対峙し今の音を練り上げるという繊細な折衷に挑んでいたのだ。


2013年にリリースした『FAB STEP』は彼らのダンサブルな側面を強調したEPであり次なる一手を示したかに思えたが、翌年にリリースした8thアルバム『LIFE』(2014)は一転してオーガニックな手触りの温かなロックアルバムとなった。大きな特徴として全楽曲に山内が携わっており、山内の作詞曲が大半である点だろう。本作で山内は自分が主体となり歌うことを選んだ。『CHRONICLE』で志村が行ったような、自己開示に辿り着いたのである。

山内:「sing」は「おまえはなんで歌ってるんだ?」ということを書いてみようと思って。歌詞というよりも、自分の気持ちをメモする感じだったんですけどね、最初は。拙くてもいいし、韻も踏んでなくていいから、とにかく自分の気持ちを文章にしてみよう、と。

ナタリーより

山内:「『VOYAGER』出してからはもっともっとより濃いものを出して行かないとバンド続かないっていうか、10周年も迎えられないと思ってたし。

ロッキン・オン・ジャパン2014年10月号より

山内自身の矜持を刻んだ本作でこそ遂に3人でのフジファブリックが揺るぎないものになったと言える。ここまで対峙してきた"フジファブリックらしさ"は29歳の志村までが残してきたものであり、これ以降のキャリアを重ねる上でリアルタイムの自分自身を前に出す必要があったことは想像に難くない。常にその瞬間の自分たちを投影してきたこれまでの作品があったからこそ従来のイメージに縛られず、内省を深めることが命題だったのだ。


3人体制移行後も「銀河」「虹」「sugar!!」といったアッパーでキャッチーな楽曲はライブでも定番化していたが、"情緒"に満ちた楽曲は披露されてこなかった。しかし『LIFE』のツアーで「陽炎」「赤黄色の金木犀」「若者のすべて」、デビュー10周年の武道館ライブで「桜の季節」、そして志村のボーカルトラックと共に「茜色の夕日」が披露され、バンドとしてその"情緒"をも取り込んで内面化し、今の自分たちらしく鳴らす選択を果たしたのだ。

志村:フジファブリックの曲は、自分の意見を押しつけるというよりも、聴いた人がいろんな風に受け取れるものでありたいんですね。例えば、日常の中の一場面を切り取ったようなものだったり、その時その時に自分が感じた想いを描いたり。それは意識してというより自然にやっているところなんですが…。

BARKS 1stアルバム『フジファブリック』インタビューより

逡巡しながらも自然な形で過去を現在に統合できたのは志村が一貫して思想を歌うソングライターではなかったという点が大きい。個が抱いたイメージの具象化でありながらも普遍的な感傷に触れる楽曲ばかりだったからこそ、表現主体が遷移し分散しても変わらずフジファブリックの楽曲として受容されたのだ。『LIFE』と10周年ライブを経て、過去の自分たちを含む全ての風景をフラットに捉えるようになった彼らの作風はここから更に自由度を増していく。

後編↓

#フジファブリック #批評 #音楽

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