見出し画像

【小説】猫とホットケーキに好きを紡ぐ。【後編】

#創作大賞2024 #恋愛小説部門

〜あらすじ〜

雪音ゆきね冬馬とうまとの昔話をきっかけに高校時代に公園で出会った女性「米倉さん」のことを思い出した。

そして冬馬もまた、過去に出会った「三毛猫君」との再会を望んでいることが明らかになる。

しかしながら、米倉さんも三毛猫君も一度しか会った事がない。それどころか人には言い辛い二人が抱える特殊な事情が再会を妨げる。

果たして、雪音は米倉さんを、冬馬は三毛猫君と再会する事はできるのだろうか。そして二人が抱える特殊事情とは。

雪音と冬馬の決意が、想像もしなかった結末を呼ぶ、新しいカタチの恋愛ストーリー。

【前編】

【後編】

 何がびっくりしたかって、店内は想像していたよりも色んな格好をした人が多くいた事だ。
 葉月さんは忙しそうにホールを動き回っている。紺一色のロングワンピースに頭に赤いリボンカチューシを付けている。きっとあの国民的アニメメーション映画の魔女の子に扮しているのだろう。

 他の客も半分ほどは、コスプレっぽくなっている。ヘアスタイルや服装を変える方が手っ取り早く「リ・スタート」できる気分になるからだろうか。おかげで花月に扮した自分だけが浮いた格好にはならずに済んでいる。
 猫への配慮も考えて、三周年記念は完全予約制の三部制にしたのはさすがだ。椅子やテーブルの配置だっていつもと違う。私は少し奥ばんでいる席に座った。

「今日の雪音ちゃんの格好、良いわ。花月でしょ」葉月さんが通りすがりに声をかけてくれた。

 ふいにトコトコトコと小さな足音が近づいて来た。
「あ、この前の三毛猫ちゃんだね」
 携帯をかざして何枚か写真を撮ってみる。 間違ってインカメラのアイコンをタップしてしまった。途端、私が映る。いや、私というより、花月の格好をしている私だ。こう見ると、自分が自分でないようで小っ恥ずかしい。

 一週間前、高校の文化祭で花月のヘアメイクをしてくれた友達に連絡したら「また何で今なの?」と言いながらも花月のヘアメイクを快諾してくれ、衣装の制服までも用意してくれた。
 その代わり、二次元ヘアメイクを趣味とする彼女のSNSへの投稿を了承したのだ。私が扮した花月の写真は早速投稿され、コメント欄には「花月はやっぱり格好いい」「完成度高すぎ」「クールさが足りない」「60点くらいかな」など言いたい放題書かれていた。

 花月は頭が切れるクールな格好いい王子様キャラだ。だから女性ファンが多い。ゆえに評価も手厳しい。ふと、冬馬の言葉が脳裏を掠めた。

————米倉さん、花月のキャラ好きだと思うよ

 本当にこの姿で米倉さんに会えたとしたら、彼女はどんな反応をするのだろうか。話すきっかけになったりはしないだろうか。そして、私の非恋愛体質が少しでも恋愛体質に変わったりしないだろうか。
 妄想が妄想を呼ぶ。でも……
「花月の格好して米倉さんに会えたとて意味ないじゃん」ねー、と三毛猫の頭を撫でた。
 喉元も優しく撫でてやるとゴロゴロという音が聞こえてきた。ついでに目も閉じようとしている。リラックスしている証拠だ。ソファ席だからという事も相まって、こっちまでウトウト気分になる。
 このまま一緒に眠ったら気持ちいいだろうなぁ。少しだけ目を閉じてみた。周りの雑音が適度に心地いい。また誰かがやって来たのだろうか。葉月さんが席に案内している声が耳に届く。私の手の平は、三毛猫君の小さな頭を撫で続ける。
「いい子いい子、君にいい事がありますように」三毛猫君が、ニャーっと鳴いた。

 途端、ガタン、と何かが床に落ちる音がした。それにびっくりした三毛猫が「ニャ」と鳴いて膝から遠のく。同時に私も目を開けた。
 視線の先の床には、黒い学生鞄が落ちている。その横にはローファーの靴。白い手がその鞄を拾い上げた。それに釣られるように視線が上がる。そして持ち主と目が合った。

「嘘でしょ」

 夢かも知れない。頬を抓る。痛い。ちゃんと痛い。目の前に立つこの人は、この現実にちゃんと存在している。

「よね、くらさん?」
 鞄を拾い上げてこっちを見ている彼女は、おシャムさんに出てくる米倉さんにそっくりだった。いや、私があの文化祭の日の朝に見た「米倉さん」に瓜二つ。綺麗な長い黒髪に、切りそろえられた前髪。マスクをしているけど、骨格や表情などからして間違いない。私の直観が、そう言った。

 艶のある前髪の隙間から見える目は、明らかに私を見て驚いている。そりゃそうだ、見たこともない人に勝手に「米倉さん」なんて呼ばれて驚くのは当然だろう。
 それに……この目の前の彼女があの日公園で見た彼女であるという確証はないのだから。

「すみません、いきなり米倉さんとか言っちゃって。ちょっと知っている人に似ていたので」
 自分でも何を話していいのか分からない。彼女は首を横に振って、一礼して少し離れた席に座った。
 自分の席から見える彼女の横顔はやっぱりあの日会った彼女にそっくりだ。

 待てよ。もし、この人があの日の彼女だったとするならば、冬馬が本当に見つけて連れて来たって事なのか。
 当の冬馬はまだ来ていない。私が花月の格好をすることを条件におシャムさんの格好をする、と言っていた。
 おシャムさんの格好の冬馬が来てくれたら、彼女と何らかの話のきっかけができるかも知れない。

————冬馬、今どこ? 米倉さんがいる。早く来てよ、何を話していいか分からないよ

 メッセージをタップする指が震えてうまく打てない。送信後、一分も経たないうちに、携帯画面に「本当にあの米倉さんか?」というメッセージが表示された。

「多分、そうだと思う」と返信する。まだ確認はしていないけど、あの顔や雰囲気、携帯に触れている彼女の長い指には既視感がある。
「とにかく急いで」と追加メッセージを冬馬に送って携帯をテーブルに置いた。

 早く彼女に確認をしないと。気持ちが急く。でも、なんて声をかけたらいいんだろ。
 そうこう考えていると、横目に彼女が席を立つ姿が見えた。歩く度に彼女の長い黒髪が揺らいだ。その揺らぎは私の記憶を色濃くなぞるようで、じっと目で追ってしまう。

 どこに行くのだろうか。すると、葉月さんが彼女に声をかけた。葉月さんの一驚する声が聞こえる。そりゃそうだ。葉月さんだって「おシャムさん」が好きなんだもの。そこに出てくるヒロインの米倉さんに激似の彼女をみたら驚くに決まっている。
 彼女は葉月さんに一礼して、お手洗いに消えていった。

 今だけ葉月さんに変わりたい。あんなに気さくに話せて羨ましい。もう、葉月さんに全てを話してしまって助けてもらおうか。いや、ダメだ。葉月さんのテンションが上がって、それどころではなくなるかも知れない。彼女が席に戻って来る前に、何か策を考えなければ。

 テーブルに振動が伝わる。見れば携帯が着信画面に切り替わっていた。
「ごめん、遅くなって」
「ごめんじゃないよ。今どこよ」
「近くにいる。それで、米倉さんは? 」
「まだいるよ。ってか米倉さんをどうやって見つけたの? 」
「とにかく後で詳しく話すから。待ってて」
 通話が切れた。冬馬の声は心なしか焦っているように聞こえた。
 もしかして、冬馬の興味が三毛猫くんから米倉さんにに移ったとか?まさか。でも、可能性はゼロじゃない。米倉さんがきっかけで、冬馬の非恋愛体質が改善されるのなら、それはそれで応援したい。でも少しだけ心がざわつくのは何故だろうか。

 ローファーが床に響く音が聞こえた。彼女が席に戻って来る。彼女が席に着いたら、話しかけに行こう。とりあえず、挨拶からだ。ゆっくりと目を閉じて深呼吸を繰り返した。イメトレを何度もしながら。
「あの」
 突然の声に体がビクリと動いた。
「その格好って花月、ですよね」
 彼女が、私に声をかけてくれた。小さい声だけど、確かに私に顔を向けている。
「花月、ご存知なんですか? 」
 彼女がコクリと頷いた。
「あの、良かったら一緒にお茶しませんか?もうすぐ友達が来るんですけど、おシャムさんっていう漫画のシャム猫の格好をしてくるんです。それでもいいなら」
 彼女の瞳が一瞬大きくなって「ぜひ」と小さく発した。
「鞄とお水、持って来ますね」
 彼女は自分の席に向かい、鞄とお水を持ってこっちに戻ってくる。さっきは気が付かなかったけど、思ったよりも背が高い。175センチ以上はあるんじゃないか。
 私の目の前にそっと席に腰を落とした。ここにシャム猫の冬馬が来たら、完全に「おシャムさん」が完成する。

「猫、お好きですか? 」小さな彼女の声は確かに私の耳に優しく届いた。
「大好きなんです」と答えると「私も」と返ってきた。しばらく沈黙が続く。

「花月、似合ってます」
「えっと、これはその、私が高校生の時の文化祭で扮したキャラクターで、結構黒歴史というか。でも、私がこの格好をしたら、友達がおシャムさんの格好をしてここに来るって言ってくれたんで。でも、そんな着ぐるみどうやって探すんですかね」ハハハハと自分の乾いた笑いが耳につく。
 何を言っているのだろう。私が話したいのはそこじゃない。彼女が、あの文化祭の日の朝、あの公園にいたかどうかを聞かなければ。

「あの、つかぬ事をお聞きしますが、今日、誰かにここに誘われましたか? それに、多分、覚えていないかと思うんですが、四年前くらいの十月に早朝に公園にいませんでしたか?フリフレのホットケーキボックスを持って」
 彼女は何も言わずただじっと私を見つめている。五月雨式に言ったものだからきっと不審がっているに違いない。でも、マスク越しに分かる高い鼻は、あの時の彼女の特徴を表している。そして彼女の長い指が携帯画面をタップし出した。両手で携帯を覆う所作は麗しく、やはりあの時の米倉さんに違いない。

 しばらくすると「これ」と携帯画面をこちらに向けて来た。見て、という事だろう。にしても、彼女の携帯はどこかで見た事あるような。
 彼女の指が尚も画面をタップする。そっと画面に顔を近づけた。

 え、これって……

「私? 」

 彼女の携帯に写っているのは私の顔だった。しかも、変顔。恥ずかしいが過ぎる。いや、待って。おかしい。どうして私の写真を持ってるんだ、この人は。

「ここ」
 そう言って長い指をトントンしながら彼女が写真の端を指した。その位置は変顔をしている私の後ろにあたる場所。目を凝らしてじっと見つめてみる。
「これって……」
 そこには、長い黒髪で制服を着た女の子がベンチに座っていた。そして何かを口に運んでいる……膝にはフリフレのボックス。この子が口に運んでいるのは、ホットケーキ!
 私が公園で会った米倉さんだ。間違いない。事実、私はこうやって一緒に写真に写っているんだから。

「あの、どうしてこの写真を持っているんですか? それより、ここに写っている女の子は、あなたなんですか? 」
 彼女がゆっくりと頷いた。そして「私です」と確かに放った。
信じがたい光景に、何も言葉が出ない。ちゃんと呼吸できているのかすら不安になる。
 こんな事ってあるのだろうか。だって、長い間記憶の中で米倉さんと呼び続けていた彼女が、今、私の目の前にいる。

「私、ついに米倉さんに会えたんですね」
 だんだんと目が霞む。そして、温かいものが一つ頬を伝った。これって夢とかじゃないよね。ここから目覚めるとか嫌だ。
 もう一度頬を抓った。うん、やっぱり痛い。夢じゃない。なんていう奇跡なんだろう。一生分の運を使い果たしたかもしれない。冬馬、私は会えたよ、ついに。だから早く来てよ、おシャムさんの格好でなくてもいいから。この胸の高鳴りは、もしかしたら私に新しい感情を芽生えさせてくれるのかも知れない。誰かに好意を持つ事があっても、それが恋愛になる事は今まで一度も無かった。けど……この出会いは、なんか違う!

 満たされた気持ちで心がいっぱいになる。ただ……それと同時にだんだんと冷静になっていく。そして、私が一つの違和感に気づくまでに時間はかからなかった。

 そもそも、この写真を撮ったのは誰か、そしてその写真をなぜ彼女が持っているのか、もっと重要なのは、どうして彼女はこの写真に写る人物が、花月の格好をしているこの私と同一人物と気づいたのだろうか。写真の中の私は、高校の制服を着ている。この写真に映し出されている状況を知っているのって……

 ガタガタガタと音を立てて何かが崩れていく気がした。そして一つの答えが私の前に現れた。それは、見ないといけないのだろうか。見ないふりは、できないのだろうか。

 トントンと彼女の長い指がテーブルを叩く。そして私にハンカチを差し出した。それは、きれいなブルーのタオルハンカチ。その端に目をやった。ほらね、やっぱり。
 彼女はそのハンカチをテーブルの上に置き、今度は携帯画面を裏返してこちらに見せてきた。そんなのしなくても分かってるよ。だってその三毛猫のステッカーのイラストは、君の為に私が描いたものだから。
 いたたまれなくなって、私はテーブルに置かれたブルーのハンカチを取って涙を拭いた。次いで、鼻水も拭いてやった。

「ちょ、鼻水拭くなっ」
 そう米倉さんが言い放ったけど、その声は米倉さんの見た目とは似ても似つかぬ低い声。でも、私の耳がよく知っている声だった。
「もう……なんなの、これ」
「それは俺のセリフでもある」
「無理して高い声なんか出してさ。ってかどっから気づいてたのよ、自分が米倉さんかもって。あー、分かった。さっきの電話もここのトイレからだったんだね。小さい声だったし」
 目の前の双眸が揺らぐ。
「話すよ」 
 米倉さんが言った。いや冬馬がそう発した。私は目を合わす事もできず、ただ下を向くのが精一杯だった。

 なかなかにこの状況に慣れないのは、声が冬馬でも見た目は米倉さんだからだろう。美人だな、と思う。そう思えるのは少し自分が冷静さをとり戻した証拠だろうか。

 つまるところ、前回このカフェで冬馬に米倉さんの事を話した時、冬馬は引っ掛かりを覚えたらしい。それは私がストーカーの話をした時だった。一眼レフのカメラに、レトロ感のあるミニバスのような車、そしてその男がおシャムさんに出てくる米倉さんに似た女の子を撮影していたという事が、冬馬の記憶の断片を引っ掻いた。

「まずさ、ミニバスみたいな車。あれ、兄貴が乗っている車と同じだった。それに『米倉さん』って名前も聞いた事があったし。兄貴が漫画好きだからもしかしてって思ってメッセージを送ったんだよ、雪音の話を聞いてすぐに」
 米倉さんの話をしていた時、確かに冬馬はお兄さんとやり取りしていた。

「雪音と話している最中に兄貴がこの雪音の変顔写真を送ってきたんだ。ちゃんと後ろに米倉さんの格好をさせられた俺もいるけど」
 そう言って、さっきの写真をもう一度見せて来た。
「この写真が兄貴から送られてきた時、俺どう解釈していいか分からなくて、雪音に悟られないように必死だった」

 あの時だ。私が花月の格好をするか否かの話をしてた時、携帯画面を見て冬馬がかなり驚いていた。
「いや、かなり不自然だったよ。水も一気に飲み干してたし。でも疑問なのはさ、冬馬はこの時、自覚は無かったの?自分が米倉さんの格好をしてるって」
 もう一度写真を見る。この時、米倉さんの格好をしている冬馬は一体どんな感情でこの格好をしていたのだろうか。

「前にも言っただろ。俺は漫画を読まないから全く知らなかったんだ、おシャムさんの事も米倉さんの事も。当時の俺はとにかくバイトをしたかった。それでバイト代を倍にするから兄貴が俺に女装男子してくれってって言ったんだ」
「女装男子⁈ 」
 冬馬がはぁっ、とため息をこぼした。
「めちゃくちゃ嫌だったけど、バイト代が倍になるのは大きくてさ。『可愛いにボーダーはない』っていうのが当時、兄貴の勤めていた美容室の月間テーマがだったらしくって。それで兄貴が女装男子の提案したらそれが通ってしまって弟の俺に白羽の矢が立ったってわけ。外での撮影が恥ずかしくて、頼むから撮影は人気の少ない早朝にしてくれって頼んだ。俺にとっての黒歴史だから、記憶から消してたんだ」
「すごく似合ってるけど。でもその女装男子がなんで米倉さんの格好になったの」
「この前、初めて知った、兄貴が米倉さん推しだったって事。どうせ女装させるなら、自分の推しに仕上げてみようって思ったらしい。弟を何だと思ってるんだよ」
 冬馬が苦笑いを零した。

「兄貴が……」そう言いかけた冬馬は視線をテーブルに落とした。そして話を続けた。いつになく真剣な眼差しに私も心なしか緊張する。
「兄貴がさ、もし俺に米倉さんの格好をさせなければ雪音は長い間悩むことなかっただろ。ごめんな」
 その声はとても静かで憂いを帯びていた。
「違う。それは違う。あの米倉さんがいたから、私は希望を持てたんだよ。もしかしたらこの恋愛に向かない体質が改善されるかもって」
 冬馬もお兄さんも二人共全く悪くない。悪くないけど、どこかやり切れない自分に嫌気がさして水をがぶ飲みした。
「今日ここで雪音と会う前に全てを雪音に話せたら良かったんだろうけど、写真だけで説明しても、信憑性ないだろうし、雪音の思い出を傷つけるかも知れないって思うと、中途半端に説明はしない方がいいって。だから俺がもう一度、米倉さんに扮する事で、この写真の米倉さんが俺だって信じてもらえるかなって思ったんだ」騙すような事をしてごめん、そう言って冬馬がゆっくりとマスクを外した。

 卵形で丸みを帯びた輪郭。柔らかそうな頬。そして私が好きな高い鼻。完成度が高い米倉さんメイクだけど、やっぱり冬馬だ。
「すごいね、米倉さんの完成度」
「兄貴、スタイリストとしての腕はすごいから」

 今、たった今、一つの真実が明らかになった。米倉さんの正体は冬馬だった。
 これでいい、と思う。正直言うと悲しいような、嬉しいような、定まる事のない感情が心の中を席巻している。 
 だって、米倉さんに出会う事で、私の恋愛非体質に変化があるのではないか、って期待もしていたから。
 だけど、その米倉さんが冬馬だった。そんなの、予測なんてできなかった。冬馬は友達だ。あの日見た米倉さんであったとしても、冬馬はただの友達、なのだ。その感情に変化が加わる筈もない。

 視線を前に移すと、冬馬がこっちを見ていた。綺麗だな、米倉さん。けれどこれは冬馬なんだ。

「お待たせー」葉月さんだ。
「どうしたの二人とも浮かない顔して」交互に私たちの顔を見ながら葉月さんが二人分のホットケーキをテーブルに置いた。色とりどりのフルーツと生クリームがホットケーキの横に添えられている。
「はい今日のスペシャルホットケーキ。今日の二人、最高だね。雪音ちゃんの花月も冬馬君の米倉さんも」
「ありがとうございます。ってか葉月さん、この格好でよく冬馬って分かりましたね」冬馬を見ながら言う。
「分からなかったよ。だからさっき話しかけたの。もしかしておシャムさんの米倉さんの格好ですかって。そしたら冬馬君だって言うからびっくりしちゃって。でも『大事な話があるんで、ホットケーキは少し後でもいいですか』って真剣な顔で雪音ちゃんの方に視線を向けたから、頃合いを見計らって来たの」まだ駄目だった?と聞くから私たちは首を横に振った。
 そう言えば、さっき冬馬がお手洗いに席を立った時に葉月さんと話してたっけ。

「すみません、葉月さん。気を遣わせてしまって」
 私の謝罪に、「いいのよ」と葉月さんは手をひらひらさせた。
「ねぇ、ところで二人とも、誕生日はいつ? 」
「私はニ月十四日です」
「俺はニ月二十日っす」
「米倉さんは『っす』とか言わないし」
「俺、米倉さんじゃないし」と冬馬が口をまごまごさせた。
 私たちの微妙な雰囲気を察したのか葉月さんが「私は魔女っ子です」とお茶目にウインクした。
「似合ってます」と冬馬が目を合わさずに言ったものだから、また葉月さんに右脇を小突かれている。イッ、と言いながら、耐えている姿は米倉さんだからいつもの様には笑えない。けど、葉月さんが私たちの緩衝材になってくれている事は確かで、その気遣いが心に優しく響いた。
「二人ともみずがめ座か。なるほど。再開の月になったらいいね」と言って葉月さんはキッチンに戻って行った。

「店長さ、毎回ピンポイントで突くんだよな、右脇」やれやれといった表情で冬馬が放った。
「それより葉月さんさ、『再開の月』って言ったよね。しかも星座を聞いて来たし。って事は葉月さんもあの占い読んでるんだね」
「だってあの占い師のプロフ写真、猫だもん。そりゃ猫好きな人からしたら気になる占いだよ」
 冬馬がフォークとナイフに手に取った。そして綺麗に切り分けて、フルーツと生クリームをフォークの背に載せて、上品に口に運んだ。
「うん、あの日の米倉さんだ」思わず零れる。
 冬馬は何か言いたげだけど、口にホットケーキをいっぱいに含んでるから話せない。それを良い事に、「米倉さんは冬馬かぁ」と連呼してやった。
「これ、美味い。雪音も早く食べた方がいいよ」冬馬がニコリと笑った。少しだけ唇に残るピンクの艶リップが艶めかしい。
「本当に米倉さんが存在していたら、こんな風にしてちょっとドキドキするのかな」
「ドキドキって? 」冬馬が聞き返す。
「今私、ドキドキって言った? 」
「言ったね」冬馬がうつむき加減で呟いた。
何も考えずに、口から出た言葉だ。私はドキドキしてたのか。
でも、このドキドキは米倉さんに向いているのであって冬馬ではない。でも米倉さんは冬馬であって、だとしたらこのドキドキは冬馬に感じているものなのか。
「分からない」
「俺も分からない」
「なんかごめん」
「いやいやいや、なんか告ってもないのに雪音に振られた気分だし。まぁ、あながち間違ってはいないけど……」

 冬馬がボソボソと話し出した。
「あながち間違ってないってどういうこと?え、私の事が好きだったの、冬馬」そっかぁ、と敢えて茶化してやった。もちろんそんな訳はない。冬馬もアロマンティック。恋愛非体質。

「俺が初めて三毛猫君をフリフレの近くで見かけたのが高校三年生の十月八日」
「そうだったんだ」
 冬馬は三毛猫君に会えていない。私だけ少し浮かれた気分になってしまっていた。だから今は私が冬馬の話を聞いてあげる番だ。口に運びかけたホットケーキをそっとお皿に戻した。
「小さな女の子がホットケーキを地べたに落として、それで三毛猫君はその子の頭を撫でた」
 これはこの前に話してくれた事だ。その一部始終を見ていて、冬馬が心癒された事も。
「いい子いい子、君にいい事がありますように、って歌ったんだ」
 そうなんだ、三毛猫君もその歌を歌ってたんだ……
「えっ」
 私の声が聞こえたのかどうか分からないけど、冬馬はそれ以上何も言わなかった。
 三毛猫君をフリフレの近くで見た。日付は冬馬が高校三年生の時の十月八日。近くには小さい子。
 携帯画面をタップし、カレンダーのアプリを開いた。高校三年生の時の十月八日……この日は文化祭の日だ。私は文化祭の日、この花月の格好でフリフレに行った。その帰りに妹が来て。そう、小さな子は、私の年の離れた妹だ。あの日、確かに妹は地べたにホットケーキを落として泣いたんだ。それを私が頭を撫でた。そしてあの歌を歌った。
 携帯カメラで自分の髪色を確かめる。
「茶色と黒……」三毛猫カラーだ。そして今日は髪に少し動きがある。ウェーブだ。しかもそこに映る服は茶色のブレザー……気がつかなかった。どこにでもある一般的な制服だったから。

 冬馬は私の様子に肯定も否定もしなかった。
「私が、三毛猫君? 」
「そうらしいわ」
「いつから気づいてたの? 」
「あの歌をこの前歌ってた時にもしかしてって思った」
「はは、私が急に歌い出したから驚いたんじゃなかったの? 」あの時、冬馬は驚いた顔を見せた。
「まぁ、雪音の声はでかいからな」
「うるさい」
「でも、まじでびっくりした。まさかあの歌が雪音の口から出てくるなんてさ。それで花月のキャラクターを検索したら俺が出会った三毛猫君に似ていたんだ」冬馬は一つ間をおいて「だから雪音に花月の格好をお願いしたんだ」
「なんかごめん」急に謝りたくなる気持ちに駆られた。
「なんでだよ」
「さっき冬馬が言ったよね。告ってないのに振られた気分があながち間違いではない、みたいなこと」
「あぁ」と言って冬馬が頭をポリポリと掻いた。
「先に雪音もホットケーキ食べろよ」ほら、と促された。
 確かに、せっかくの限定ホットケーキだ。熱いうちに食べなければ。
 切り分けたホットケーキにナイフを使って生クリームとフルーツを載せる。
 そして大きく頬張った。口に広がるホットケーキのフワもちの生地。そしてフルーツの風味を邪魔しない優しい甘さの生クリームが後からやって来た。
「めちゃくちゃ美味しい。幸せ」
「これでいいんだよ」と口角の上がった冬馬が言った。
「これでいいって? 」
「正直、俺も今日三毛猫君に会えてドキドキしたよ。けど、それは雪音だった。じゃぁ雪音にドキドキするのかって言われるとそうではない」
「なんかずるいな、私はドキドキしたよ」いや、している、今でも。
「俺が言いたいのはドキドキはしないけど、安心したんだよ、三毛猫君が雪音でなんか良かったって。うまく言えないけど、好きなホットケーキと好きな猫に囲まれているこの空間ってさ、俺にとって安心で安定した場所なんだ。雪音が三毛猫君だった事で感じる俺の素直な気持ちはまさにそんな感じ」
 冬馬が真剣に言葉を紡ぐ。私は米倉さんである冬馬にドキドキした。冬馬は三毛猫君である私に安心した。
 互いを思う感情の種類は違うし、これが恋愛感情と問われるとしっくり来ない。けれど、互いの存在が、今の自分のたちの居場所になっている事は確かだ。

「葉月さんの言う様に、本当にリ•スタートになった気がする」
「あの占い通り、再開の月・・・・にもなったしな」
「当たったね、占い」
 私が言い終わるや否や、冬馬が、ん?と怪訝な顔をした。
「なぁ、あの占いってさ、再開の月、以外にも『表と裏の物語』とも書いてたよな? 」

 そうだったけ、と私が言うや否や冬馬が携帯を操作して私に見せてきた。
 そこには案の定、前に見た占星術のみずがめ座の欄が表示されていた。

———再開の月・表と裏の物語

 確かに「表と裏の物語」と書かれている。
「表と裏の物語……表と裏、ってどういう事だろ。反対の意味って事? 」こういう思考の転換は苦手だ。

「反対っていうか、もう少し見方を変えたら、物事には二つの意味があるって事じゃないか? 」思考に耽る冬馬はクールな米倉さんで思わず見入ってしまう。

 あっ、と冬馬が何か閃いたのかまた携帯に何かを打ち込み始めた。
「何、どうしたの? 」
「雪音、『さいかい』って平仮名で携帯で打ってみて」
 言っている意味が掴めないが、とりあえず言った通りにしてみる。
「さいかい」と平仮名で打つ。下には予測変換されたいくつかの漢字が現れた。そこには「再開」の漢字が一番に表示されている。そしてその隣を見る。
「え?これって……」

『再会』

 そこには確かに「再会」という漢字が羅列していた。

「再開に再会か」なるほどなぁ、と冬馬がしてやられた顔をして言い放っている。
「私には何のことかさっぱり分からないんだけど」
「この占いにはさ表と裏の物語があったんだよ。つまり『再開』と『再会』ってこと」
「じゃぁ、これを今の私たちに例えると、気持ちを新たに再開する日にもなったし、互いの会いたい人に再会できた日でもあったってことなの? 」
「そうだよ。ほんと策士だな、あの人。直観だけはすごいって言ってたから」
「誰、あの人って」
 私が解せない顔をしたからだろう。冬馬がさっきの画面の少し下を指差した。
 そこには、占星術師のアイコンがある、可愛らしい三毛猫が写っている写真だ。だが冬馬の指先が指しているのはそこではなく、その下を指していた。

———"leaf of the moon "

「この"leaf of the moon”を漢字にしたら『月の葉』になる」
「月の葉? 」月の葉が何になるのだろう。
 冬馬が親指と人差し指をクルッと回転させ「リバースして」と言った。
「リバース……反転」
 あっと思ったと同時に私の目線はあの人にくぎ付けになった。
「そう言えば、フリーライターみたいな仕事もしてるって言ってた」
「だろ? しかもアイコンが猫って。まんまだから。この写真、よく見たらお前だなぁ」いつの間にか横に来ていた三毛猫を冬馬が撫でた。

 私たちはホットケーキをまた切り分けた。そしてゆっくり食む。食んで、食んで細かくして、自分の気持ちも食んで細かくする。
「傍から見たらさ、俺たちはどんな関係に見えると思う? 」
「米倉さんと花月でしょ」
「いやいや、米倉さんと花月を知らない人だっているから」
「じゃぁ、カップルなんじゃないの?こんなして、二人で仲良くホットケーキを食べててさ」
「仲良く、か」冬馬がクスクス笑い出した。
「何が可笑しいのよ」
「いや、恋愛ってさ、理屈じゃないんだよ」冬馬が尚もクスクス笑っている。
「俺は難しく考え過ぎてたのかも知れない。ドキドキしないと恋愛じゃないって思い込み過ぎてたわ、多分」
「だから何なのよ」
「俺もよく分かんない、恋とか愛とか」
「そんなの私も分かんないよ」
「でも、こうやって一緒の時間を楽しく過ごせていること自体がスペシャルなんだよ、きっと」
 冬馬の目を見る。その瞳はすごく綺麗で、憂いも迷いも一つない、とても澄んでいるものだった。
『一緒の時間を楽しく過ごせていること自体がスペシャル』

 葉月さんが前に言ってくれた言葉だ。あの時はピンと来なかったけど、今、それが分かる気がする。

 正直、だからと言って今の私たちの関係が変わるとは思えない。
 だけど、昨日までとは違う何かが二人の中で小さく始まろうとしている。いつかそれが形を成すかも知れないし、成さないかも知れない。それは私たちとて分かりやしない。

 不意に腕にトントンと軽いタッチが触れた。いつの間にか、シャムネコが傍に来ている。
「よしよし。いい子、いい子」
「君にいい事がありますように」冬馬が続きを歌った。それはとても優しい声色で胸の奥にツンと響いた。

 店の奥から、小さな拍手と共に聞き慣れた声が耳に届いた。

「二人とも、さいかい、おめでとう! 」



しゃろん;

いいなと思ったら応援しよう!