遊線からの物体V 第31話
湖の中央に着いた俺たちは驚いてしまった。
そこには、見たこともないくらい巨大な石が鎮座していた。水草や藻がびっしりと張りついていて、沈んでいた歳月の長さを思わせる。そして、一体誰によって、いつそうされたのか、しめ縄がぐるりと石を取り巻いていた。
「これは……」
「磐座というやつか」
服部が言った。
「磐座?」
安倍が首を傾げる。
「古来より、日本では巨石を神として見立てて奉ってきたのでござりまする」
秋葉が答えると、
「今でも、パワースポットなんて呼ばれているところには、こういう大きな石があったりしますもんね」と葉加瀬が言う。
「油断すると吹き飛ばされそうなエネルギー、これ、力で視ない方がいいかもな」
ぽつりと呟いて、千里先輩は解放していた目をふたたび眼帯で隠し、大欠伸をする。
「ちょっち、疲れた」
そりゃあそうだ。
「いろいろありがとうございます」
俺がそう言うと、
「なにに対してだー?」と眠たそうな声で千里先輩が答える。
「ところで、星緑ちゃんは?」
服部が言うと、
「ここデす!」
いつの間にか俺たちの背後に回り込んでいた星緑が、突然俺たちに声をかける。
「わ、びっくりしたー!」と安倍。
「おお、星緑殿。ずいぶんお待たせしましたな。このレジェンダ・リーによって問題はすべて解決しましたぞ」
秋葉が胸を張るが、胸より突き出た腹がぶるんと揺れる。
「斎木」
小声で服部が俺の名前を呼ぶ。
どうした、と言いかけて止まる。服部の目。
なるほど、声を出すなってことね。
俺は読心を開始する。
服部の心の声が流れ込んでくる。
(なにか違和感がある。お前の力で星緑ちゃんの心を読んでみてくれ)
俺は一瞬ためらう。
またあの莫大な情報量の洪水に巻き込まれるのはきつい。でも、なにか意図があるんだろう。
俺は力の領域を広げる。それぞれの心の声が流れ込んでくる。
そして星緑の心を読み取った瞬間、俺は服部の違和感の正体に気づいた。
(ふむ、狙い通り覚醒しおったな)
さっき読み取った心の声とはまったく違う声。こいつは。
「その通り」
星緑が言う。
「お前は誰だ?」
今更なにを――。みんなそう思っていた。
が、俺の大真面目な気配を察した途端、場に凄まじい緊張感がみなぎった。
(斎木殿は心を読める。ということは? 星緑の心の声を読み、そこになにか違和感を覚えたのでござりましょう。すると、目の前のこいつは?)
真っ先に俺の誰何に反応したのはやはり秋葉だった。
その次に葉加瀬。ほとんど同じ思考だった。
安倍は(どういうこと?)と考えていたが、周囲の空気を感じ取り、これがただならぬ事態だということを理解していた。
(かゆ…うま…)
千里先輩だけほとんど眠っていた。
いや、分かるけど! 起きて!
星緑の身体が光を放つ。俺たちはその眩さに目を閉じる。
次に目を見開いた時、そこにいたのは星緑ではなく、雪のように真っ白な髪をした女だった。
「久しいな、斎木心」
その女は俺にそう言った。
が、こちらには覚えがない。
「斎木千里も」
どうやら千里先輩のことも知っているようだ。
「はえ?」
だが、千里先輩はほとんど使い物にならない。
「俺はあんたのことを知らないんだが」
そう言うと、
「そうじゃろうな。おそらく」とその女は微笑んだ。
「しかし、こちらは知っておる」
「星緑ちゃんをどこにやった?」
服部が、苛立った声をぶつける。
「MIBの女狐風情が、気安く声をかけるでない」
「わたしはもうMIBの人間じゃない。貴様は斎木堂の人間だな」
服部が言うと、女は「ほほほ」と笑う。妖艶という言葉が似合う。
それから、
「いかにも。わちきが斎木堂創始者の斎木イタコである」と、その女は言った。
女は指をぱちんと鳴らす。
すると、巨大な石の裏手から誰かが歩いてこちらに近づいてくる。ざりざりと、その足音が聞こえる。
現れたものを見て、俺たちは各々悲鳴に似た小さく鋭い叫び声を上げる。
星緑はいた。
が、がっくりとうなだれながら、両脇の女たちに引きずられるようにしてこちらに歩いてきた。
両脇の女たちは――斎木イタコだった。まったく同じ顔をしていた。
「分身の術、まさかッ」
服部が叫ぶ。
「ちんけな忍者と一緒にするな」
目の前に、星緑。
それと、まったく同じ女が三人。
「いわゆるAIロボットというやつじゃな。よくできとるじゃろ? わちきが拵えた」
最初に、星緑に化けていた女が言った。
「喋ったりすることはできんがな。わちきの命令ならなんでも聞く」
確かに、星緑の両脇にいるイタコたちからはほとんど心の声が聞こえなかった。
「心配するな。星緑様はご無事じゃ」
「どういうことだ?」
それに……星緑様?
俺は千里先輩を見る。先輩もさすがに目が覚めているようだ。
「斎木イタコ……確かに彼女が本物だとすれば、斎木堂の創始者だ。一度お前に言ったことがあったよな、斎木堂はMIBと違って――」
「そうじゃ。わちきたち斎木堂は、宇宙人、つまり上位存在の力を使わせていただくことで、人類をリセットし、進化に導くことを目的としておる。《再起動》じゃな。斎木心の読心が、異性の心も読めるようになったことで、やはりわちきたちが正解だということが証明された。これはモノリスに、すでに書き込まれている必然なのじゃ」
イタコはさらに話を続けた。
「今、情報生命体としての彼女を、斎木堂のテクノロジーを駆使して、そうじゃのう、お主らに分かりやすく言えばZIPファイルとして圧縮させてもらった。斎木心、斎木千里。お前たちの活躍見せてもろうたぞ。特に斎木心、お前の力は星緑様とのコンタクトに必要じゃ。どうして異性の心も読めぬお前が、その忍者の調査をすることになったのか、おかしいと思わんかったか?」
「それは……」
もちろん、最初から気づいていた。しかし、人員が足りないという理由を鵜呑みにして、信じ切っていた。
「お主に負荷をかけ、能力の覚醒を促すためじゃよ。お主に小娘の心を読みたいと思わせる。小娘の学校を斡旋したのも、実はわちきじゃ。お主らは手のひらの上で踊っておったのよ。で、見事お主は能力を開花させおった。ほれ、こっちへおいで。お主は選ばれた人間なのじゃ」
「星緑は新しい道を探してる、その邪魔をするのは……」
かろうじてそう告げると、穏やかなイタコの表情が一変して、般若の形相になった。
「その服部という小娘は、もともとMIBの女ぞ! わちきらの最たる敵ではないか。ふ、色香で惑わされおって」
「そんな言い方はないだろ」
俺の中で、斎木堂という組織に対する疑念がふつふつと湧き上がってくる。
「斎木千里。行くところのないお主を、斎木堂はここまで育て上げたのじゃぞ? なにを当たり前のように、そんな愚民どもに与しておる?」
「イタコ様は、星緑をどうされるおつもりですか?」
「もちろん、丁重に扱うつもりじゃ。MIBとは違う。美しい夢を永遠にZIPファイルとして見続けていただくことにする」
「それを、星緑は望んでいるだろうようには思えません」
毅然と。千里先輩がそう言い放つ。
「ふ、ふふふ」
小刻みにイタコは震えている。そして。
「ふははははははははは!」
堪えきれない、と言った様相で大きく笑った。
「なら、どうするというのじゃ?」
「止める」
俺はそう言った。
「飼い犬が手を噛むとはこのことよ」
涼しげにイタコは答える。
沈黙。
一陣の風が吹いて、やんだ。
その刹那。
「来る!」
俺はそう叫んでいた。
満身創痍の服部と千里先輩、それに秋葉、安倍、葉加瀬。
イタコにどれだけの力があるのか分からないが、明らかにこちらの勝ち目は薄いと言えた。
だが。飛びかかってくるはずの、三人のイタコはまったく動かなかった。
カン!
高い音が響いた。
なにかが彼女たちの胸に高速で突き刺さっていた。
「ど、どういうことでしょう?」
葉加瀬がおずおずと呟いた。
「チョーク……?」と服部が言った。
「チョークというと、あの、オオカミが声を変えるために食べたやつでござりまするか?」
チョークで真っ先に出てくるのそこじゃないだろ!
二体のロボットイタコは、そのチョークが突き刺さった胸部からビリビリと電流のようなものを放出しながら地面にどさりと倒れた。
そのロボットイタコの周りを、黒い鳥が旋回していた。
「あれは!」
千里先輩が言った。
「キュ、キュウちゃんだ!」と安倍。
キュウちゃん? あの学校にいた? 九官鳥の?
足音がした。後ろから。
俺たちはほとんど一斉に振り返った。
そこにいたのは。
「時枝、先生?」
だった。
ボサボサの髪の毛に眼鏡。
教壇に立つ時となんら変わらないそのけだるい雰囲気は、どこからどう見ても俺たちの知っている時枝だった。
真ん中の、本物のイタコもチョークを胸に食らっていたが、彼女はゆっくりと揺らめきながら立ち上がった。
「邪魔はしない約束だったはずじゃぞ、時枝」
低い声でイタコが言った。
「協定ね。確かにそんなものありましたなあ」
側頭部をぽりぽりと掻きながら時枝は言った。
「それに、そっちの女は元MIBの女。庇う必要がどこにある?」
「おっしゃる通りです」
時枝はへらへらと笑った。
「しかしね、俺の生徒に手を出すんなら、話は別です」
それから、打って変わって、恐ろしいまでの怒気を孕んだ顔つきで時枝は静かにそう言った。
「ふむ。お主相手ではいささか分が悪い。出直すとするか。なに、鍵はなにも宇宙人だけではないからの」
バラララララララ。上空から次第に音が近づいてくる。
「ヘリコプター……」
そこから垂らされた縄梯子に、アクション映画よろしく、さっとイタコは掴まるとそのまま飛び去ってゆくのを俺たちは呆然と見送っていた。
「さて」
そう呟くと、時枝はくるりと踵を返して歩き出す。
「ちょ、ちょっと待ってくれよ、時枝先生」
「ちっ」
あれ、今こいつ生徒に舌打ちした?
「そうですよ、先生!」
葉加瀬が言う。
「はえー」
安倍は処理能力が追いついていないらしい。ぽかんと口を開けたまま、まだヘリの消えた夜空を見ている。
「やはり、只者ではないと思っていたが」と服部。
「いや只者だよ。今の俺はな」
時枝が煙草に火をつける。
「小生らに分かるように説明していただきましょうかな」
秋葉も珍しくマジトーンで話している。
「や、なんつーの。ううん。ま、そうね」
それから時枝は俺と千里先輩の顔を見て、「お前らのこと、ある程度はもう分かってるんだろ、こいつら?」と言う。
「ええ、まあ」
俺たちが能力者だということ。斎木堂という施設に所属していること。それはもうこいつらも知っている。
「じゃ、話は早い。俺も斎木堂出身だ」
一同に、いっせいにざわめきが起こる。
「しかし先生」
服部が手を挙げる。
「先生は、その斎木堂の人間と、たった今……」
「そうだな。だが、俺はもう今は斎木堂には所属していない。袂を分つ、ってやつだな」
「しかし先生」
今度は秋葉が手を挙げる。
「ロボットはともかく、生身の人間があのチョークを受けて死なないというのはどういう理屈でござりまするか?」
「ああ、あの婆さんな」
「婆さん?」
安倍が首を傾げる。
「あいつ、あれで二百二十二歳なんだよ」
え?
全員が顔を見合わせる。
「二百二十二歳」
無意味に繰り返す。
そんなわけが――そう言いかけて、俺はさっきから面白そうにやりとりを見ている星緑の視線に気づく。
「ま、なんでもいいや。もう」
はは、と笑う。
「先生。あたしたちはこれからどうなるのかな?」
千里先輩が言う。
「斎木堂も一枚岩じゃない。イタコのグループともう一つの派閥がある。ひとまず不問だろう。進化を司る鍵は宇宙人だけじゃない。連中もお前たちを手放すわけにはいかない、と思ってるだろう。それになにかあれば、俺が出てくるってこともよく理解したはずだ」
不思議な鳴き声を出しながら、キュウちゃんが上空を旋回している。
「さ、それじゃ俺はこの辺でおいとますることにするよ。お前たちにはまだやることがあるんだろう?」
そうだった。それが俺たちがここまでやってきた理由だった。
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