現代 AI 社会・・我々は例えるなら川魚。LINEを使うということは知らないうちに梁(やな)で捕らえらているのかも
前の記事で現代のAI社会で生きる我々は、ジャングルで彷徨う小鼠みたいなものだ、と述べた。
今回はその続き。ちょっと言い方を変えてもっと具体的にしようと思うのだ。
川で魚を捕るための罠の一種、梁(やな)と言われるものをいご存知だろうか。
竹で袋を作るのである。一方は閉じてある。
開いた口を川上に向けて川の中に置いておく。
魚がここに入ると、なかなか出られない。出るためには川の流れに逆らって泳がなければならないが、なかなかお魚はそうしないものなのかもしれない。
そして漁師が梁を引き上げると中に魚が入っているのである。
そのような罠である。

我々の生きる現代。このAI社会でLINEを使うということは知らず知らずのうちに梁の中に入った魚の様になることかもしれないな、というのが私の今回の記事の要点である。
お分かりだろうか。
LINEは多くの人が使っているし、知り合ったら、一昔前なら電話番号、そして、ちょっと前はメールのアドレス交換、今はLINE交換が主流となっているようだ。
LINEをやっていないと、人付き合いという面でいろいろ支障が出るのかもしれない。
しかし、LINE。それをご存知だろうか。
今まで何度もこのグログで申し上げているが、LINEは韓国の会社であり、ハードディスクは中国の会社が管理している。
つまり、彼らは、我々がラインで交換したメッセージ、写真、動画などをすべて保存している。
怖くはないか、と、何人かの人に尋ねたことがある。
多くの方が「私には疾しいことがない」と仰る。
疾しいもクソもそのようなことを私は問題にしていない、といつも思う。
いや、疾しいことをしていたって・・・例えば不倫の様なこと・・・私の関知するところではない。
疾しいことがないのなら、あなた様のLINEを私に見せることができるのか、というと、見せられないだろう。当然である。
しかし、総覧できる人がいるのである。それがLINEの会社の人であり、それを管理する中国の会社の人、もっと言えば、その気になれば中国政府、あるいは韓国政府の人は、我々のデータを彼らの都合で総覧できる。
LINEを使っているのは日本人だけ。今や、日本人の8割の人が使っているという。使って胃兄のはスマホの使えないお年寄りか用事だけかもしれない。そのような状況にある。
政治家や大企業の役員、大学の先生ですら一生懸命パンピー(一般ピーポー)と同様にLINEを使っている。そんな状況で良いのですか、と言いたい。
日本全国民、梁(やな)に捕らえられた魚の様になっているのである。
LINEを管理する者たちは、彼らの望む時に梁(やな)を引き上げ、我々を如何様にも恣(ほしいまま)にできるのである。

自民党の政治家が最近、変なことばかり言っている。
外国人を優遇するような政策ばかりを立案している。
パートの上限をちょっとあげて、もう少し働いて金を稼げる様にできないか、ということに対しては冷たい。財源云々と知った顔で言っては実現しようとしない。
外国人を優遇したり、ワクチンを買ったりする方がずっと金はかかるし、我々の生活を脅かすことになるだろうし、何よりも彼らの票を減らすことになるだろうが、自民党、公明党、与党議員にとっては知ったことではない様だ。
なぜここまで外国人優遇に走るのか、というと、大き案理由としてはLINEでとことん弱みを握られて、子羊人げシープルになってしまったのではないかな、と思っている。
梁(やな)の中に入っている1億の魚の中から、岸田や石破や河野太郎を鷲掴みにして掴み上げ、手でぐいぐい無造作に持ちながら、言うことを聞かせているのではないかな。だから、妙に彼らがバカヅラをしてる様に見えるだろう。
我々も他人事ではない。
AI社会が進み、我々はしらないうちに支配者から管理されているのだ。Twitterのシャドウバンのお話を前にしたが、それは確かであろう。
そこから少しでも逃れないといけない。
「何も自分には怒らないじゃないか」と平和なことを仰る方もよくいらっしゃる。
梁(やな)をいつ引き上げるのかは彼ら次第。そしてあなたをグイッと汚い手で掴み上げる時が近い将来来るかもしれない、ということである。
そのためには、苦しいが川を少しの距離だけ逆に泳ぎ、梁(やな)から出る必要があろう。
つまり、LINEを使う頻度を減らしていくと言うことである。
その代わり、シグナルを使うのが良い、と言うことはこのブログで採算述べている、というか、このブログの大きなテーマの一つであると私は思っている。
家族、親しい友人、恋人、重要な仕事の仲間、このような人と連絡を取る時には極力LINEを使わない方向で行くしかないと思う。
しかし、我々は川で泳ぐ魚である。
梁(やな)から出ても、大きな魚や鳥にパクッと食われたりするかもしれない。
釣り人に釣られてしまうかもしれない。
この現代 AI 社会とはそのような世界なのだ。
でも、梁(やな)から出たら、この危険な世界で、我々自身を少しだけも無事に生きることができるかもしれない、と言うことである。

