強迫性障害という名の自分ルール
強迫性障害を知っているだろうか。
科学的根拠のない、摩訶不思議な強迫に脳を支配される恐ろしい障害である。
私も強迫性障害の当事者なので、数多の『自分ルール』が存在する。
手洗いは2,4,6,8回のいずれかで終わらなければならない。この数字は嫌いな人の文字数で決まっており、嫌いな人が変わればもちろんこの数字も変化する。
極めつけは、手を洗い終わってキッチンペーパーで拭くまでは、他のものに触れる事は許されない。無論、触れてしまったら洗い直しだ。
私の手洗いのトリガーは、トイレの後、自分が汚いと認識しているものを触れた後、ソシャゲのガチャを引く前だ。
こう見るとそこまで多くは無いが、この一つ一つがかなり厳しい法則の下で動いている。
そもそも、トイレに行くたびにこの手洗い儀式を遂行するのはかなり大変だ。
自分的に汚いと認識しているものは、他人と共用するもの(ドライヤー、トイレ、櫛、牛乳パックや飲みきりではない飲料、冷蔵庫の取っ手、飲みかけの飲料。文房具など)だ。挙げればキリがないので100項目ほどあると思ってもらえればいいだろう。とにかく自分だけが触っているもの以外は、全て汚いものだと認識しているわけだ。
別に家族のことを汚いと思っているわけでは一切ない。家族が、自分のトリガーになりえるものを触った手で他の物を触っている可能性を、脳が勝手に予測して自分を守ろうとするのだ。その結果、職場に持って行った物や、新しく購入した飲み物など、これから『きれいな手』で触りたいものなどは、全て消毒する必要がある。消毒の際に手に触れてしまったり、滑らせて床に落としてしまうと、新しい消毒ティッシュ出して拭きなおさなければならない。地獄の所業だ。
しかし、私自身は、その行為が無駄なことは自覚している。それでもなお抗うことが出来ないのである。
完璧に浄化儀式を遂行したとしても数分後、もしくは数秒後には、次の強迫が待ち伏せている。
何日かすべての強迫に抗ってみたこともあるが、長くは続かなかった。
我慢すると、「どこが汚いか」「何を触って手が汚くなったのか」等、覚えていても全く意味をなさない記憶に脳のリソースを裂かれ、何もできなくなってしまうのだ。
強迫性障害は、外面では分かりにくく、単なる潔癖と勘違いされることも多い。
一番厄介なのが、科学的根拠を無視した不安に脳のリソースを裂かれるため、本当に無駄が多いことだ。『〇〇をしないと死ぬ』『〇〇をしないと推しキャラが嫌いな人と入れ替わる』など、普通に考えると馬鹿馬鹿しい様なことばかりで、話したところで理解されるどころか、馬鹿にされてしまうこともある。
長くなってしまったが、今日は強迫性障害の大まかな症状について、この文章を通して知ってもらえたらうれしい限りだ。
次は私の強迫概念について詳しく書こうと思う。
