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迷いを扱うことは、本当に価値につながるのかを疑ってみる

「迷いは価値につながる」

このマガジンでは、そんな仮説を置いて考えてきた。

顧客が迷っている瞬間。
現場が判断に詰まっている瞬間。
機能を使うべきかどうか決めきれない瞬間。
追加提案を受けても、何を基準に判断すればいいかわからない瞬間。

そこには、何らかの価値の入口があるのではないか。

そう考えてきた。

ただ、ここで一度、この仮説を疑ってみたい。

本当に、迷いを扱うことは価値につながるのだろうか。

もしかすると、これは都合のいい見方にすぎないのではないか。


迷いは、現場からすれば負荷として現れる

まず、現場の立場から見ると、迷いは多くの場合、負荷として現れる。

迷いがあると、手が止まる。

確認が増える。
判断待ちが発生する。
対応が遅れる。
人によって判断がばらつく。
ミスや手戻りの原因にもなる。

もちろん、すべての迷いが悪いわけではない。

一度立ち止まった方がよい場面もある。
違和感に気づけるからこそ、防げる事故もある。
熟練者ほど、「ここはそのまま進めてはいけない」と感じ取ることもある。

ただ、日々の業務を前に進める場面では、迷いは歓迎されにくい。

現場にとって重要なのは、迷いを深く味わうことではない。

迷わず動けることだ。

判断基準が明確で、
手順が整理されていて、
例外時の対応先が決まっていて、
いちいち考え込まなくても業務が前に進むこと。

その方が、明らかに強い。

だとすると、迷いを価値として扱うという考え方は、現場感覚からズレている可能性がある。

現場は、迷いを増やしたいわけではない。
迷いを商品化してほしいわけでもない。
迷いを観察対象にされたいわけでもない。

ただ、仕事を止めたくないだけだ。


営業やCSから見ると、迷いは支援の入口に見える

一方で、営業やカスタマーサクセスの立場から見ると、迷いは違って見える。

顧客が判断に迷っている。
運用で困っている。
何かを力業で回している。
追加機能を使うべきか悩んでいる。
既存のやり方に限界を感じている。

こうした状態は、提案や支援のきっかけになることがある。

なぜなら、迷いの背景には、未解決の課題があることが多いからだ。

何に困っているのか。
どこで判断が止まっているのか。
何が不安なのか。
何が見えていないから決められないのか。

そこを丁寧に見れば、機能提案や運用改善、追加導入、サポート設計につながる可能性がある。

この意味では、迷いは価値提供の入口になり得る。

ただし、ここにも危うさがある。

営業側が「迷いは価値だ」と言い始めると、顧客の困りごとを売上の材料として見ているように見える可能性がある。

本人たちにそのつもりがなくても、受け手からすれば、

「困っているところにつけ込まれている」
「迷っている状態を利用されている」
「結局、売りたいだけなのではないか」

と感じられるかもしれない。

ここを間違えると、迷いは価値ではなく、不信の入口になってしまうかもしれない。


迷いそのものに価値があるわけではない

ここで、一度はっきりさせておきたい。

迷いそのものに価値があるわけではない。

迷いは、基本的には負荷である。

判断できない状態。
前に進めない状態。
何を基準にすればいいかわからない状態。
失敗したときの責任が見えない状態。

それ自体は、顧客にとっても現場にとっても望ましいものではない。

だから、「迷いは価値である」と言い切ると、おそらく間違える。

正確には、こうだと思う。

迷いの中に、まだ整理されていない価値の入口が含まれていることがある。

価値があるのは、迷いそのものではない。

迷いの奥にある、

判断できない理由。
見えていない条件。
言語化されていない不安。
放置されている力業。
比較できない選択肢。
測定できていない効果。

こうしたものを取り出し、整理し、判断可能な形に変えること。

そこに価値が生まれる可能性がある。


迷いを扱うことが価値にならないケース

もちろん、迷いを扱えば必ず価値になるわけではない。

むしろ、扱い方を間違えると逆効果になる。

たとえば、すでに答えが明確な場面で、わざわざ迷いを掘り下げる必要はない。

単純な手順ミス。
明文化されていないだけのルール。
FAQで即答できる問い合わせ。
マニュアルに書けば済む確認事項。

こうしたものまで「顧客の迷い」として深掘りすると、ただ対応が重くなる。

また、相手が急いでいる場面で、背景課題を聞きすぎるのも危険だ。

現場は今すぐ止血したい。
とにかく出荷を進めたい。
まず障害を復旧したい。
今日中に判断しないと困る。

そういう場面で、価値仮説や構造化の話を始めても、相手からすれば迷惑でしかない。

必要なのは、まず止めないことだ。

価値化は、その後でいい。


迷いを価値に変えるには、順番がある

迷いを価値につなげるには、順番がある。

最初から提案しない。
最初から売らない。
最初から構造化しない。

まず、相手の進行を助ける。

止まっているものを動かす。
困っている状態を軽くする。
判断に必要な情報をそろえる。
今すぐ決めるべきことと、後で考えればいいことを分ける。

そのうえで、同じ迷いが繰り返されているなら、初めて構造として扱う。

なぜ毎回ここで止まるのか。
なぜ判断基準が共有されないのか。
なぜこの機能の価値が伝わらないのか。
なぜ追加提案を受けても判断できないのか。
なぜ現場は力業で回し続けているのか。

この段階まで来て、ようやく迷いは価値の入口になる。

つまり、迷いを扱うことの価値は、迷いを観察することではなく、迷いを減らす形に変換することにある。


「迷いを残す」のではなく「迷いの発生条件を記録する」

ここも重要だと思う。

迷いを価値化するとは、迷いを残し続けることではない。

むしろ逆だ。

同じ迷いが繰り返されないように、発生条件を記録することだ。

どの場面で迷ったのか。
何の情報が足りなかったのか。
誰が判断するべきだったのか。
どの条件が揃えば進められたのか。
どこまで現場で判断してよかったのか。
どこから上長や担当部門に渡すべきだったのか。

これを、次に使える形で残せれば、次回の迷いは減る可能性がある。

ナレッジになる。
判断基準になる。
FAQになる。
運用ルールになる。
機能改善のヒントになる。
追加提案の根拠になる。

ここで初めて、迷いは価値の材料になる。

逆に言えば、記録もされず、構造化もされず、次に活かされない迷いは、ただの消耗で終わる。


迷いを売上に変える前に、信頼に変える必要がある

営業やCSの視点では、迷いは売上につながる可能性がある。

ただし、いきなり売上に変えようとすると危ない。

先に必要なのは、信頼への変換だと思う。

「この人たちは、こちらの困りごとをちゃんと見ている」
「無理に売り込むのではなく、判断できる形にしてくれる」
「必要ないものは必要ないと言ってくれる」
「今すぐ決めなくていいことと、今決めるべきことを分けてくれる」
「こちらの業務が止まらないように考えてくれる」

この感覚が先にないと、迷いへの介入は売り込みに見える。

逆に、この信頼がある状態なら、迷いを扱うことは価値になりやすい。

なぜなら、相手は売られているのではなく、判断を助けられていると感じるからだ。

価値は、迷いの中から直接立ち上がるのではない。

迷いを扱う態度への信頼を通じて、立ち上がる。


「迷い is Money」は、かなり危うい言葉でもある

このマガジンのタイトルでもある「迷い is Money」は、自分でも気に入っている。

ただ、同時にかなり危うい言葉でもある。

読み方を間違えると、

人の迷いを金に変える。
顧客の困りごとを収益化する。
不安や混乱をビジネスチャンスとして扱う。

そんな雑な発想にも見えてしまう。

これは、自分でも警戒しておきたい。

本来考えたいのは、迷いを煽ることではない。
迷いを放置することでもない。
迷いにつけ込むことでもない。

そうではなく、

迷いが生まれている場所には、判断できない構造があるかもしれない。
そこを整えれば、相手の業務が進み、自社の価値提供にもつながるかもしれない。

という仮説である。

だから、「迷い is Money」は、煽り文句としてではなく、自戒を含んだ仮説として扱う必要がある。


まとめ

迷いを扱うことは、本当に価値につながるのか。

この問いに対する現時点の答えは、かなり限定的だ。

迷いそのものに価値があるわけではない。

迷いは、基本的には負荷であり、現場にとっては減らしたいものだ。

ただし、迷いの奥にある、

判断できない理由。
不足している情報。
見えていない条件。
言語化されていない不安。
繰り返される力業。
比較できない選択肢。

これらを取り出し、整理し、次に同じ迷いが起きにくい形へ変換できるなら、そこには価値が生まれる。

つまり、価値があるのは、迷いをそのまま抱え続けることではない。

迷いを、判断できる構造へ変えること。

その変換に価値がある。

この前提を忘れると、迷いを扱うことはすぐに危うくなる。

顧客の困りごとを売上の材料として見てしまう。
現場の負荷を観察対象として消費してしまう。
相手が求めていない深掘りをしてしまう。

だからこそ、迷いを扱うなら、まず相手の進行を助けること。

そのうえで、繰り返される迷いだけを構造として記録すること。

この順番を間違えないようにしたい。

これは、誰かに対して「こう扱うべきだ」と言いたい話ではない。

自分自身が、迷いを価値という言葉で雑に扱わないための確認である。


次回予告

次回は、

ゲーミフィケーションは、本当に進行品質の評価に使えるのかを疑ってみる

というテーマで考えてみる。

これまで、進行品質を評価する手段として、ゲーミフィケーション的な発想が使えるのではないかと考えてきた。

結果だけでは見えない途中プロセス。
条件を回収する動き。
判断を前に進める行動。
停滞をほどくための小さな介入。

こうしたものをポイント化できれば、属人的に見えがちな進行品質を評価しやすくなるのではないか。

ただ、本当にそうなのだろうか。

ポイント化すれば、かえって行動が歪むのではないか。
評価される動きだけが増えて、本来の目的が見えなくなるのではないか。
進行品質の評価制度が、ただの管理強化になってしまう危険はないのか。

次回は、この仮説を一度疑ってみたい。




このマガジンは、現実世界の構造や変化に気づくのが遅れがちな自分自身を戒めるために書いている、思考整理のログです。

記事内の内容は、筆者自身の経験や観察をもとにした個人的な考察であり、特定の企業・業界・職種・個人を批判・断定するものではありません。

ここで用いている言葉や構造化は、現場で起きている複雑な事象を捉え直すための仮説です。正解ではなく、読者自身の現場や経験を見直すための視点としてお読みください。


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