エクスパンションを“条件回収ゲーム”として見る ー受注前にそろっている判断材料を分解するー
前回は、提案が上手い人は何を見ているのかを考えた。
上手い人は、最後の一押しだけが上手いわけではない。
困りごとの兆候や、現状運用の限界や、相手がまだ言葉にできていない判断材料を見ているのではないか。
今回は、その視点をもう少し分解してみたい。
エクスパンションは、最終受注だけを見ると属人技に見える。
しかし、その手前で何がそろっていたのかを見ると、少し違って見える。
長期課題が言語化されている。
現状運用の限界が共有されている。
次機能の必要性が理解されている。
効果を見る基準がそろっている。
意思決定条件が整理されている。
こうした条件が少しずつそろった結果として、追加機能の提案は検討しやすくなるのではないか。
もちろん、自分はSaaS企業のCSや営業プロセスを内側から語れる立場ではない。
あくまで、SaaSを使う側として複数のサービスに触れてきた経験から見た仮説である。
そのうえで、提案が自然に進む場面には、いくつかの共通した条件があるように感じる。
ここでいう“ゲーム”は攻略ではない
先に断っておきたい。
ここでいう“条件回収ゲーム”は、顧客を攻略するという意味ではない。
受注に向けて相手を誘導するという意味でもない。
顧客から情報を抜き取るという意味でもない。
むしろ逆である。
顧客が判断できる状態に近づくために、必要な条件を一つずつ確認していく。
その進行条件の可視化を、ここでは便宜的に“ゲーム”と呼んでいる。
ゲームという言葉を使うのは、最終結果だけではなく、途中の進行イベントを見やすくするためだ。
どの条件がそろったのか。
どの条件がまだ未整理なのか。
どこで判断が止まっているのか。
それを見えるようにしない限り、エクスパンションは「あの人だからできた」という属人技のまま残りやすい。
「ゲーム」という言葉への拒否反応
以前、どこかの記事で、若手営業職が評価指標にゲームのポイント制を提案したところ、上司から「遊び感覚で仕事をするな」と一蹴された、という話を読んだことがある。
この話を、世代論として扱いたいわけではない。
ただ、そこには「ゲーム」という言葉への強い拒否反応があるように感じた。
たしかに、仕事を遊びにするという意味で使えば危うい。
顧客対応や営業活動を、軽いノリで扱ってよいはずがない。
しかし、ゲームには別の側面もある。
ゴールがある。
途中の進行条件がある。
達成状況が見える。
次に何をすれば前に進むのかが分かる。
この意味でのゲーム性は、仕事を軽くするものではなく、仕事のプロセスを見えるようにするものだと思う。
エクスパンションも同じではないか。
最終受注だけを見るのではなく、受注前にどの条件がそろっていたのかを見る。
その条件をイベントとして分解する。
そうすれば、これまで属人技に見えていた進行品質を、少しずつ評価しやすくなる。
最終受注だけを見ると、属人化する
エクスパンションを評価するとき、どうしても最終結果に目が向きやすい。
追加機能が売れたか。
アップセルできたか。
契約金額が増えたか。
更新時に拡張できたか。
もちろん、最終成果は重要だ。
しかし、受注だけを見ても、その提案がなぜ進んだのかは分からない。
顧客側に予算があったのか。
課題がすでに顕在化していたのか。
意思決定者の課題意識が高かったのか。
効果を見る条件がそろっていたのか。
社内説明の材料が整理されていたのか。
途中過程が見えなければ、成功は属人技に見える。
「あの人は提案が上手い」
「あの人は顧客との関係性が強い」
「あの人はタイミングを読むのがうまい」
それ自体は事実かもしれない。
ただ、そこで止まると再現性がない。
少なくとも、最終受注の前にどの条件がそろっていたのかを見ると、属人技の中身は少し分解しやすくなる。
エクスパンションは、判断材料をそろえるプロセスでもある
追加機能の提案は、単に機能を紹介することではない。
顧客の中にある未整理の困りごとを、判断可能な状態に近づけていくプロセスでもある。
たとえば、追加機能の提案に至るまでには、次のような条件がある。
長期課題が言語化されている
現状限界が共有されている
次機能の必要性が理解されている
効果を見る基準がそろっている
意思決定条件が整理されている
これらがそろっていない状態で機能を提案しても、顧客は判断しにくい。
「便利そうですね」
「いつか使えそうです」
「社内で検討します」
そう言われたまま、話が止まる。
これは、顧客の関心が低いからとは限らない。
判断するための条件が、まだそろっていないだけかもしれない。
途中条件をイベントに分ける
属人技を分解するには、最終受注の手前にある条件をイベントとして見る必要がある。
ここでは、次の5つに分けて考えてみる。
1. 長期課題が言語化された
最初の条件は、顧客が目の前の不便だけでなく、継続的に発生している課題を言葉にできていることだ。
「毎回この作業が大変です」
という状態から、
「この運用が続くと、件数が増えたときに破綻しそうです」
「今は人力で何とかしていますが、今後は管理しきれなくなりそうです」
という状態に変わる。
ここには、時間軸が入っている。
今困っているだけではなく、今後もこのままだと厳しくなる。
そう認識されたとき、課題は単なる不満ではなく、将来の制約として扱いやすくなる。
追加機能の提案は、この段階に入ってからの方が自然につながりやすい。
2. 現状限界が共有された
次に必要なのは、今のやり方でどこまで対応できて、どこから限界なのかが共有されることだ。
現場は、意外と限界を限界として言語化しない。
例外対応で回す。
Excelで補う。
担当者の記憶で管理する。
設定変更で何とか辻褄を合わせる。
別の運用ルールを作って乗り切る。
これらは一見すると、現場の工夫に見える。
実際、現場の工夫であることも多い。
ただ、その裏側には「今の機能だけでは吸収しきれていない困りごと」があるかもしれない。
その限界が共有されないまま追加機能を提案しても、顧客には必要性が伝わりにくい。
逆に、
「今はこの運用で回っていますが、件数が増えるとこの部分がボトルネックになりそうですね」
という共通認識ができていれば、次の機能提案は自然につながりやすい。
3. 次機能の必要性が理解された
機能紹介が刺さらないのは、機能の説明が弱いからとは限らない。
顧客の中で、その機能が必要になる文脈がまだ立ち上がっていない場合がある。
追加機能は、単体で価値を持つというより、困りごとの延長線上で価値を持つ。
「この機能があります」ではなく、
「今の運用で発生しているこの負担を減らすために、この機能が使えそうです」
という接続が必要になる。
この接続ができたとき、顧客は初めて機能を“自分ごと”として見られる。
ユーザー側から見ると、この差は大きい。
機能一覧を見せられても、必要性はすぐには分からない。
しかし、自分たちの運用上の困りごとと接続されると、急に検討対象として見え始める。
4. 効果を見る基準がそろった
追加機能の提案では、必要性だけでなく、何をもって良くなったと判断するかも重要になる。
作業時間が減るのか。
問い合わせが減るのか。
ミスが減るのか。
対応件数が増えても回るようになるのか。
属人対応が減るのか。
売上機会が増えるのか。
必ずしも、厳密な数値KPIである必要はない。
小さな機能追加であれば、
「作業が少し楽になる」
「確認漏れが減りそう」
「担当者以外でも対応しやすくなる」
といった定性的な見方でも十分な場合はある。
ただ、何が改善されれば「導入した意味があった」と言えるのか。
その見方は、ある程度そろえておいた方がよい。
ここが曖昧なままだと、顧客は判断しにくい。
導入後に良くなったのかどうかも分からない。
社内で説明する材料も弱くなる。
だから、効果を見る基準をそろえることは、単なる管理指標の話ではない。
判断条件の共有でもある。
5. 意思決定条件が整理された
最後に必要なのは、誰が、何を見て、どの条件で決めるのかである。
現場担当者は必要性を感じている。
しかし、決裁者は費用対効果を見ている。
情報システム部門は運用負荷を見ている。
管理部門は契約や予算を見ている。
現場責任者は定着可能性を見ている。
この判断条件が整理されていないと、提案は社内で止まりやすい。
「良さそうだけど、誰にどう説明すればいいか分からない」
という状態になる。
少なくともユーザー側から見ると、社内で説明しやすい材料まで整理してくれる担当者の提案は、検討しやすい。
機能の魅力だけでなく、社内でどう説明すればよいかまで見えてくるからだ。
エクスパンションは、売り手と買い手の間だけで完結するものではない。
顧客の社内にも、判断のプロセスがある。
そこまで含めて整理されているかどうかで、提案の進み方は大きく変わる。
条件がそろっても、必ず受注するわけではない
ここは誤解しないようにしておきたい。
長期課題が言語化され、現状限界が共有され、次機能の必要性が理解され、効果を見る基準がそろい、意思決定条件が整理された。
だからといって、必ず受注するわけではない。
予算がないこともある。
競合製品があることもある。
組織の優先順位が変わることもある。
担当者が異動することもある。
稟議が通らないこともある。
そもそも、追加機能が本当に必要ではない場合もある。
条件がそろうことは、受注を保証するものではない。
ただ、顧客が検討できる状態には近づく。
ここが重要だと思う。
エクスパンションの目的を「必ず売ること」として見てしまうと、条件整理は説得材料集めになってしまう。
しかし、顧客が判断できる状態を作ることとして見るなら、条件整理は支援になる。
受注は、その結果として起きることもある。
一方で、見送りという判断になることもある。
それでも、判断材料が整理されたうえでの見送りであれば、次につながる学習が残る。
条件回収ゲームにすると、育成対象が変わる
エクスパンションを条件回収ゲームとして見ると、育成すべき能力も変わる。
単にトークスクリプトを覚えることではない。
機能説明をうまくすることでもない。
クロージング技術だけを磨くことでもない。
必要なのは、顧客の判断がどこで止まっているかを見る力だ。
課題がまだ言語化されていないのか。
現状限界が共有されていないのか。
機能との接続ができていないのか。
効果を見る基準が曖昧なのか。
意思決定条件が見えていないのか。
どの条件が未整理なのかを見極める。
そして、次に確認すべき条件を考える。
ここまで見えるようになると、エクスパンションは単なる機能提案ではなく、顧客の判断を支援する活動として捉えやすくなる。
ただし、ゲーム化には危うさもある
条件回収を、顧客を動かすための攻略手順として扱うと、すぐに歪む。
顧客の困りごとを利用する。
不安を煽る。
必要性を過剰に演出する。
効果の見方を売り手側に都合よく設定する。
意思決定条件を誘導する。
それでは、顧客支援ではなく、単なる売り込みになる。
本来の条件整理は、顧客がより良く判断するための材料を整える行為である。
少なくとも、ユーザー側から見ると、ありがたいのは“売り手が勝つための提案”ではない。
こちらが判断しやすくなる提案である。
だからこそ、条件回収ゲームには倫理設計が必要になる。
確認すべきなのは、顧客を説得する材料ではない。
顧客が納得して判断するための条件である。
進行品質を見なければ、再現性は育たない
エクスパンションの属人技を分解するには、結果だけでは足りない。
どの条件がそろったのか。
どの条件が未整理だったのか。
どこで判断が止まったのか。
どの情報があれば前に進めたのか。
こうした進行品質を見る必要がある。
受注したかどうかだけでは、学習できない。
失注した案件にも、途中まで良い進行があったかもしれない。
受注した案件にも、たまたま条件がそろっていただけのものがあるかもしれない。
結果だけを見ると、そこが見えない。
だから、エクスパンションを育てるには、最終成果だけでなく、途中の条件整理を評価する視点が必要になる。
おわりに
エクスパンションは、最後に追加機能を売る活動だけではない。
顧客の困りごと、現状限界、効果の見方、意思決定条件を整理していく。
その積み重ねとして、追加機能の提案は検討対象になっていく。
その一連のプロセスとして見ると、エクスパンションは“条件回収ゲーム”として分解できる。
ただし、それは顧客を攻略するゲームではない。
顧客が判断できる状態に近づくための、進行条件の可視化である。
ゲームという言葉は、仕事を軽く見せる危うさもある。
しかし、途中条件を見えるようにするという意味では、属人技を分解するための強い比喩にもなる。
最終受注だけを見ている限り、上手い人のやっていることは属人技に見える。
しかし、途中条件をイベントとして分解すれば、見えてくるものがある。
何を見ていたのか。
何を待っていたのか。
何を確認していたのか。
どの条件がそろったから、提案できたのか。
エクスパンションの再現性は、そこから立ち上がるのだと思う。
長くなってしまったが、これは体系化された営業論やCS論というより、今までの経験の中で仕事がスムーズに流れた案件を思い出しながら、「あのとき何がそろっていたのか」を後から整理してみた仮説である。
正解として提示したいわけではなく、自分が見落としていた進行条件を言葉にしておくための思考メモに近い。
次回予告
次回は、
結果だけでは育たない|進行品質を評価する制度が必要になる
について考えてみたい。
このマガジンは、現実世界の構造や変化に気づくのが遅れがちな自分自身を戒めるために書いている、思考整理のログです。
記事内の内容は、筆者自身の経験や観察をもとにした個人的な考察であり、特定の企業・業界・職種・個人を批判・断定するものではありません。
ここで用いている言葉や構造化は、現場で起きている複雑な事象を捉え直すための仮説です。正解ではなく、読者自身の現場や経験を見直すための視点としてお読みください。
