例外を捨てた20年と、これからの顧客理解 -ONE to ONEマーケティングはなぜ未完に終わったのか-
はじめに
新入社員の頃、母の日の繁忙期が終わった直後、上司のクレーム対応に同行する機会があった。
フラワーギフトの配送に関するクレームだった。
上司は、依頼主ではなく、配送先のお客様のもとへ直接お詫びに向かった。花の再送だけでなく、その場で丁寧に説明と謝罪を行った。
配送先のお客様は、最後にこう言った。
「そこまでしてもらって、なんだか悪いわね」
その後、依頼主からは
「何があってもこのショップなら安心できる」
という言葉をいただいた。
このとき学んだのは、運んでいたのは花ではなく、気持ちだったということだった。
そして同時に、問題は「モノが正しく届かなかったこと」ではなく、その気持ちを正しく運べなかったことにあったのだと理解した。
クレーム対応とは、単なる後処理ではない。
そこには、その店や会社が「何を届けているのか」が最もはっきり表れる瞬間がある。
1. 顧客は「理解されている」のに、なぜうるさいのか
最近のサービスは、やたらと“自分を理解している風”だ。
購買履歴に基づくレコメンド。
閲覧履歴に基づく広告。
セグメント別に最適化されたメール。
確かに精度は上がっている。
それでも、多くの場合それは「ノイズ」に感じられる。
それは、「知っている」と「わかっている」が一致していないからだと思う。
履歴は持っている。属性も推定している。
しかし、その人がいまどういう状態にあるのか、何を大事にしているのか、どういう距離感で接してほしいのかまでは、ほとんど扱えていない。
その結果、「理解されている」はずの接触が、むしろ雑音になる。
2. 1998年に目指していたもの
1990年代後半、ONE to ONEマーケティングや顧客価値マーケティングが提唱された。
そこにはさまざまな立場や温度差があったはずだが、少なくとも一つの方向として、一人ひとりの顧客をより深く理解し、継続的な関係の中でコミュニケーションを最適化するという発想があったように思う。
これは、まったく新しい考え方だったわけではない。
昔の街の八百屋や三河屋が、大福帳を頼りにやっていたことの延長線上にあるとも言える。
誰が何を好むか。
最近どうしているか。
どのタイミングなら声をかけてもよいか。
もちろん、昔ながらの商いがそのまま理想形だったわけではない。
属人的で、再現性に乏しく、排他的な側面もあった。
それでもなお、当時やろうとしていたことの中には、単なる販促効率ではなく、関係性を扱おうとする問題意識が含まれていたのではないかと思う。
3. なぜそれは実現しなかったのか
技術的な制約もあった。
データも足りず、処理能力も限られていた。
ただ、それだけではない。
本質的には、扱いやすいものに最適化されていったのだと思う。
信頼や距離感は測りにくい。
文脈はデータ化しづらい。
関係性は構造化しにくい。
その一方で、
クリック率
開封率
購買履歴
離脱率
といった「測れるもの」は扱いやすい。
その結果、本来やりたかったはずのことは少しずつ別のものに置き換わっていった。
個別最適はセグメント最適へ。
文脈理解は属性分類へ。
関係性の構築は接触回数の最適化へ。
問題設定は残っていたのに、途中から「解きやすい問題」に重心が移っていったように見える。
4. 現場は今でも「例外」で動いている
一方で、現場はどうか。
物流でも、店舗でも、カスタマーサポートでも、実際に起きているのは例外の連続だ。
想定外の遅延。
クレーム。
個別の事情。
微妙なニュアンスの違い。
そして興味深いのは、特に密度の高い顧客理解が得られるのは、例外が起きた瞬間であるということだ。
何に不満を感じるのか。
どこまで許容するのか。
何を大事にしているのか。
どこで不信に変わり、どこで信頼に戻るのか。
もちろん、平常時の行動や沈黙の継続にも重要な情報は含まれている。
ただ、例外の場面では、ふだん見えにくい価値観や期待の輪郭が一気に露出することがある。
5. 例外は「ノイズ」ではなく「資産」だったのではないか
多くのシステムは、例外を減らそうとする。
標準化。
自動化。
効率化。
もちろん、これらは必要だ。
標準化や自動化そのものを否定したいわけではない。
ただ、その過程で、扱いにくい文脈や例外を設計の外に押し出しすぎると、見えなくなるものがある。
別の見方をすると、例外とは顧客を理解するための特に密度の高いログでもある。
老舗旅館や、行きつけの床屋や、昔ながらの町の飲食店。
あるいはボトルキープのできる飲み屋のような場所では、過去のやり取りや小さな違和感、ちょっとした要望が、次の体験に自然に反映されている。
そこでは例外は消されない。
記憶され、関係の中に織り込まれていく。
もちろん、こうした例外対応や関係性の積み上げは、短期的には非効率に見えるかもしれない。
ただ、実務の中では別の形でその効果が現れることもある。
例えばフラワーギフトでは、クレーム対応を含めた体験の積み重ねがリピート率に影響し、結果としてLTVの向上につながる。
また、レーシッククリニックのような高関与商材では、体験の質が紹介率に影響し、顧客獲得コストの低減と新規顧客投資の厚みにもつながりうる。
もちろん、すべての業界で同じように機能するわけではない。
それでも、関係性や例外対応は短期的な効率と単純に対立するものではなく、長期的には経済合理性を支える要素になりうる。
6. 今、もう一度このテーマに戻れる理由
ここで状況が変わりつつある。
会話ログの蓄積。
非構造データの活用。
AIによる文脈理解。
これまで扱えなかった「関係性」に近い情報が、以前よりは処理しやすくなってきた。
もちろん、AIがそのまま関係性を実装してくれるわけではない。
責任の所在、運用設計、権限移譲のあり方など、技術以外の論点も大きい。
それでも少なくとも、以前のように「難しいから切り捨てる」しかなかった時代とは違う。
だからこそ、1998年に掲げられた問題に、今なら以前より再挑戦しやすくなっているように思う。
7. 仮説:次の競争軸は「例外の構造化」
ここで重要になるのは、「何を提供するか」だけではなく、いつ、どの距離で関わるかという視点である。
昔ながらの商いでは、顧客との“間合い”が自然に調整されていた。
忙しそうなときは声をかけない。
余裕があるときは雑談する。
必要なときだけ提案する。
それは単なる接客技術ではなく、関係性の運用だったのだと思う。
一方で、現在の多くのシステムでは、「接触できること」が前提になっている。
しかし、問題は接触そのものではなく、どの文脈で、どの頻度で、誰が、どのように接触するかの設計にあるのだと思う。
これは「何を出すか」の問題ではなく、「いつ出さないか」を含めた設計の問題ではないか。
そう考えると、少なくとも一部の高関与領域や継続関係が重要な領域では、次の競争軸の一つは、例外をどれだけ排除できるかではなく、例外をどれだけ理解し、構造化し、次の関係に活かせるかにあるのではないか。
8. 自分が向き合っている問い
これまで現場で感じてきた違和感は一貫している。
システムは整っているのに、なぜか噛み合わない。
データは増えているのに、理解が深まらない。
その背景にあるのは、平均最適化と現場の現実のズレではないかと考えている。
現場は例外で動いている。
にもかかわらず、設計は平均で閉じようとする。
そのズレは、小さな違和感として現れ、やがてノイズや不信につながる。
自分が気になっているのは、まさにこの部分だ。
例外をただのノイズとして処理するのではなく、そこに現れる文脈や感情や関係性を、どう設計に戻せるのか。
9. おわりに
この20年は、顧客を効率的に処理する仕組みを作ってきた時間だったのかもしれない。
けれど次に必要なのは、顧客との関係を再構築する仕組みではないかと思う。
1990年代後半に語られていたONE to ONEの思想は、失敗したというより、未完のまま置き去りにされてきたのではないか。
もしそうだとしたら、今はそのテーマにもう一度向き合えるタイミングなのかもしれない。
自分としても、この問いにもう少し向き合ってみたいと思っている。
