日本を妖怪から守った将軍〜 ラバウルの聖将 今村均 中編
さて、お久しぶりになった
日本を妖怪から守った将軍
〜ラバウルの聖将 今村均
の中編です。
当初、続けて書くはずだった続編がこのように遅れてしまったわけは、続編を書くために取り寄せていた4冊ほどの本を読み込むうちに、当初書く予定だった内容と史料に書かれた内容にずれが大きくなってしまったからです。
もうちょっと具体的に言うと、今回のお話の主人公今村均大将ともう一人の主人公である、水木しげる(本名 武良茂)二等兵との関係が、直接顔を見た回数で言うと2回だけで思っていたほど多くはなかったことです。
しかし、伝えたかったことの本筋は変わりませんので今回なんとかまとめてみたいと思います。
今村均大将は宮城県仙台の出身。
仙台藩士の家柄だったが、明治維新後、
均の父は裁判官を務めていた。
一方、均の母は陸軍将校の娘であったために、
今村のために勝手に陸軍士官学校の願書を出すほどだったが、今村自身も明治天皇の閲兵式の様子をみて軍人になることを決意した。
士官学校でも優秀、その後の陸軍大学校では首席で恩賜の軍刀を頂戴するほどだったが、軍事一辺倒ではなく、史書や宗教書など幅広く読み教養人としても知られていた。
肉体的にはおねしょが治らないなどのハンデを抱えていたが、終生堂々たる体躯で着実に軍人としてのキャリアを重ねていった。
今村は満州、華南、ジャワと転任を重ね、その間には任地に向かう飛行機が墜落やら不時着したり、撃墜されそうになったり、乗った輸送船が味方の誤射で撃沈などの苦難に遭いながらも任務を着実にこなし、1942年11月20日ニューギニア島の北東、ニューブリテン島にあり、オーストラリア、ニューギニア方面の日本軍最大の拠点であるラバウルに着任した。
日本軍は太平洋戦争開戦後、
資源(石油、ゴムなど)を確保するため
当時英領、蘭領だった、ボルネオ(カリマンタン)島やジャワ島へ進出して行ったが、
そうなるとオーストラリアに逃げていった
マッカーサー率いる米軍や
オーストラリア軍と対峙することになり、
その最前線基地が天然の要害である
ラバウルであり、
ラバウル航空隊の名前は内外に轟いていた。
しかし、今村が着任したころには既にガダルカナルでの戦いの趨勢は明瞭になっており、当該海域で戦っていた翔鶴、瑞鶴ら主力空母はトラックに引き上げ、戦艦比叡、霧島は撃沈され、ラバウルは既に孤立しつつあった。
そのような状況下で着任した今村は早晩補給路は失われ、食料弾薬が供給されなくなることを予想し、自給自足化に取り組み、大規模な田畑の開墾、病院や兵器弾薬工場の整備を行い、海軍の草鹿任一中将の協力も取り付けラバウルを難攻不落の要塞化していった。
そんな中、1943年10月に輸送船信濃丸がパラオから兵員を輸送してくる。
この信濃丸は近代日本のキーシップとも言うべき運命の船で(いずれまとめる予定です)、この時既に船齢40年を超える老朽艦でしたが、
この前の船も、その前の船も沈められる中、
ラバウルに到達した最後の輸送船でした。
そしてこの船には後に「ゲゲゲの鬼太郎」
を描き日本の妖怪マンガの第一人者になる
水木しげる二等兵が乗船していました。
水木はラバウル上陸寸前に米軍の爆撃にあい
絶体絶命を覚悟したとき、
ラバウル航空隊の一式陸攻(おそらく
ゼロ戦は既に稼働不能に追い込まれていた) が緊急発進をして、捨て身の上陸支援を
したために助かったことをその絵とともに
「神の使い」と表現しています。
この後、ラバウルに兵員を乗せて到達できた
船はなかったために水木しげるは
最後にラバウルにやってきた日本兵の一人
ということになります。
そして上陸してすぐのころ、
総司令官今村大将の閲兵を受け
初対面をしています。
今村は
「君たちを最初に日本に帰してやりたい」
との訓示を水木たちに与えますが、
結局水木しげるは敗戦までラバウルの
ジャングルを彷徨うことになります。
そしてそこでのいくつもの不思議な経験や、
極限状態での自他の運命に接した体験が
彼のマンガ家としての血肉と
なってゆくのです。
