デザインに答えはあるのか
こんにちわ!
イラストレーターの鹿角時計です(⭐️ ´ Å ` ⭐️)!
今日のタイトルは
「デザインに答えはあるのか」
ですが。

と、
いうわけにはいきませんか、
いきませんね。


✅️ デザインに答えはあるのか ✅️
実例を出して、改善するのは、まぁ、、、簡単でしょう。
そういうのは基本的にはマッチポンプですから。
解答を先に作成してから問題を作る間違い探しみたいなものですね。
さらに、デザインを変更して
「これはこうだからいいんです!」
と、
断定的に言われたら、納得してしまいやすいのが、デザイン。
それはデザインの性質なのかもしれませんが、
振り回されちゃいますねー。
デザインテクニックの基本を紹介するのであれば
マッチポンプより誰かの試作を貸してもらった方が良いでしょう。
講評型ですが、自作自演より説得力とリスクがあります。
リスクは背負った方が、説得力があるでしょう?
それでも、その試作がより良いデザインに変わったと感じられるとしても、
そのデザインが正しい=答えである
と、言う確実な証拠みたいなものは存在しません。
さらに言えば、改良されたデザインは、さらに改良はできない
と、言う証拠にはなりません。
デザインの答えとして
良くなること=答え
として、都度の改良を段階的な区切りとして考える、
つまり良くなるたびに答えとするのなら、それは成立するでしょう。
「答え」という意味の使い方、つまり、
視点や言い方を変えれば
「答え」は答えとしていくらでも成り立ってしまいます。
(自分の都合の良い結論に至ることができます。)
が、そういうことをいいたいのではないので
さらに迷走します。(思考的に)
例えば、自分自身より技術やセンスのある人の制作物を
より良いものにする、手を加えるのは非常に難しいですが、
変更点を示唆する程度なら(難癖をつけるなら)
いくらでもできてしまうのがデザインです。
プロスポーツ選手に、やじを飛ばすようなもんですか(たぶんちがう)
プロは難癖をつけられないようなデザインを作成し、
根拠を持ってクライアントを納得させるのが仕事。
だと思いますが、
それができる人が多いとは思えません。
(すくなくとも自分は、悪意に対して防戦しかできないと思います。)
さらに大人は予算や納期や技術的な問題、
さまざなな要素と折り合いをつけ
できるだけ良いものになるようにすることしかできません。
現実を眺めれば手の届くことしかできませんし
理想を語れば言葉に振り回されるだけ
これがこのデザインの最善だ!と言っても、
解釈や表現の違いで、正解とできるパターンがいくつもある
それはデザインのいいところだと思います。
そして、判断が迷うところ、面白いところだと思います。
どんなデザインにも適用できる、ただ一つの答えがあるか?
という意味では、そんなものは存在し得ない。
と、言い切れます。
それは、「個別のデザインごとに」と条件をつけても、無いです。
芸術の一分野であるデザインが、(分類上)
たとえ商業や科学の分野に接しているからと言って
数学のように明確な答えがでるなど、ありえないと思いませんか?
デザイン制作に感性が必要であることは間違いないですが、
大部分がロジックであり、経験則であり、知識であり、技術です。
しかし、制作されたものは感性で大部分を判断します。
感情や感覚に左右されるということはすでに、
個人の好き好きという多数の解を認めることになるでしょう。
そういう意味でも、答えはひとつにはならないはずです。
制作面から見た答えも、完成品からみた答えもひとつではない。
そもそも抽象的な範囲を示す対象(=ここではデザインのこと)に、
たった一つの答えを求めるのは
アホの所業です。
正しい正義なんて言葉が生まれるみたいなアホさ加減。

だったら
「問そのもの(=デザインに答えはあるのか)」
が、欠陥なんだろう。と言う問題になってきます。
それはあるかもしれません。
・・・。
あー
あ!!
・・・ごめんなさい、なんでもないです。
(今更自分のタイトルが間違っているのではないかと思い至った)
「現在のフランス王妃の名前は?」
という問題に似てますね。
似たような問が、書籍でよく紹介されています。
答えは
現在、フランスに王室はないので「問」自体が間違っています。
前提があるという前提が間違い。
ここらへんは認知とかバイアスとかそういう分野を語る場合に
面白くなってくるところですけど、
言葉で語る場合には避けて通れないかなと
それに認知科学や行動経済学はデザインと密接な関わりがあり
関連書籍も多数あります。
ここらへんに言及すると話が膨らみすぎてしまうので戻りますが、
ただ、
たしかに
「デザインに答えはあるか」と
問うこと
それ自体がナンセンスであると考えられますが、
「デザインに答えはあるだろう」と当然のように
求められているのは、事実なのではないかと思います。
文言通りにデザインの答えを要求されることはないでしょう、
しかし、デザイナーは制作する時に
答えを探しますし、落とし所としての答えを作ることになります。
クライアントも同様にイメージに合って、納得できる=正解を求めます。
ここらへんは言葉のゆらぎに頼って無理やり繋いでいる間はありますが
イメージとしては伝わるだろうと思います。
デザインが完成した時に
「お!これいいじゃん!」とか
「まぁ、こんなもんかな」とか
そういう区切りがデザイン決定の区切りとして
存在しているのは確かかと思います。
「これしかないね!」とか、
「完璧!」という、やや自画自賛や称賛過多な場合もあるでしょうが
どんなデザインも卑下しなきゃいけないわけじゃないし
実際すげぇなぁっていうデザインやイラストはたくさん存在します。
これは思考実験で非常にナンセンスな例になりますが
ミクロの視点で考えた時に
A1サイズのポスター画の1ピクセルが変更された場合
絶対にだれも気が付きませんが、その変更がより良いものであると
考えられることは「思考的に」可能です。
ドット絵イラストを描く人は1ドットの重みがよくわかりますが、
ドットの集合体としての全体イメージが優先される大きなデジタル絵は
1ドットどころか1000ドットくらい変更されても
描いた本人すら気が付かないかもしれません。
(解像度やキャンバスサイズによるでしょうし、何をどう変えたかにもよりますが、jpegのように5MBから500kbまで画質を落としても全体のイメージ・形はほぼ損なわれません。)
必要な機能として、例えばスーラの点描画は一つ一つの点が絶対に動きようのない要素なのではなく、大部分を変更しても、全体の主張や表現が変わらないのであれば成立する。とまでは言えなくとも、ほんの少しの修正で何かが決定的に変わるということはないでしょう。
(変わるという主張も何を指すかによって正当だと思います。)
絵を描く人であれば、細かな部分の積み重ねが
圧倒的な表現を生み出していくということをよく理解しているはずです。
ほんの小さな線のはみ出しも許さない正確な描写
全体の陰影に矛盾を生み出さないよな着彩
時間を掛ければ掛けるほど、変更点は微細になっていくのに、その微細な作業に膨大な時間が必要になります。
これも例えばですが、
1時間描いた絵と5時間描いた絵では100倍の差が生まれ
5時間描いた絵と20時間描いた絵では2倍も変わらない
けれどそれが50時間、100時間かけられるポテンシャルの絵なら
変更点は非常に微細ですが、質の差がつけられないほど別物になる
そんなイメージです。
それでも上記の極端な例を引き合いに出せば
細部に答えがあるわけでもないということはわかります。
答えという問いがナンセンスだと言うのは
答えが見つからないから、というよりも
答えがあることを前提に話を進めることが
すでに袋小路の入口なのだと気がつくべきだと言うことです。
🐟️ 最善のデザインをもとめることと、求められること
たとえ、デザインの答えを求めるのがあまり、意味のないことであっても
最善策を求めるのであれば、
「最善=答え」なのであれば、
自分の技術の粋を求めるのであれば、
クライアントの満足を追求するなら、
デザインの効果にその根拠を見るのであれば、
それぞれ目指すものも、求められるものも変わってくるでしょう。
作っていないものや試すことができないものは
「 if 」の世界でしかありません。
デザインは更により良くなるかもしれませんが、
ある一定のラインを超えれば
それは解釈や好みの違いにすぎないのではないでしょうか。
あらゆる線の細部にまで気を配られたデザインやイラストに
優劣を付ける方法などないように思います。
それでいいじゃん(解決☆(ゝω・)vキャピ✨️)
だと、入口が出口になっちゃうのでもう少し迷宮を、
思考の上で迷走しましょう。
現在まで培われてきた技術や知識、現代の流行など
より良くするための要素は膨大な数が存在しますが
前提条件が案件ごとに異なる以上、
常に最適解が生み出せるかというと
なかなか難しいです。
そんなん、10割打者、無理や。
同じ様な案件でも、
条件がちょっと違うだけで
作成されたデザインが
最適ではなくなることは往々にしてあります。
(当然の帰結)
つまりデザインテクニックだけでは
超えられないことはいくらでもあるよ
ってことです。
悪い例での
画像生成系AIで見た目をかっこいいふうにした量産デザイン(笑)や
悪い例での
有名イラストレーターの作風や構図をほぼ真似ただけの追従者作品は
見た目や技工は似ていても、本質的な部分が機能していません。
(ただ、画像生成系AIをつかっても素晴らしいデザインはできますし、
むしろこれからはそれが主流になるかもしれませんし、
有名イラストレーターの模倣だとしても良い感じになることはありますし、
むしろ最初はみんな模倣からはじまるので、
この、はっきりと断言できない、答えが出ない、というところが、
本当に、デザインの楽しいところだと思います。)
これはかっこいいデザインだ!
というものがあるとしても、
バナーデザインのかっこよさや機能性と
CDジャケット・デザインのかっこよさと機能性は
異なります。
比べるのが間違っているというほどに、異なります。
新聞の小さな広告でも非常に優れたものを見かけることがありますが
そういったデザインの良さと
屋外広告の大きなポスターや
キャンペーンによるクロスメディアの広告戦略全体のデザインは
扱う情報量も、比べるべきデザインの方向性も
やっぱり全く異なるでしょう。
たとえ、同じレベルで語れる部分があるにしても
それは別物だと認識すべきものです。
答えがないから、楽しい
という点はあるでしょう。
答えを探すために、模索し続ける
ということもあるかもしれません。
答えはみんな一人ひとりの心のなかにあるんだよ。

とか、言っちゃってもいいかもしれません。
漫画だったら逆エビ固めとかされそうな解答ですけど
もう、なんでもいいです。
いや、だめか。
結局個人の考えに基づくのであれば
相対的な価値観として
極北の彼方へ消えてしまうのことでしょう。
(元ネタは「相対主義の極北」という本)
(極北の彼方へ消えてしまう=)
つまり何も言っていないのと同じ。
答えは出ていない。
よって答えはない。
そう考えざるを得ません。
単純に、それは当たり前ですけどね。
個人の嗜好に基づいたら
自由主義、個人主義、多様性という責任概念に吸収されてしまいます。
元ネタ的には、彼方へ消える前の絶対主義との接点を見つけ出すべきなのでしょうけれど
ブラック・スワンや悪魔の証明のように
無いことを証明するのは実質不可能でしょうから
ここでは答えが出ていない状態なので
答えはないという結論としています。
わぁ、詭弁。というか乱暴。ランボー!
・・・詭弁って何回も言うと
便器に聞こえてくるな。

1️⃣ そもそもデザインとは
解を導くためには問いを理解していなければいけません。
(問が間違っているにしても、むしろ間違っているかを確認するために)
そもそもデザインってなんだよ。
しかし、
デザインという言葉が内包するイメージや、
デザインを適用できるものの種類・分類、
さらには意味の範囲があまりにも広すぎて、
定義することさえ困難です。
一応、解釈の一つとして
デザインとは、近代産業社会の所産で、生活のために必要ないろいろなものを作るにあたって、物の材料や構造や機能はもとより、美しさや調和を考えて、1つの物の形態あるいは形式へまとめ上げる総合的な計画、設計のことを言う。
さまざまな辞書や辞典を紐解いて
デザインの定義を明確化する必要は特にないので
そこら辺にあった事典で意味の例を引用させていただきました。
言葉をこねくりまわしても答えなんて出ないのは、
先達の知恵ですから。
デザインが、芸術の分類上、商業美術の中の一分野であることは分類学上間違いではありません(おおむね妥当です)
そして、デザインというものを簡単に定義すると
「デザイン」とは目的の機能にするための設計
ということですね。
”簡単に言う” と、
本当は意味がブレちゃうので簡単に言うべきではないですが、
結局大体のイメージでしか共通認識として成立していません。
哲学でも言語学でもないんですから
大体で、
大体でいきましょう。
ね?
ぐるぐる言葉をこねくりまわしても
要するにデザインはデザインでしょ。っていうオチになります。
でもそれじゃあ話にならない。
まぁ、もう少し考えましょう。
もうちょっと迷子でいたい。
(迷子で痛いって変換されたけど、痛々しいのは間違いない。)

長すぎるんだよ、文章。
文脈の整合性を考えるの大変。
しかも、そんなに上手くできてないよ!
どのみち定義がしっかりしようが、
服飾のデザインとUIのデザイン、
はたまたインテリアのデザインを同列に考えることは不可能です。
根本にある「デザイン」が同じでも、目的も手段も違うものは
別のものであると認識されます。
理解できる部分はあっても、円の重なった部分でしかなく、
個々の分野の全体は、個々の分野の専門家にしか把握できません。
分野ごとの、案件ごとの最適解というか
理想!、、、もしくは、このくらいの出来を期待してるよ!っていうのは
あるでしょうが、
((本当にそれで良かったのかな?))
って、制作し終わったあと、
納品したあとに、思わない人はいるのでしょうか。
自問しない人は進歩しないような気もしますが、
得てしてクリエイターは自分に厳しいかネガティブ思考が多いと思います。
たまにいる自信家が羨ましいです。
なかなか良くできた!とか、自信作!というのはありますけど、
これが「答え」だと断言できるようなものって
そもそも作ることは可能なんでしょうか?
プロとしてはいい切る必要があります。それが仕事ですし。
それでも内心では、迷いはあるでしょう。
そういうものである必要もあります。
それに仮に作品の出来に満足しても、
単純にそのレベルまでしか表現できないっていう可能性ありますよね?
そこまで思考の足場を踏み外すと泥沼状態な気がします。
どんな状況も想定すると議論が成り立たないっていう泥沼。
哲学論争なんてそういうところ、ある気がします。(個人の感想です。)
デザインという言葉であらゆるものを一括りにすると
それは色々無理が出てきます。
デザインには様々な分野や種類があるのですから。
(デザインは便利な言葉だから便利に使ってはいけません。)
デザインという言葉には
共通認識や共通の技術、共通の知識はたしかにありますが
webデザイナーに
「ちょっとこれデザインしておいてー」
ってジュエリーデザイン案件をもっていったとして
しかるべき機能をもたせたり、
求められる形式でデータ・デザインを提出できるわけじゃなし
よしんば絵を描けるとしても、できる部分があったとしても
経験のない人が、必要条件を満たすには、きちんと調査しなければいけないし、それはもう、ジュエリーデザイナーの卵です。
CADデザイン案件だったり、環境デザイン案件だったり、
一般に馴染みのない専門分野のデザインをやるとすると
何をどうすればいいのか?というところから始まります。
そんなの

現実として当たり前の話ですが、
私はここに少し違和感を感じています。(しかし説明しづらい。)
なんでいろんなジャンルに
デザインって付いてるのかなって思っちゃいます。
(そこかよ)
細分化された職種の知識や技術を横断するのは
スペシャリストよりジェネラリストの技です。
専門特化しないと、生きていけないのに、
汎用的になっても生きていけないとは思いますが・・・
(それでもいきている人はたくさんいるでしょうが)
普通はあんまり違和感は感じないと思いますが、
デザインってなんだよ。
って思います。
しかも、考えるほどわからないし。答え(思考の区切り)はない。
(みごとに言葉に振り回されている哀れな鹿)

ではでは
ちょっと別の角度から考えてみましょう。
2️⃣ デザインとスポーツと医療
「デザイン」は「スポーツ」や「医療」等と同じ用に
さまざまな専門職に細分化されています。
webデザイナー
グラフィックデザイナー
UIデザイナー
プロダクトデザイナー
インテリアデザイナー
音響デザイナー
・・・・もう、無数に
それは
サッカー選手
野球選手
バスケットボール選手とか
眼科医師
小児科医
外科医
などと同じように、
細分化されていますが、複数の専門を兼任することはある程度可能です。
野球選手は馬術やアーチェリーのプロではありませんが
練習すれば上達します。
個人差があり、一概には言えませんが、
ソフトボールやクリケットなどなら親和性は高いはずですし、
他のスポーツに取り組むにしても
一般人より能力は最初から高いことは予想されます。
仕事になるという点ではプロスポーツ選手がバラエティ番組で
他のスポーツをやってみたりすることがあるんだから
プロとして複数のスポーツをできる!!
というのはちょっと無理がありそうですか。
ですね。
でも、
種目という点では複数のスポーツをプロとして行う人は、
少なからずいるのは確かでしょう。
マイケル・ジョーダンだって野球選手だったり、
ジャイアント馬場だって野球選手だったりしたんですし、
陸上選手は多くが複数種目やるし、
でも、デザインと同じように説明するには無理がありますね。
もうすこし考えてみましょう
🍀スポーツの基本的な条件というと
身体を扱うスポーツにとって、ルールや扱うものが違っても
基礎的な身体能力は絶対的な基本ステータスです。
足の遅いサッカー選手は、
野球でもバスケットでも足が速くなるわけじゃあないです。
・・・なったらすごいよ。
逆に足の早いサッカー選手は
他の競技でも足の速さを優位にプレイできるでしょう。
スポーツにとって身体能力は絶対条件の一つ
と考えることはあながち間違いではないはずです。
プロは非常に数が少ないですが、
スポーツ経験者の人口はものすごい多いですし、
様々な人が複数のスポーツを楽しみ活動しています。
スポーツの答えなんてものがあるのかというと
全然わかりません。
なにそれ。。。怖い。
っていうぐらい、ちょっと、よくわかりません。
スポーツ選手が目指すのは勝利であったり栄誉であったり、
個々の夢や目標になるのかもしれません。
結果だったり、影響や興奮・熱狂、話題性だったりするかもしれません。
最高のキック(サッカー)
最高のフルスイング(野球)
最高のパンチ(ボクシング)
時代の名シーンなどが蘇るのかもしれませんが
いかに素晴らしいとしても、それは共通する答えではないでしょう。
スポーツは勇気を与えてくれるし、
人生を変えるくらいの影響力があると思います。
それでもスポーツは、スポーツを行っている選手がいて、
なりたちます。個人でも集団でも、
ひとりひとり個人個人の活動がルールのもとに
スポーツと呼ばれるものです。
個に依存し、デザインのように成果物として形になるものではない
という点はスポーツとデザインの全く違う点です。
結果、
だけが答えなら、スポーツはあまりにさみしいものと言わざるを得ません。
結果には非常に大きな意味や栄光が含まれますが、
それだけを答えとするのは、どんなスポーツ漫画でもありえないでしょう。
嬉々として結果主義のスポーツは断罪されるのが習わしです。
(決めつけっぽいけど、決めつけます。そんな漫画ばっかりだし。)
現実問題結果が伴わないとスタートラインにすら立てませんが、
それは通過点でしかないはずですね。
スタートラインなんですから。
デザインによって引き出された結果が
デザインの本質ではないのと同じように。
スポーツの答えはもとめる文脈と、
その種目、個人によって異なるのでしょう。
この辺は綱渡りのような詭弁かもしれません。
また、例えば眼科医が耳鼻咽喉科や精神科の知識をまったく
理解できないということはありません。
そもそも医学課程でも医師免許をもつにしても医師は、
広い範囲の医学全体を基礎から学びます。
医師は、症状・身体診察・検査データから病態を推測する基本能力を医学部と研修で徹底的に訓練されています。
そのため医療行為には資格が必要なので、狭き門です。
私は当然専門外ですし、医療の範囲も非常に広いので
ざっくりとしか言えませんが
医療とは治療やケアが目的であり、
完治や満足・幸福なんていうのが答えになりそうです。
お、
答えっぽいのが見つかった。
それでも
死が突き付けられる、
現段階での科学や医学の技術的な限界
人間の身体の限界、
答えに影を差す現実が堂々と横たわっています。
ならば
「そのときそのとき眼の前で苦しんでいる人の
すこしでも助けになること」
なんてよくあるセリフを答えに添えても良いかもしれませんが
ケースごとの最適解なんて、
「答えは神のみぞ知る」と言い放つのと代わりありません。
この点はデザインの成果物が
個別に判断される点と変わらないかもしれません。
これも詭弁っぽいなぁ
結局個人ごとの答えという相対的な解答がちらつきます。
スポーツが個人の活動に
医療は人の健康・身体に基づくに対して
デザインは制作物や作られた物の状態が問題になります。
ライフスタイルデザインやパーソナルデザインなどの個人のあり方を問題にする分野もありますが、ある意味、状態と捉えることができるかと思います。いくらでも穴はありそうですが。
比較して考察すれば外輪がおぼろげに見える。
大きい問題は分割せよとよくいいますが、
少しずつ切り崩すしかありません。
結局
他の分野を持ち出しても同じ様な問題にぶち当たります。
3️⃣ 言葉のトラップ
デザインに答えはあるのか
という、抽象的なタイトルから、現在迷走しつつ進んでいます。
理論ばっかりの頭でっかちという程、論理を積み重ねているわけでもなく、
言葉に遊ばれている感じがしてなりません。
こういうときはウィトゲンシュタインの
「語り得ぬものについては、沈黙しなければならない。」
という言葉を思い出します。
いえ、決して語り得ぬレベルのものを考察しているわけではないのですが
どんなに考えても、
むしろ
考えれば考えるほど

ってなるようにしか思えません。
ほんとうにないじゃろー、もう、わからんじゃろーーー
いや、そうじゃないんです。
そういう、レベル(哲学みたいな)での話ではないのですが
この記事の中で最初の方に取り上げましたが、
「問」自体が間違っているということ
「デザインに答えはあるのか」
答えのあるなし、自体が無い可能性。
当然のようにそれはあると考えられるけれども
考えてもその姿が見えない。
玉ねぎの中身みたいな、根本的に認識が間違っている可能性
言葉のトラップに引っかかっている可能性はあります。
これも最初に示唆していた点ですね。
4️⃣ そろそろ結論
は、
出ません。
まとめても、
あると言えばあるし、
無いと言えば無い
みたいな
どっちつかずになるのは目に見えています。
デザインに答えはあるのか = しらん
むしろ

より情けない結論に至っています。
もともと考える前から、答えなんていう最高到達点みたいな物があるなんて思っていません。
考察すれば答えがもう少し浮き出るかなと思いましたが
成果と言えば、問が間違っているという気が付きだけ
ということは最初のツッコミが正解。ということですもんね。
ぐるーーーっと迷走して結局答えは変わらずみたいな感じになりました。
まぁ、理想を求めなければ、成長はできないので
より良いデザインを求めて精進していきたいと思います。
ご成長ありがとうございました。
まちがえた。
ご清聴ありがとうございました。

⚪️ 昨日の記事について ⚪️
昨日の記事はこちら↓
🟢 見出し画像反省

怒りの表情 明鏡止水編
じゃなかった、怒った時の表情をまたかいてみました。
ぷんぷん♡
みたいなの絵もかきたいし
クリリンのことかー!!!
みたいなの表情もいいですね
どんどん描けたらいいです。描きます。頑張ります。
🔷 記事反省
久しぶりの水耕栽培記
じゃんじゃん写真を撮って記事をかいていきたいです。
十枚に1枚位の割合でしか使えないから母数を増やしたいです。
あと、デジタル一眼。欲しいです。
⚪️ 日記 【日常独り言】 ⚪️
今日も走ってきました。
考え事をしながらだとペースが確実に落ちます。
ただ、今日は晴れていたので気持ちよかったです。
あと、街道の桜も咲き始めて、場所によっては満開です。
春ですねぇ。
仕事はやるべきことは多々あれど
行き詰まっている感じがするこの頃。
連続して失敗というか、よくないクライアントが続くとキツイですね。
もうちょっと見定める目を持たないと、だめだなぁ。
対応するだけ対応させられて連絡取れなくなったり
最初の約束を全然まもらなかったり
必要なデータを渡さずに作れとか言われたり
なんじゃそら:;( ∩ ´ Å ` ∩ );:
人としてどうよ、逆ギレとかやめてぇ。
あるあるなのでしょうけど、
そういう仕事を選ばなくて済むようになりたいです。
がんばろ

🔴 リンク
🔶 おまけ
ミニキャラ!落書き!

(⭐️ ´ Å ` ⭐️)ノシ✨️🦌=⏰️ ではまた🌟
いいなと思ったら応援しよう!
イラストレータ独立一年目のへっぽこ鹿角時計です!
息も絶え絶え、やっております(⭐️ ´ Å ` ⭐️)
可能性ありますよ?成長しますよ?どうかサポートお願いします!