【ドラマで見る女性と時代】その4の壱 『光る君へ』~まひろの母・ちやは~(2024年)
雅で美しい絵巻の世界の裏で繰り広げられる思惑・権力闘争。
そこまでは、宣伝もあり予想していた視聴者も多いだろう。
しかし、幼い主人公の母親、しかも心優しくたおやかな女性が、初回のラストで、あっ……という間に予想外の非業な死を遂げることになるとは。
こんなにも、何とも言えない重苦しい後味を残した初回だとは、まったく想像できなかった。そして、面白いドラマとはこういうものだ、とあらためて実感したのだった。
というわけで、紫式部を主人公とする2024NHK大河ドラマ『 光る君へ 』の感想を、たまたま自分が最近ちょっと書いている『 ドラマにおける女性シリーズ 』に乗せて書いてみることに。
といっても、時代と女性の考察というより、とにかくドラマを観た感想のとりとめのないダラ書きになってしまうかもしれない。どうか、お許しを。
※見出し画像は、京都・廬山寺にある紫式部像です。
流血は、権力を争う男達の陰謀によるもの…とは限らない
まひろ(幼少期の紫式部)(落井実結子ちゃん)の母である、ちやは(国仲涼子さん)。
つい、ちはやぶる、という言葉を連想して『 ちはや 』という名にお見受けしてしまうのは、絶対にわたしだけじゃないはず。
学問には非常に秀でているものの、堅物で世渡り下手な夫・藤原為時(岸谷五朗さん)。
彼は職につけず、時には食べるものにも困るほど。ちやはが家族のために自分の着物を売ったりする。
また、彼女はまひろと従者と一緒に山の中に入り、夫の士官祈願のお参りを秘かに続けている。
為時一家を見守り時には助けようとする親戚のおじさん・藤原宣孝(佐々木蔵之介さん)が夕刻にやってきた時も、夕げの用意を、と貧しい中でもきちんと礼儀を尽くそうとする。
しなかやで、でも真っ直ぐな芯を持っている。笑顔を絶やさずに、妻としてすべき勤めを、挫けることなく静かにこなしてゆくような女性だ。
また、自分の実家がもっと豊かであれば、夫はこんなにも士官に苦労しなかったはず、と、夫が職につけない原因が自分にあるかのように話してまひろを諭す。
子供の前で、夫、すなわち子供の父親の悪口をつい口走ってしまう現代にありがちな家庭の様子とは大違いである。
夜になると、父は他の女の所へ通う。
それがまだ理解できないまひろ。
母はまひろに、大人になったらきっとわかるようになると伝え、さらに『 お父様はわたしのこともちゃんと愛してくださっていると思う 』と、まひろの肩をしっかり抱きながらそう告げる。
それは、意地を張っているのでも、無理して言っている様子でもない。
まひろを安心させためにそう告げたと思われるものの、少し淋しくもどこか満たされているような微笑みを浮かべている。
夫が家族や自分のことも想ってくれているとわかっているからこそ、自然と出てきた言葉に聞こえた。
なお、このシーンでわたしが抱いたストレートな感想は、
『 仕事がなくても、女のところには通うものなのか。
この時代の男は、本当に都合がいいよな 』
というもの。
さらに、脱線していまうけど、この『 配偶者以外の異性と通じる文化 』こそ、現代社会に復活すればいいのに、と強く強く感じ入った。
もちろん、男女関係なく。
そもそも、『 既婚者は貞操を守れ 』だのとつまらない義務をもうけるから、問題が起こるのだ。
現実を見れば、婚外恋愛したい人、してしまう人は山ほどいる。
恋愛という感情以前に、婚外の身体だけの関係の人だって山ほどいる。
家庭が完璧に円満で、そういう事態にならないに越したことはないだろうけど、既婚者のすべてがそうやってうまく納まるはずがない。
所詮は他人同士なのだ。
むしろ、一緒に暮らしてみたからこそ、残念でしたという部分が露呈し、配偶者に失望することは珍しくもなんともない。三組に一組は離婚に至っているのだから。
そんな時に、簡単に離婚はできずとも、家庭の外にいる異性(人によっては同性)と共に過ごす時間に刺激や癒しを求めることで心の安定を保てるならば、むしろどんどん活用した方が平和なんじゃないだろうか。
健康にも心にも優しい。
ストレスが発散できれば、また新たな元気も生まれるし、家族にも優しくなれるはず。
それに、結婚したからといって、配偶者以外への恋心や性欲が絶対に生まれない保障もない。もう恋愛をしてはいけないのだ、という理屈と理性で押さえ込んでいる人は、決して少なくない。
いつの世でも、現実を見ればそこらへんに『 不倫 』がわんさか転がっている。
配偶者としか関係を持てないという、もはや人によっては意味をなさないことをあえて守るべき規範としてしまうから、ここから外れた行為に『 不倫 』という名がついてしまう。
この時代の男が既婚であっても他所の女の元に通っていいならば、今の時代の既婚者がどうして似たようなことをやってはいけないのか。
かつて『 不倫は文化 』と豪語した芸能人がいた。その当時、その発言は決して良い評価を得ている雰囲気ではなかったけれど、今は時代も変わったし、身体の関係がなくてもセカンドパートナーなる概念が成立するほどだ。
それに、法の制定を担うはずの議員さん同士の不倫だって、たまに取り沙汰されることがある。邪推だけど、多くの議員さんにきっとお妾さんがいたりするのだろう。
だから、つまらない規範など、もう撤廃したらいいのに。
倫理とするから不倫になるのだ、そもそもの倫理を変えたら不倫はなくなる。
その方が、幸せな人と幸せに見える家庭が増える、としみじみ思う今日この頃である。
と、ついめちゃくちゃ熱く脱線したけど、『 光る君へ 』に話を戻そう。
為時の士官がようやく決まる。
出勤のために久しぶりに取り出したと思われる為時の服。
それを着用した彼は、黴の臭いがすると言う。
昨夜のうちに黴を取り除き香をたいたのですが、申し訳ございません、と妻のちやはは素直に詫びる。
まひろは、黴が生えるのは雨漏りする家のせいだ、父上の士官が叶ったのはお母様がお参りをしたからだ、と母を擁護する。
が、母はまひろの言葉を途中から遮り、晴れの日の夫を快く送り出す。
あくまで夫をたて、自分は陰ながら夫に尽くすという使命を果たすのみなのだ。
今よりもはるかに、女は男の影でそうして耐え忍ばざるをえなかった時代。
我慢がストレスだ、という感じる余地なんてそもそもなく、あるがままの環境の中で、それをひたすら受け入れる。
そして、そんな状況でも、家族には優しく笑顔でふるまうことが、ちやはという女性にとっては、妻として、母として当たり前の姿、あるべき姿だったのだろう。
ちやはが、本当にこんなにもできた人物だったのか?
といっても、史実における真実など不明だ。あくまでドラマにおける設定とはいえ、紫式部の母はこんな女性だったのだと思って楽しもう。
こんな母に育てられたら、子供達はさぞ温和で優しい人柄に育つだろうに。
そして、国仲涼子さんの演技も、見ていてとっても癒される。
こんな妻・母が支える為時一家を見守りたい、見ていたい、ずっと応援していたい。
………というわたしの気持ちは、想定外の形であっというまに無残に打ちのめされた。
為時の士官のお礼参りに山に入った、まひろとちやは。
実は、この日に菓子をやるからまた会おう、まひろ三郎(後の藤原道長)(木村皐誠くん)から声をかけられていた。
早くお礼参りを済ませてその待ち合わせの場へ向かうために、まひろは母より先に森の中を走り出す。
そして、森の中の細い道から、広い道へと飛び出すまひろ。
そこに馬で駆けてきた道長の兄・道兼(玉置玲央さん)とあわや衝突。
まひろを避けて落馬して激怒した道兼は、従者が捕らえたまひろを足蹴にする。
まひろの後を追って来たちやはが、娘の傍に駆けつける。
そして、まひろを庇い、道兼に『 何をなさるのです!(相手は)小さな子供ではございませぬか! 』と叫ぶ。
母の悲痛に満ち、かつ、ひるむことなく子を守ろうとするきっぱりとした語調。
そして、恐れおののく様子も見せず、道兼をじっと見上げるまひろの視線。
この場では、乱暴者の道兼もひるんでしまう。
しかし、ちやはとまひろがその場を立ち去った後、道兼様を黙らせるとは肝の座った女子でございます、という従者の余計な感想の一言で、道兼は再び逆ギレ。
従者の脇差しを手に二人を追い、ちはやの背後から一突き。
───── 番宣で、道兼の顔の片側に返り血のようなものが付着している映像がたびたび流れていたけれど、それがまさか、こんなにも残忍な殺傷によるものだったとは。
『 ええーーーーーー!?
ここ、キレて暴走して刃を向けるなら、まずはその余計な一言を口走った目の前の従者ではないの !?!?
もう、ちやは終わり!?
今週でもう出なくなっちゃうの!?
ええぇ~~…… 』
と、わたしは謎と動揺に包まれてしまった。
でも、従者を殺してしまったら、さすがに藤原家にすぐバレて問題になってしまうから、ということか。
メンタルの沸点が低いわりに、そこはちゃんと計算するのか?道兼。
そうして、月夜の下で、むしろに包まれたちやはの亡骸を前にしながら、家族は深すぎる悲しみにくれる。
まひろの弟でまだ幼い太郎(湯田幸希くん)は大泣きを続ける。
事の次第を従者から聞かされた為時だったが、犯人は、自分の職を世話してくださった右大臣様・藤原兼家(段田安則さん)の息子である。
真相を人に告げることなど、到底できない。
母は病死ということで、それ以外の出来事はもう忘れるように、と為時は家族に言い渡す。
納得がいかないまひろは、人殺しを捕まえて、と半狂乱で泣き叫びながら家を飛び出そうとする。
それを抱き締めて、必死で止める父・為時。
彼だって、苦しくないわけがない。
しかし、そうするしかない。この子供達を守り、宮仕えを続けるために。
それが当時の身分社会なのだ。
こうして、ひっそりと美しく咲く花が、あっというまに狼藉者に踏みにじられて、初回は終わった。
命の終わりに、実は行いの良し悪しなど関係ない。
それは、今の時代も同じだろうけど。
賢者であっても、生き残るために『 馬鹿者 』となる時代
予想を越えたラストの展開以外に、ちょっとした伏線であろう部分にも非常に震えたので、書き留めておこう。
まひろが三郎に、『 馬鹿 』という言葉の由来を説明するシーンがある。
唐の国の皇帝に、一番偉い大臣が鹿を献上し、これは馬でございます、と言った。
皇帝が怪訝に思い、これは鹿ではないかと問うたが、周りの大臣達も皆、これは馬だと言った。
しかし、一人だけ、これは確かに鹿でございます、と本当のことを言った大臣がいた。
しかし、その大臣は殺されてしまった。
それゆえ、嘘を言う者を重宝している愚か者、偽りを信じる者を、馬鹿というのだ。
『 馬鹿 』という言葉を知らなかった三郎にまひろが話したのは、こんな内容だ。
実は、二人が初めて会った時、三郎は自分を貴族の子供ではないと言い、まひろは自分が実は天皇の血を引く姫だと嘘をついていた。
そして、二度目の逢瀬の時に、まひろにお菓子を持ってくると約束した三郎が途中で落としてしまい、まひろが馬鹿、と責めたことをきっかけに、その言葉の由来の話となる。
まひろの知識に、三郎は『 さすがは御上の血を引くお姫様、博識でございます 』と誉めたたえる。
その三郎を、まひろは馬鹿だとさらに責める。そして、実は自分も馬鹿だ、姫だという偽りを言っていたのだから、と白状する。
姫だという偽りを素直に信じていた三郎を、まひろは『 馬鹿 』だとなじったのだ。
三郎とまひろの身の上の嘘は可愛いものだが、実は、最愛の妻を殺めた人物と真相を隠し、偽りを真実としようとする為時もまた、『 馬鹿者 』ではないだろうか。
しかし、苦しみを心の底に無理矢理押し込んででも『 馬鹿 』に徹しなければ、自分や家族も命が危うくなるかもしれぬ。
身分、家柄、権力が絶対の時代。
それらを持たぬ為時は、大学でどんなに優秀な成績をおさめていようが『 馬鹿 』でいるしかなかったのだ。
こんなふうに、今の時代でもごくごく身近にある言葉の由来を知ることができ、それがドラマのスパイスになっている造りに、大きく感嘆したわたしなのでした。
以上が、第一話
『 約束の月 』感想であります。
いいなと思ったら応援しよう!
いつかあなたにお還しします😌
