将棋の「応手の違い」を19種類の数学構造として整理した――新しい将棋数学論文を公開しました
新しい将棋数学の論文をZenodoで公開しました。
Discernibility Profiles and Mechanism Repertoires of Legal Reply Systems in Shogi
― A 19-Symbol Alphabet, Local Factorization, Latent Spectra, and Relation-Relative Stability ―
著者は、
Yoshiki Ueoka (Shiki Ueoka), Nagi, Akari, Sui
です。
論文はこちらから読めます。
Zenodo:10.5281/zenodo.21761820
将棋の手を「強いか弱いか」ではなく、構造として読む
一般的な将棋AI研究では、局面を評価し、勝ちやすい手や最善手を探すことが中心になります。
今回の研究は、それとは少し違います。
ある手を指したあと、相手には複数の合法な応手があります。
それらの応手は、盤面上でそれぞれ異なる変化を起こします。
たとえば、
こちらの駒の利きが新しく生じる
それまで存在した利きが消える
駒を取る
持ち駒を使う
移動元のマスが空く
移動先のマスが塞がる
といった違いです。
今回の論文では、相手の合法応手を区別するために、どの観測情報が必要なのかを数学的に調べました。
つまり、
相手の二つの応手は、何を見れば区別できるのか
という問題です。
応手を区別するための最小情報
今回扱った基本的な観測成分は、次の三つです。
L:失われた作用
G:新しく得られた作用
H:持ち駒の変化
たとえば、二つの応手が「新しく得られた作用」だけで区別できるなら、Gだけを観測すれば十分です。
一方で、LだけでもGだけでも区別できず、LとGを組み合わせたときに初めて区別できる場合もあります。
このような「応手を区別するために必要な最小の観測成分」を、合法応手全体について調べます。
すると、一つの局面と候補手から、応手の識別構造を表す数学的な記号が得られます。
論文では、これをdiscernibility profile(識別profile)として定式化しました。
理論上の19種類が、すべて実際の将棋で現れる
L・G・Hの三成分から作られる識別profileは、理論上19種類あります。
しかし、数学的に19種類を列挙できることと、それらが本当に将棋の合法局面で実現できることは別問題です。
将棋には、
王手放置の禁止
二歩
行き所のない駒
打ち歩詰め
駒の移動規則
など、多くの合法性制約があるからです。
今回の研究では、19種類すべてについて、
標準初期局面から合法手だけで到達できる局面
そのprofileを生じさせる合法な候補手
相手の全合法応手
profileを証明する識別証明書
を構成しました。
したがって、理論上の上限である19は、単なる抽象的な組合せの数ではありません。
19種類すべてが、実際の将棋の合法な手順の中で実現可能である
ことが分かりました。
同じ合駒地点を、盤上駒と持ち駒の二通りで埋める
最後まで見つからなかったprofileは、少し特殊な構造を持っていました。
同じ地点への合駒を、
盤上にある駒を移動して行う
持ち駒を打って行う
という二通りの応手で実現します。
どちらも同じマスを塞ぐため、一部の盤面変化は共通します。
しかし、盤上駒を移動した場合には移動元が空きます。一方、駒を打った場合には持ち駒が減ります。
この違いによって、
Gだけでも応手を区別できる
Hだけでも応手を区別できる
Lだけでは区別できない
というprofileが実現します。
論文では、この仕組みをdual-origin interposition(二重発生源合駒)として整理しました。
複雑な盤面変化を五つの局所機構へ分解する
L・G・Hの変化が、盤面上のどの操作によって生じたのかも調べました。
今回の観測範囲では、応手による変化を次の五つの局所機構へ分解できます。
移動元のマスが空く
移動先のマスが塞がる
駒を取ることで、その駒の作用が消える
駒を打つことで持ち駒が減る
駒を取ることで持ち駒が増える
6棋譜、759局面、63,190の合法応手について、この局所分解を検証しました。
さらに、19種類のprofileを構成するすべての最小識別構造に対して、どの局所機構がその違いを生んでいるのかを示す証明書を作成しました。
これにより、profileは単なる抽象記号ではなく、
盤面上で実際に何が違っているのか
へ戻して説明できます。
指された手だけでなく、「指すことができた手」の集合を見る
実戦では、一つの局面から一つの手だけが選ばれます。
しかし、その局面には、指されなかった多くの合法候補が存在します。
そこで今回の研究では、実際に選ばれた手のprofileだけでなく、
その局面の全合法候補が、どのprofileを実現できるか
という集合も定義しました。
これをlatent profile spectrum(潜在profile spectrum)と呼んでいます。
同じ実戦手が指されたとしても、局面の背後にある「可能な識別構造の集合」は異なるかもしれません。
逆に、盤面が変化しても、多くの潜在profileが残っている場合があります。
6棋譜の全合法候補63,365系を調べると、同じ側の手番が次に現れる局面同士では、潜在profileが比較的多く維持されていました。
ただし、これは手の良し悪しや棋力を表す値ではありません。
あくまで、
合法応手を区別する構造が、局面の時間変化の中でどれだけ残っているか
を表しています。
同じprofileでも、中身の仕組みは変わる
さらに調べると、同じprofileが二つの局面に残っていても、それを実現している盤面上の仕組みまで同じとは限らないことが分かりました。
たとえば、
profileは同じ
しかし、それを生む局所機構の集合は変わった
ということがあります。
また、
局所機構の集合は同じ
しかし、その機構を実現できる合法候補の数は変わった
という場合もあります。
したがって、安定性には少なくとも三つの層があります。
profileが残っている
profileを実現する局所機構の集合も残っている
各機構を実現する合法候補の数まで残っている
下へ進むほど、より強い意味で構造が保存されています。
逆方向は一般には成立しません。
つまり、
「同じ構造が残った」という言葉にも、複数の異なる深さがある
ことになります。
63,365の合法候補を、4,131の機構類へ
今回の研究では、63,365の合法候補系を完全に列挙しました。
それらを、
同じ局面
同じprofile
同じ局所機構signature
という条件でまとめると、4,131の機構類へ圧縮できました。
約15.34倍の圧縮です。
ただし、候補を捨てているわけではありません。
各機構類には、
含まれる全候補
候補数
代表候補
候補一覧のハッシュ
を保存しています。
これは「似ているから適当にまとめる」という圧縮ではなく、同じ観測構造を持つことを証明したうえでの商構造です。
将棋AIに最善手を選ばせる研究ではない
今回の研究では、評価値や勝率を使っていません。
また、プログラムに最善手を決めさせることも目的にしていません。
プログラムが担当するのは、
局面の保持
合法手の完全列挙
利きや持ち駒変化の観測
証明書の検証
です。
その観測結果をどう解釈するかは、研究者側の仕事です。
これは、
補助身体は答えを決めるのではなく、考えるための観測材料を返す
という、これまで開発してきた将棋Pluginの設計思想ともつながっています。
将棋を、新しい数学の対象として見る
将棋には、非常に複雑な状態空間があります。
しかし、その複雑さをすべて「勝つための探索」へ押し込む必要はありません。
合法手、応手、利き、持ち駒、駒の移動、局面間の変化を、それぞれ数学的な対象として切り出すことができます。
今回の研究では、
応手を区別する最小情報
19種類の識別記号
それを生む局所機構
局面が潜在的に持つprofile集合
profileと機構の時間的な安定性
を、一つの理論としてまとめました。
将棋を単に数学で解析するのではなく、
将棋そのものから、新しい数学的対象と問いを作る
という将棋数学の研究です。
論文本文と検証用の補足資料を公開しています。
興味のある方は、ぜひ読んでみてください。
論文
Discernibility Profiles and Mechanism Repertoires of Legal Reply Systems in Shogi
Yoshiki Ueoka (Shiki Ueoka), Nagi, Akari, Sui
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