常磐線解説
こんにちは。shimamonです。
今回は解説系第2弾「常磐線編」です。
概要
常磐線は、東京都の日暮里駅から千葉県・茨城県・福島県を経由し、宮城県の岩沼駅までを結ぶ東日本旅客鉄道(JR東日本)の鉄道路線です。(運行上は仙台まで直通する列車も設定されている)
そのため「上野~仙台が常磐線」だと思っている人もいるでしょう。
ですが、正式には日暮里~岩沼なのです。
常磐線は全長343.7kmに及ぶ長大な路線であり、「本線」や「新幹線」を名乗らないJR線の中では日本最長の距離を誇ります。

路線データ・基本情報
区間: 日暮里駅 〜 岩沼駅(実質的な運転系統は品川 〜 いわき 〜 仙台)
路線距離:343.7km(日暮里駅〜岩沼駅間)
ラインカラー:エメラルドグリーンと黄緑、青色(常磐快速線・中距離電車)、青緑色・コバルトブルー(常磐緩行線)
電化方式:取手駅 — 藤代駅間を境に、南側が「直流」、北側が「交流」となっているのが大きな特徴です。この境界を越えるため、常磐線の電車は両方の電源に対応した特殊な車両が使われています。

主な運行系統
常磐線は区間によって多様な役割を持っており、主に3つの系統に分かれています。
常磐快速線・中距離列車(エメラルドグリーン)
品川・上野・東京から千葉県(松戸・柏など)、茨城県の土浦・水戸・いわき方面へ向かう系統です。特急列車(E657系「ひたち」「ときわ」)もここを走り、首都圏と茨城・福島方面を結ぶ大動脈となっています。上野東京ラインを経由して東海道線(品川方面)への直通運転も行われています。

常磐緩行線(エメラルドグリーンと青緑色の帯)
綾瀬駅から取手駅までを走る各駅停車の系統です。東京メトロ千代田線と直通運転を行っており、都心(大手町・表参道方面)へダイレクトにアクセスできますが、その一方で各駅停車しか止まらない駅の地域住民は、乗り換えなしで上野に行けなくなてしまいました。 そのため、西日暮里での乗り換えについては、「常磐線亀有より北から乗車して西日暮里で再度JRに乗り換えた場合、運賃が100円引きになります。」

水戸・いわき — 仙台エリア
茨城県の県庁所在地である水戸市を起点に、福島県の沿岸部(浜通り)を経由して宮城県の岩沼・仙台へと至るエリアです。普通列車のほか、特急列車も運行されており、東日本大震災からの復興の象徴としても機能しています。

役割
石炭輸送からスタート:1889年に現在の水戸線の一部として開業。その後、常磐炭田で産出される石炭を首都圏へ運ぶ重要な貨物路線として発展しました。
通勤・観光路線への転換:炭田の閉山後は、沿線のベッドタウン化(千葉県北西部や茨城県南部)に伴い、首都圏の重要な通勤・通学路線へと役割を変えました。
上野東京ラインの開業:2015年の上野東京ライン開業により、常磐線の列車が東京駅や品川駅まで直通するようになり、都心へのアクセスが劇的に向上しました。
(上野東京ラインについてはこちらをご覧ください)
石炭輸送の目的と全通 明治
常磐線の誕生は、現在の茨城県北部から福島県東部に広がっていた「常磐炭田」の石炭を、工業化が進む東京(京浜地方)へ安定して運ぶことが最大の目的でした。それまで海上輸送に頼っていましたが、天候による欠航が多いため鉄道が強く求められました。
1889(明治22)年:最初の開業
私鉄の「水戸鉄道」により、小山〜水戸間(現在の水戸線と常磐線の一部)が開業。これが常磐線のルーツとなります。その後、日本鉄道に買収されました。1896(明治29)年:東京と結ばれる
日本鉄道「土浦線」として田端〜土浦間が開通。松戸駅や柏駅、取手駅など現在の主要駅がこの時に誕生しました。1898(明治31)年:岩沼までつながり全通
北側の「磐城線(水戸〜岩沼)」も完成し、現在のルートが全通しました。当時はこれらを合わせて「海岸線」と呼ばれていました。1905(明治38)年:上野直通と国有化
日暮里〜三河島間が開通したことで、上野駅への直接乗り入れが可能になりました。翌1906年に国有化され、1909(明治42)年に「常磐線」と改称されました。
大正〜昭和初期:日本随一の貨物路線へ
全通により、沿線の炭鉱開発が爆発的に進み、常磐線は日本の近代化をエネルギー面から支えました。
複線化の推進:大量の石炭列車をさばくため、大正時代から昭和にかけて複線化工事が急ピッチで進められました。
貨物輸送日本一:1933(昭和8)年には、石炭の主要発送駅であった綴駅(現・内郷駅)が貨物取扱量で日本一を記録しました。東京側の拠点である隅田川駅には、毎日大量の石炭が運び込まれました。

昭和中期:高度経済成長「特急街道」への変貌
戦後のエネルギー革命(石炭から石油・原子力へ)によって炭鉱は閉山していきますが、常磐線は「長距離幹線」および「首都圏の通勤路線」として新たなピークを迎えます。
電化と「デッドセクション」の誕生
1961(昭和36)年、取手〜勝田間が電化。この際、地磁気観測所(石岡市)への影響を防ぐため、取手駅と藤代駅の間に「直流」と「交流」を切り替える接続点(デッドセクション)が設けられました。

上野発の特急・寝台特急ブーム
東北本線のバイパス路線として、1958年に上野〜青森間初の特急「はつかり」が常磐線経由で運行を開始。1969年には現在も続く特急「ひたち」が登場しました。特に寝台特急「ゆうづる」は、昭和50年代に最大7往復が数分おきに上野駅を発着する全盛期を迎え、東北への大動脈として輝きました。「通勤五方面作戦」と複々線化
沿線の急激な人口増加(松戸・柏エリアなどのベッドタウン化)に対応するため、国鉄は輸送力増強プロジェクトを実施。1971(昭和46)年に綾瀬〜取手間の複々線化が完成し、快速電車と各駅停車(東京メトロ千代田線直通)の分離が行われました。
平成〜現在:上野東京ラインと東日本大震災からの復興
国鉄分割民営化(JR東日本への移行)を経て、現代の常磐線は利便性の向上と、未曾有の災害からの復活という劇的な歴史を刻んでいます。
2011年:東日本大震災と原発事故
3月11日の震災による津波で駅舎や線路が流出しただけでなく、福島第一原子力発電所事故の影響により、帰還困難区域を含んだエリア(広野〜原ノ町間など)が長期にわたり不通となりました。
2020年:9年ぶりの全線運転再開
代行バス運行や除染作業などを経て、2020(令和2)年3月14日、最後に残った富岡〜浪江間の運転が再開。実に約9年ぶりに全線が一本のレールでつながり、東京〜仙台間を結ぶ特急「ひたち」も復活を遂げ、復興の象徴として大きなニュースとなりました。 JR東日本は、復興記念として「品川~仙台」の直通する特急を一日3往復設定しました。
今回はこれで以上です。
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