蹴鞠で生き延びた男。 〜今川氏真に学ぶ「手放す力」〜
こんにちは。
株式会社スプリングボード代表の足立晋平です。
先日、とある会社の新入社員研修の最終発表会に立ち会いました。
一週間かけて、チームで自社のDNAを解き明かすというプログラム。初日は緊張で声も小さかった新人たちが、最終日には見違えるような表情で、自分たちの言葉で会社の存在意義を語っていました。
その姿を見ながら、ふと思ったんです。
「自分の“武器”って、最初から分かっているものじゃないんだよな」と。
今日はそんなことを考えさせてくれた、ある戦国武将の話をしたいと思います。
⚔️ 戦国最大の「負け犬」
今川氏真(うじざね)。
この名前を聞いて、ピンとくる方は少ないかもしれません。でも、「桶狭間の戦いで織田信長に討たれた今川義元の息子」と言えば、「あ、あの人に息子がいたんだ」と思う方もいるのではないでしょうか。
氏真は1538年、駿河・遠江・三河の三国を治める大大名の嫡男として生まれました。いわば、東海道最大の企業グループの御曹司です。
ところが、1560年に父・義元が桶狭間でまさかの討死。家臣だった徳川家康は独立して敵に回り、同盟相手だった武田信玄にも攻め込まれ、わずか数年で三国全てを失います。
掛川城で籠城戦を展開するも敗退。戦国大名としての今川家は、ここで終わりました。
普通なら、ここで物語は終わりです。
でも、氏真の人生はここからが面白い。
🎭 父の仇にすり寄り、元部下に頭を下げた
全てを失った氏真が取った行動は、「復讐」ではありませんでした。
まず、妻の実家である北条氏を頼ります。そして出家し、なんと父の仇である織田信長に接近します。得意の蹴鞠を披露したり、贈り物を送ったりして、自分の居場所をつくっていった。
さらに驚くべきは、かつて自分の家臣だった徳川家康に臣従したこと。もともと今川家の人質だった家康に、今度は自分が庇護を求めたわけです。
普通のプライドを持った人間なら、とてもできることではありません。
でも氏真は、この「恥を忍ぶ力」で生き延びました。和歌や蹴鞠といった文化的教養を武器に、信長からも家康からも「殺すには惜しい」と思わせるポジションを確保し続けたのです。
結果、78歳まで長生き。信長よりも、秀吉よりも、家康よりも長く生きました。
そして、今川家は「高家」として江戸幕府の儀式を担う名家として存続。氏真の子孫は代々、将軍家に仕え続けることになります。
💰 なぜ人は「過去」を捨てられないのか
氏真の話を聞いて、こう思う方もいるかもしれません。
「いや、自分だったら意地でも戦うけどな」と。
実は、その感覚こそが厄介なんです。
💡ちょこっと理論紹介💡
💰 サンクコスト(埋没費用)
すでに投じた時間・お金・労力が惜しくて、合理的な判断ができなくなる心理現象です。
「ここまでやったんだから」「せっかくの投資を無駄にできない」という気持ちが、撤退や方向転換を妨げます。行動経済学の重要概念のひとつです。
三国の大大名だった過去。名門・足利一門の血筋。父の無念。
これらは全て、氏真にとっての「サンクコスト」です。
普通なら、「ここまで築いた今川家の威信を、自分の代で捨てるわけにはいかない」と考える。実際、戦国時代の多くの武将がサンクコストに引きずられて無謀な戦いに突き進み、命を落としています。
でも氏真は、それを手放した。
「自分が武人として戦っても勝てない」という現実を直視し、蹴鞠と和歌という全く別の土俵で生き残る道を選んだのです。
🏢 ノキアという「現代の氏真」
氏真の選択が、たまたまの幸運だったわけではないことを示す事例があります。
フィンランドのノキア。2007年まで世界の携帯電話市場でシェア40%を超えていた圧倒的な王者です。
しかし、iPhoneの登場であっという間にスマートフォン時代に乗り遅れ、2013年には携帯電話事業をマイクロソフトに売却。「ノキア=携帯電話」というアイデンティティは完全に崩壊しました。
ここで終わっていたら、ノキアは「敗者の教訓」で語られる会社だったでしょう。
しかしノキアはその後、通信インフラ事業に軸足を移し、5Gネットワーク機器の世界的プレイヤーとして復活しています。
「端末を作る会社」から「通信の裏方」へ。
華やかな表舞台を捨て、自分たちの技術が本当に活きる場所を見つけた。
氏真が「武人」を捨てて「文化人・高家」として今川家を存続させたのと、驚くほど構造が同じです。
🧭 「変えられないもの」に消耗していませんか
もうひとつ、氏真の後半生を考えるうえで、どうしても紹介したい考え方があります。
古代ローマの哲学者エピクテトスの教えです。
💡ちょこっと理論紹介💡
🏛️ エピクテトスのコントロール二分法(ストア哲学)
「自分の支配下にあるもの(判断・意志・態度)」と、「自分の支配下にないもの(他人の行動・環境・運命)」を明確に区別し、前者にのみ集中せよという教えです。
奴隷出身の哲学者エピクテトスが説いた、ストア哲学の核心的概念として知られています。
桶狭間の敗戦。家康の離反。信玄の裏切り。
これらは全て、氏真の意志では制御できない出来事でした。
氏真の前半生は、この「自分にはどうにもできないこと」を軍事力で何とかしようとして、泥沼にはまった時代です。
でも後半生の氏真は、意識的かどうかはさておき、エピクテトスの教えを体現しています。
領土の奪還という「支配下にないもの」を手放し、蹴鞠・和歌・儀礼という「自分の手の中にあるもの」に集中した。
その結果、心の平穏と家名の存続を同時に手に入れた。
面白いのは、エピクテトス自身もまた奴隷から哲学者へと転じた人物であること。大名から文化人になった氏真と、境遇は違えど、生き方の構造がどこか重なります。
「地位を失うこと」と「自分を失うこと」は違う。
この区別ができるかどうかが、再起の分かれ目になるのだと思います。
🎨 北斎は「名前」を何度も捨てた
もうひとつだけ、別の角度から。
江戸時代の浮世絵師、葛飾北斎。『富嶽三十六景』で知られるあの北斎ですが、実はこの人、生涯で30回以上も画号(ペンネーム)を変えています。
春朗、宗理、北斎、戴斗、為一、画狂老人卍……。
ひとつの画号で名声を築くと、その名前を弟子に譲り渡し、自分はまたゼロから別の名前で描き始める。普通なら、せっかく売れた名前を手放すなんて考えられません。
しかも北斎は、火事で住居とともに蓄積した写生帖を何度も失っています。普通なら心が折れる。でも北斎は、そのたびに筆一本で描き直した。
75歳のときにこう書き残しています。
「70歳以前に描いたものは、取るに足りない」
過去の実績を、自分で全否定している。サンクコストへの執着が、まるでない。
北斎が最後まで手放さなかったのは、「葛飾北斎」という名前でも、「富嶽三十六景の作者」という肩書きでもなく、「描く」という行為そのものでした。
氏真にとっての蹴鞠が、北斎にとっての筆だった。
役職も肩書きも領土も奪われる。でも、自分の手で積み上げた「技」だけは、誰にも奪えない。
🪞 肩書きを外したら、何が残りますか?
「課長」という肩書きを外したとき、自分には何が残るだろう。
「○○会社の」を取ったとき、自分は何者なんだろう。
30代後半から40代にかけて、ふとそんなことを考える瞬間がありませんか。
私自身、学生時代にそれを感じた経験があります。
当時はお金がなくて、パチンコ屋、甲子園球場の売り子、料亭の厨房見習い、塾講師と、とにかくバイトを掛け持ちしていました。どれも生活のためで、「これが自分の天職だ」なんて思ったことは一度もありません。
ただ、塾講師だけは不思議な結果が出ていました。講師が300人くらいいる中で、生徒アンケートでは毎回ベスト3に入っていたんです。特別な準備をしていたわけでもないのに。
当時は「たまたまだろうな」くらいにしか思っていませんでした。でも今、研修講師として生計を立てている自分を振り返ると、あのときすでに「蹴鞠」は手の中にあったんだなと思います。ただ、それが自分の武器だと気づいていなかっただけで。
氏真が教えてくれるのは、シンプルだけれど難しいことです。
「何者であったか」ではなく、「何ができるか」で勝負せよ。
過去の肩書きや実績にしがみつくのではなく、今の自分の手の中にある「技」や「強み」に目を向ける。
戦国最大の「負け犬」が78歳まで生きた秘訣は、結局そこにあったのだと思います。
今川氏真。
歴史の教科書ではほとんど触れられない、地味な存在です。
でも、この人の生き方には、40代を迎えた私たちが直面する「キャリアの問い」への、ひとつの答えが詰まっている気がします。
刀を捨てて蹴鞠を選んだ男。その判断が、家名を400年先まで繋いだ。
あなたの「蹴鞠」は、何ですか?
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