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象徴天皇制の断層

日本経済新聞の編集委員の和歌山章彦氏は、日本の皇室と皇位継承の課題ついて長く担当してきて、2018年には特集連載もしていた人物だ。
以下がその記事の一つだ。


平成の天皇と皇后 封印された女系天皇論

30年の歩み(29) 平成11~20年
天皇退位
2018年11月23日 14:41(編集委員 和歌山章彦)

皇室典範に関する有識者会議で、小泉首相(右)に報告書を手渡す吉川座長(左)(2005年11月、首相官邸)

一方、日本の皇位継承者は4人。(1)皇太子さま(2)秋篠宮さま(3)秋篠宮家の長男、悠仁さま(4)天皇陛下の弟、常陸宮さま――だ。

2005年(平成17年)11月。将来の安定的な皇位継承の方策を検討していた「皇室典範に関する有識者会議」は、女性・女系天皇を認めることなどを柱とした報告書を公表した。


この記事を読んでも分かるように、2005年の時点では、立法府の「操り人形」である「有識者会議」と立法府と国民と、それらを報道する新聞メディアのずれはなかったのである。

そこで過去の報道事実に基づいて、僕の「妄想論説」を以下展開してみたい。

皇位継承を巡る『立法府の総意』に感じるずれ

旧宮家の男系男子を養子として皇室に迎え、その血脈を次代につなぐ皇室典範の改正が現実味を帯びてきた。しかし、世論調査の結果と国会の意思には、2005年にはずれがなかったのだが、なぜ現在ではそのような「ずれ」があるのだろうか。国民と「国民の代表」に横たわる意識の断層の背景について考えてみたい。

皇位継承を巡る報道各社の世論調査では「女性天皇」「女系天皇」への支持が多数を占める例が目立つ。一方、立法府の現時点での多数派は「男系男子」が皇位を継承すると定めた明治憲法下の旧皇室典範から続く制度を維持すべきだ、との立場だ。

象徴天皇制は立憲君主制か?

やや遠回りだが、〈象徴天皇制≒立憲君主制〉に期待される機能とは何か、という補助線を引いてみる。

憲法上、天皇は元首と規定されていない。だが、世襲であり、外交儀礼上、他国からは元首として接遇される。天皇の機能は欧州の立憲君主国と同一ではないが、類似の統治形態である、との理解が普及している。

「日本の元首は内閣総理大臣」との学説も有力だが、内閣法制局は「実質的な国家統治の大権を持たなくとも国家のいわゆるヘッドの地位にあるものを元首とみる見解もあることから、政府としては、天皇は元首であると言っても差し支えない」と答弁した。

象徴天皇制を「国民主権下の君主制」とする解釈が、現在の私たちの肌感覚に近い。

トランプ米大統領がSNSに投稿した自身をキリストのように描いた画像

「権威」と「権力」分離の知恵

民主主義にとって理想の統治形態は、立憲君主制よりも国民が直接〈元首=大統領〉を選ぶ共和制だとする見解もある。

だが、トランプ米大統領のように、多様性・包摂性を欠く言動で深刻な分断を招く為政者もいる。自身をイエス・キリストに模した画像をSNSに投稿したのは、世俗の権力者が道徳的権威をも欲望した、ということであろう。

では、立憲君主制の利点とは何だろう。19世紀の英国の思想家ウォルター・バジョットは、その構造を①民衆の尊敬を集める威厳的部分②現実政治を動かす機能的部分――と分析した。

前者の担い手が王室で、後者が内閣と議会だ。現代的に言い改めれば、立憲君主制の効用は「権威と権力の主体を分離する統治の知恵」であろうと思う。

現行憲法下で初めて即位した平成の天皇(今の上皇さま)は皇太子時代に下記の本を精読した。エリザベス女王の祖父で「国父」と慕われた英国王ジョージ5世の伝記と、福沢諭吉の「帝室論」である。

後者はバジョットの著作の影響が濃い。教育係の小泉信三が薦めた。近代的意味の憲法下で「道徳的に君臨する」とはいかなる行為か、を読み解く教本としたのだ。

2016年8月、天皇陛下のビデオメッセージを見る人たち(東京都新宿区)

国民が共感した「象徴的行為」

小泉信三の教育は、どんな果実を生んだのか。2016年に平成の天皇が退位の意向を示唆された「ビデオメッセージ」を参照したい。天皇は自身が果たすべき責務の本質を「象徴的行為」と表現された。憲法が明示的に定める「国事行為」ではなく、国民と直接触れあう能動的な公務を意味する。

先の大戦の戦没者を慰霊し、ハンセン病や水俣病、災害などで塗炭の苦しみを味わった人々と対話し、来し方を傾聴する。国民が負った「傷」を回路に、平和と社会の連帯を願う。これこそが「日本国民統合の象徴」がなすべき仕事だ、と切々と説いたのである。

これに対し、君主としての 「近代天皇像」 からの離脱をはかる天皇皇后に対して、 無理解ないし立ちはだかったのは、 政府、宮内庁であるということだ。 退位問題を振り返ってみよう。

2010 年に、 天皇が 「譲位」 を提起した際、 宮内庁幹部らは理解できなかった。 ということは、 その時点ですら象徴天皇の在り方自体をよくわかっていなかったということになる。

2015 年に宮内庁が退位を安倍政権に伝えても、政権は退位を握りつぶそうとした。 皇統維持にかかわる女性天皇、 女性宮家についても冷淡のままであり、 一方、 「令和」 改元の政治利用はあからさまだった。

しかし、ついには加齢により「全身全霊」でその責務が全うできなくなる。故に退位するのだ、という理路が開示された。平成の象徴的行為の核心部分である。バジョットの言う「道徳的威厳」の統治機能と重なる。

皇位継承を巡る2つの見解

皇位継承に関し大きく2つの立場がある。道徳的威厳による国民統合、あるいは分断の包摂という「立憲君主制の統治の知恵」を次代に継承すべきだ(A説)。憲法が要請するのは国事行為で象徴的行為は必ずしも不可欠ではなく男系男子による皇位継承の伝統こそ保持すべきだ(B説)。

国民世論の多くはA説を重視して「象徴的行為」の担い手は女性・女系天皇でも可能と判断し、立法府の多数派はB説に近い。冒頭に述べた両者の意識の断層は、このように整理することもできると考える。

虚構レトリックの総意

「立法府の総意」としてまとめた皇族数の確保策は①女性皇族が結婚後も皇族の身分を保持②旧宮家の男系男子を養子縁組で皇族とする――の2案。

①は女性皇族の配偶者と子の身分も皇族とするかが焦点だが、明記しなかった。もし身分が付与されれば女性・女系天皇に道を開く可能性がある。政権与党などは反対しており、立法化のハードルは高い。

終戦の翌年、1946年の帝国議会でも「男系男子」を巡る論戦があった。「(憲法の)男女同権の原則が、まず皇室典範において破られておるということは遺憾のきわみ」と女性天皇容認を求める議員に対し、政府は「今日なおその時期が至っていない」と答弁している。

だが、2005年(平成17年)11月。将来の安定的な皇位継承の方策を検討していた「皇室典範に関する有識者会議」は、女性・女系天皇を認めることなどを柱とした報告書を公表した。
つまり、「今日その時期に至った」と宣言したのである。

ところが、2026年現在はどうであろう。女性天皇を否定しつつ、将来の可能性については慎重に留保した。あれから80年が過ぎた。果たして「その時期」は、国民が政権与党の世論誘導に気づき、国民の皆さんの意思を表明することが、再度到来するのであろうか。

2001年12月、愛子さまとともに宮内庁病院を出る皇太子ご夫妻

「万世一系」の重圧

天皇陛下は皇太子時代の2004年の記者会見で、雅子さまの心労を代弁し、「それまでの雅子のキャリアや、そのことに基づいた雅子の人格を否定するような動きがあったことも事実」と発言された。長女、愛子さまを授かったが、雅子さまは男子の「お世継ぎ」を期待する周囲の視線が重圧になり、体調を崩していた。

万世一系の「国体」を維持する責務を負わされた宿命の過酷さを吐露されたのか……。会見で陛下の肉声に接した筆者は、そう受け止めた。

私たちは、この発言の意味するところを忘却してしまったのではないか。直近の出生率を前提に、男女の生まれる確率をそれぞれ2分の1と仮定すると、将来、期待しうる男系男子の皇位継承者の数が試算できる。

もしお子様が2人なら「2人とも女子」の確率が25%である。つまり、実質唯一の男系男子皇位継承者である悠仁さまの4世代後には、男系が消え去る可能性があるということである。
そして男系男子も真の伝統である男系両性も、明治天皇も大正天皇も側室の長子であったように、戦前の側室と身分制度を前提としない限り、いつかは途絶えるという事実だ。

天皇陛下は6月11日、オランダなどへの公式訪問前に記者会見に臨まれた。「立法府の総意」として取りまとめられた皇族数確保策について、「国民の皆さんの理解が得られるものとなることを望んでおります」と述べられた。恣意的な解釈は慎みたいが、「国民の皆さん」は立法府を指しているのであろうか。含蓄に富む言葉である。

「『みんなの意見』は案外正しい」とは、特定の専門家や権力者の判断のみを重視するのではなく、市井の人々の「集団の知恵」の効用を説いた著作の表題である。


僕の「妄想論説」はいかがだったでしょうか。

実はこの論説は、日本経済新聞編集委員の和歌山章彦氏が書いた「皇位継承を巡る『立法府の総意』に感じるずれ」が元々の論説です。

その記事は、出来る限り批判を招かないように自分の意見としては言い切らず、政権からも圧力を避ける為に「奥歯に物が挟まった論説」を載せており、2005年の皇位継承に関する論調とは明らかに違っています。

つまり、新聞メディアというのは、時の政権に阿って事実を真実のごとく書いているということです。
それゆえに、一般国民が直感的にずれを感じるんですね。

もし政治と皇室と国民における「ずれ」を、新聞メディアがどの位「奥歯に物を挟めて」いるか、興味と時間がある方は、以下の論説をお読み下さい。(笑)

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