【考察】F・スコット・フィッツジェラルド『グレート・ギャツビー』|資本主義の虚しさ、執着の果てにあるもの
F・スコット・フィッツジェラルドの小説『グレート・ギャツビー』の英語版を読了したので、本書の内容について考察します。ストーリーを理解している前提で書いていくので、あしからず。
ロストジェネレーション(失われた時代)の作家フィッツジェラルドの代表作であり、英語で書かれた20世紀最高の小説とも称されるグレート・ギャツビー。ミステリアスな成金の男ジェイ・ギャツビーと、上流階級に属する若者たちの生活を、新版ではよりストレートで読みやすい現代英語で描写、およそ1世紀前の物語がいきいきとした英語でよみがえります。
執着を手放し、自立することの大切さ
本書を読んで特に思うのは、過去への執着を手放して自立することの大切さです。
貧しい出自でありながら、上流階級の絶世の美女・デイジーとの恋に落ちたジェイ・ギャツビー。しかし、自分が貧困層であること、且つ従軍のため5年間彼女に会えない間に、デイジーは別の男と結婚してしまっていました。帰国後、ギャツビーは違法なビジネスで成り上がり、デイジーとの空白の5年間を取り戻すべく行動を開始します。しかし、5年の間にデイジーは当時の彼女とは変わっていました。結局、デイジーの夫トムとの修羅場を経て錯乱した彼女は、ギャツビーと共に乗った車で交通事故を起こしてしまいます。そして、ギャツビーは被害者の夫ウィルソンに殺害されてしまうのです。
この大筋から思うのは、過去に執着しすぎることが悲劇を招くということ。人によっては、デイジーを一途に思い続けるギャツビーに同情するかもしれません。しかし、他人の人生はあくまでも他人のものであって、コントロールできないと思うんですよね。実際に、ギャツビーは在りし日のデイジーとの記憶を美化しすぎている描写がありました。晴れてデイジーと結ばれたにせよ、どの道ギャツビーは理想と現実のギャップに苦しむことになっただろうと思います。
このテーマ、恋愛やパートナーシップを考える上でも大切な教訓を示していると思います。というのも「恋」というのは、誰かに依存したいという欲求が元になっている気がするんですよね。人は、誰か・何かに依存していなければ生きていけません。そこに、生理的な欲求もある程度加わってくる。だからこそ最初は燃え上がるような興奮を感じるのかもせれません。
しかし、「愛」は恋とは全く別のものだと思うんです。参考になるのはやはり、エーリッヒ・フロムの「愛するということ」。その中でフロムは「愛とは与えるもの」だと説いていて、これには筆者も同意しています。一方で、依存とは相手を(相手から)求める行為であって、相手に与える行為ではない。自分の孤独や不安を埋めるために相手を欲するわけですから、欲求の根源は「求めること」だと思うんです。
本書で描かれるのは、デイジーを「求める」ギャツビーの恋。しかも、5年の時間がギャツビーの中でデイジー過度に理想化したことは、デイジーからすれば重いのだろうと感じざるを得ません。ギャツビーが亡くなった後、連絡の一つも寄こさなかったデイジーを「冷たい人間」だと思うのもあります。でも同時に、ギャツビーも過去に執着しすぎて重いと感じてしまうんですよね。
他人と結果はコントロールできない。だからこそ、自分がコントロールできることに執着・依存することが大切。ギャツビーの人生は、まさにこの真理を読者に伝えようとしているのだと感じます。
失われた時代の空虚な貴族たち
もう1つ印象的なこと。それは、表面的な薄っぺらい快楽にを追いかけた結果、本物の幸せから遠ざかっている人たちです。
ギャツビーは「デイジーとの失われた5年間を取り戻す」という目的の元に成り上がったわけですが、デイジーの夫トムやトムの愛人マートルはお世辞にも幸せとは呼べないと感じてしまいます。「金さえあればなんでもできる」という行き過ぎた資本主義社会のなかで、他人を貶めたり不倫に走っている上流階級の人たちこそが、悲劇のヒロインにさえ思えるんですよね。
その点で、自分の夢を叶えるために成り上がったギャツビーは、「グレート・ギャツビー」なのかもしれません。物語の語り手ニックが「君以外の人間をすべて足しても、君ほどの価値もない」とギャツビーに告げた理由も納得がいきます。
まとめ
以上、グレート・ギャツビーの考察でした。個人的には、これまで書いてきたような2つの教訓を読みとりましたが、みなさんはいかがでしょうか?人が幸せに生きるために大切なことという深遠なテーマが背景にあり、だからこそ出版当時はまったく売れなかったのだと思います。素晴らしい小説に出会えたことに感謝です。
最後までご覧いただきありがとうございました。
