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教皇庁に禁書指定されたジャンヌ・ダルク伝|上巻・第七章 ポワティエのラ・ピュセル

【創作大賞2026参加中】期間限定で全体公開にします。

アナトール・フランス著『ジャンヌ・ダルクの生涯(Vie de Jeanne d'Arc)』全文翻訳を目指しています。完訳達成。原著は1908年発行。

1920年:ジャンヌ・ダルク列聖
1921年:A・フランス、ノーベル文学賞受賞
1922年:ローマ教皇庁の禁書目録に登録

現在、禁書制度は廃止されているが、教皇庁は「カトリック教義を脅かす恐れがある禁書だった本を推奨することはできない」という立場を表明している。

▼総合目次・リンク集:なぜ、21世紀に『ジャンヌ伝』を完訳するのか

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⚠️字数が多い(11,000字)ため、訳者の裁量で小見出しをつけています。

7.1 最初にジャンヌを審理した人(1)シャルル七世の忠臣

 ポワティエの町は、約14年間、「フランス人によるフランス王国」の首都だった。

⚠️フランス人によるフランス王国:1420年のトロワ条約で王太子だったシャルル七世が廃嫡され、パリを含む北フランスはイングランド支配下による英仏連合王国になっていた。

 王太子シャルルは、ポワティエに高等法院を移した。正確には、パリから逃れてきた少数の評議員たちがそこに集まっていた。

 ポワティエの高等法院(Parlement)は、小さな院(会議室)2つで構成されていた。
 審議すべき問題があればソロモン王のように賢明な裁きを下しただろうが、訴訟を持ち込む者は現れなかった。ポワティエに向かう道中で傭兵や略奪者に襲われる危険があり、王国中が乱れていて訴訟どころではなかったのである。

⚠️|高等法院《パルルマン》(Parlement):フランス王国の司法機関。英語では議会を意味するが、フランスの高等法院は裁判所であって立法機関(議会)ではない。

 評議員のほとんどはパリ近郊に​​領地を持っていたが、(パリを捨ててポワティエに来たため)衣食に困窮する生活を送っていた。
 彼らにはめったに給料が支払われず、特典もなかった。

 登録簿には「訴訟費用(手数料)が支払われるまで審議しない(Non deliberetur donec solvantur species)」と刻まれていたが、訴訟人からの支払いは見込めず、無意味だった。[721]

 司法長官ジャン・ジュヴネル・デ・ウルサンは、イル・ド・フランス、ブリー、シャンパーニュ地方に豊かな土地と邸宅を所有していたが、彼の家族——善良で高潔な妻、子供11人、義理の息子(娘婿)3人——でさえ、みすぼらしい服装で靴も履かずに町の通りを歩いているのを見て、人々は同情の念に駆られた。[722]

⚠️ジャン・ジュヴネル・デ・ウルサン(Jean Juvénal des Ursins):現時点では主従ともに不遇だが、後にピエール・コーションの後任としてボーヴェ司教に任命され、ランス大司教に上り詰める。ジャンヌの復権裁判で裁判長を務め、ルイ十一世を戴冠させる。

 国王と運命を共にすると決めた学者や教授たちは(パリ大学から離脱し)、本来ならば知性と学識の源泉であったが、教える大学がなかったため、弁舌や博識さを使って生計を立てることができなかった。

 ポワティエの町は、シャルル七世が統治するフランス王国の首都だったが、高等法院はあれど大学はなく、まるで「高貴な生まれだが片目しかない貴婦人」のようだった。なぜなら、高等法院と大学は、偉大な都市の両目だからである。

 このような惨状の中で、彼らは悲しみに暮れながら「もし神の意志があるならば、国王の運命と自分たちの運命を回復させたい」と切望していた。

 その間、彼らは寒さに震え、飢えで衰弱しながら、うめき声をあげ、嘆き悲しんでいた。

 エジプトの荒野をさすらうイスラエルの民のように、神が彼らの祈りに耳を傾け、こう言ってくれる日を待ち望んでいた。

「あなたがたは夕には肉を食べ、朝にはパンに飽き足りるであろう。
 そうしてわたしがあなたがたの神、主であることを知るであろう」
(旧約聖書『出エジプト記』第16章12節)

⚠️補足:わかりやすく意訳するなら「主は夕暮れにはあなたたちに肉を与え、朝にはパンを与えて満ち足りるであろう。主はあなたたちが主に向かってつぶやく願いを聞かれたからである」

 ジャンヌ・ラ・ピュセルの審理を担当する博士や書記官(聖職者)の大部分は、貧困に苦しみながらもシャルル七世に忠実に仕えている人たちの中から選ばれた。彼らは、以下のとおりである。

  • ポワティエ司教[723]

  • マグローヌ司教[724]

  • ジャン・ロンバール師(神学博士、かつてパリ大学の神学教授)[725]

  • ギヨーム・ル・メール師(神学学士、ポワティエの律修司祭)[726]

  • ジェラール・マシェ師(国王の告解聴聞司祭)[727]

  • ジョーデイン・モラン師[728]

  • ジャン・エロー師(神学教授)[729]

  • マチュー・メナージュ師(神学学士)[730]

  • ジャック・メレドン師[731]

  • ジャン・マソン師(民法と教会法の非常に著名な博士)[732]

  • ピエール・ド・ヴェルサイユ修道士(フランスのサン=ドニ修道院のベネディクト会修道士、神学教授、サン=ピエール・ド・ショーモンの修道院長、ラオン司教区のタルモン修道院長、フランス国王陛下の特命大使)[733]

  • ピエール・テュレル修道士(聖ドミニコ修道会、トゥールーズの異端審問官)[734]

  • シモン・ボネ師[735]

  • ギヨーム・エメリー修道士(聖ドミニコ修道会、神学博士、神学教授)[736]

  • セガン・ド・セガン修道士(聖ドミニコ修道会、神学博士、神学教授)[737]

  • ピエール・セガン修道士(カルメル会修道士)[738]

 その他、国王の顧問官から民法および教会法の免許取得者を数名ほど。

7.2 最初にジャンヌを審理した人(2)奇跡か異端か

 羊飼いの少女ひとりを尋問するために、大勢の博士が集められた。
 しかし、当時の神学は、厳格で柔軟性がなく、あらゆる人々の知識をコントロールし、世俗の権力に神学的解釈を実行させていたことを忘れてはならない。

 世間で「無知な少女が神、聖母、聖人、天使を見た」と信じられるようになると、その少女は、

(1)あらゆる言動を「奇跡」として粉飾された末に、啓蒙的な死を経て、殉教者として列福されるか、

 あるいは、

(2)あらゆる言動を「異端」として断罪された末に、教会の牢獄を経て、魔女として火刑に処されるか、

 そのどちらかであった。

 また、聖なる審問官たちは「悪魔は女に乗り移りやすい」と頑なに信じていたため、不幸な少女は神聖な香りに包まれて死ぬよりも、生きたまま焼かれる可能性のほうが高かった。

 しかし、ポワティエの博士たちの前に立ったジャンヌは例外で、信仰上の問題で疑われる危険性はなかった。

 トゥールーズで執拗に異端者を追い詰めていたピエール・テュレル修道士でさえ、ジャンヌの中に異端を見つけるつもりはなかった。

 著名な学者たちは、ジャンヌに対して「神学的な爪」を引っ込めていた。
 彼らは聖職者ではあったが、(シャルル七世を支持する)アルマニャック派であり、ほとんどが実業家や外交官、王太子時代からの老臣(古参の顧問・評議員)だった。

 聖職者として教義と道徳を重んじ、信仰上の問題を判断する規範を持っていた。だが今、優先すべき問題は、異端の病を治すことではなくイングランド人をフランスから追い出すことだ。

 ジャンヌは、アランソン公とオルレアンの私生児に気に入られ、オルレアンの人々は乙女(ラ・ピュセル)に救いを求めていた。

 ジャンヌは国王をランスに連れて行くと約束した。
 そして、フランスで最も賢く、最も権力のある人物で、王国の宰相であるルニョー・ド・シャルトル卿が、ランス大司教兼伯爵だったことが、大きな影響力を持っていた。[740]

 もしジャンヌの言う通り、神が本当にフランス王家を救うために彼女を遣わしたのなら、理性(分別)と学識のある人にとってそれは驚くべきことではあるが、信じられない話ではなかった。

 神が王国の問題に直接介入することを否定する者はいなかった。
 なぜなら、神自身が「私を通して王が統治する(Per me reges regnant)」と言われたからである。

 神聖で分離不可能なはずの教会において、ポワティエの学者たちは「神はシャルル王の陣営についている」と宣言したが、パリ大学では「イングランドとブルゴーニュ派陣営についている」と宣言していた。

 神の使者は必ずしも天使である必要はない。
 神は、預言者エリヤを養ったカラス(レイブン)のように、人間であろうとなかろうと被造物(生物)を使うかもしれない。

⚠️エリヤを養ったカラス:旧約聖書『列王記』に登場する。イスラエルが大飢饉のとき、カラスが朝晩2回、預言者エリヤに食事を運んできた。

 また、「戦う女性」の是非については、女傑カミラやアマゾネスの女王ペンテシレアなどの前例が書物に書き残されており、イスラエル救済のために神に引き上げられた女丈夫のデボラ、ヤヘル、ベツリアのユディトなどの「強い女性」についても聖書に書かれていることと一致する。

「かの力ある者が倒れたのは
 壮者によるのではない。
 タイタンが彼を打ったのでも、
 巨人族が襲ったのでもない。
 メラリの娘ユディトが
 その容姿の美しさによって彼の力を奪ったのだ」[741]
(旧約聖書『ユディト記』第16章6節)


7.3 ラ・ローズ邸にて(1)最初の尋問

 ジャンヌは、町の中心部、法廷からそう遠くないジャン・ラバトー卿の邸宅に連れて行かれた。[742]

 ジャン・ラバトーは、国王の法廷(世俗裁判)の検事総長(司法長官)を務めており、刑事事件はすべて彼が、民事事件は教会側の検事総長ジャン・ジュヴネルが担当していた。
 二人とも国王の弁護士としてシャルル七世に仕え、国王が関与する事件では国王の代理人を務めた。

 国王は儲からない(採算度外視の)依頼人だった。
 ジャン・ラバトーは刑事裁判で「国王の代理人」を務める報酬として、年間400リーブルを受け取っていた。国王が関与する事件以外では出廷を禁じられていたため、彼が賄賂を受け取っていたと疑う者はいなかった。

 さらに、オルレアン公の評議会の顧問も兼任していたが、得られる利益は少なかった。高等法院の役人たちと同じく、彼も非常に貧しかった。

 ジャン・ラバトーはポワティエ出身ではなく、この町に家を持っていなかったため、ロジェ(Rosier)家が所有する邸宅、通称オテル・ド・ラ・ローズ(Hôtel de la Rose:バラの館)に下宿していた。

 それは大きな住居だった。安全に保護され、丁重に扱わなければならない重要な証人たちは、そこに滞在することになっていた。

 高等法院はジャンヌの尋問に関与していなかったが、ジャンヌはこの邸宅に連れて行かれた。[743] ジャンヌはここでも、オルレアン公とフランス国王の両方に仕える人物の監督下に置かれた。

 ジャン・ラバトーの妻は、大抵の弁護士の妻たちと同じく、評判の良い女性だった。[744]

 ジャンヌはラ・ローズ邸に滞在中、毎晩夕食が終わると長い間ひざまずいて祈った。夜になると祈りを捧げるためにベッドから起き上がり、小さな礼拝室で長時間を過ごした。

 博士たちがジャンヌの尋問を行ったのもこの邸宅だった。
 彼らの来訪を告げられると、ジャンヌは強い不安に襲われた。
 聖カタリナは、ジャンヌを安心させるよう励ました。[745]

 かつて、聖カタリナも博士たちと論争して彼らを困惑させた。
 確かに、そのときの博士たちは異教徒(東方の賢者マギ)だったが、彼らは学識があり、頭脳明晰だった。聖カタリナの生涯にはこう書かれている。

「皇帝はエジプトの知識と高等学問に精通した
 賢者50人を召集した。
 賢者たちと論争しなければならないと聞いて、
 カタリナはイエス・キリストの福音を
 立派に弁護できないのではないかと恐れた。
 しかし、天使が彼女の前に現れて言った。

『私は大天使・聖ミカエルです。
 あなたはこの論争で勝利を得て、
 私たちの主イエス・キリストにふさわしい者となり、
 キリストのために努力する者たちの希望となり、
 栄冠に値するものになるでしょう』

 そして、聖カタリナは賢者たちと論争した」[746]

 ポワティエ高等法院の厳格な博士や教師たち、そして主要な書記官たちは、2〜3人ずつのグループに分かれてジャン・ラバトーの家にやって来て、それぞれが順番にジャンヌに質問した。

 最初に来たのは、①ジャン・ロンバール、②ギヨーム・ル・メール、③ギヨーム・エメリー、④ピエール・テュレル、⑤ジャック・メレドンだった。

 ジャン・ロンバール修道士は尋ねた。

「あなたはなぜここへ来たのか? 国王は、あなたを国王のもとに導いたものが何であるかを知りたがっておられる」

 ジャンヌの答えは、彼らに大きな感銘を与えた。

「羊の番をしていると、声が聞こえました。その声は『神はフランスの人々を深く憐れんでいる。ジャンヌよ、あなたはフランスへ行かなければならない』と言いました。この言葉を聞いて、私は泣き出しました。するとその声は『ヴォークルールへ行くように。そこに、あなたを安全にフランスの国王のところへ連れて行ってくれる隊長がいる。恐れないで』と言いました。私は命じられた通りにして、何の妨げもなく王のところへ辿り着きました」[747]

 次に、ギヨーム・エメリー修道士が口を開いた。

「あなたの話によれば、その声は『神がフランスの人々を苦難から救うだろう』とあなたに告げた。しかし、もし神が人々を救うつもりなら、武器を持った兵士は必要ないはずだ」

 神の名において、とジャンヌは答えた。

「武器を持った兵士が戦い、神が勝利を与えるでしょう」

 ギヨーム修道士は、それを聞いて「満足した」と宣言した。[748]

7.4 ラ・ローズ邸にて(2)聖女と聖職者の関係

 3月22日、ピエール・ド・ヴェルサイユとジャン・エローがラ・ローズ邸を訪れた。
 ジャンヌがシノンで会ったことのある従騎士ゴベール・ティボーも同行した。
 彼は非常に純朴な若者で、何も証拠を求めずに信じるタイプだった。
 彼らが到着すると、ジャンヌは迎えに行き、従騎士の肩を親しげに叩きながら「あなたみたいに、進んで信じる人が大勢いたらいいのに」と言った。[749]

 ジャンヌは、兵士たちと一緒にいるときは気楽だった。
 しかし、神学者たちは我慢できず、彼らが議論しに来ると苦痛を感じた。
 神学者たちはジャンヌに大きな配慮を示したが、彼らの果てしない質問はジャンヌを疲れさせ、彼らのゆったりした重苦しさに苛ついた。

 ジャンヌは神学者たちを恨んだ。
 彼らは明らかな証拠がなければ、なかなか信じてくれない。聖ミカエルも聖カタリナも聖マルガリータも尋問中に現れなかったため、ジャンヌには示すことのできない証拠を求められたからだ。

 隠れた場所や礼拝堂、人気ひとけのない寂しい野原では、天からの訪問者が群れをなしてジャンヌのもとにやって来た。天使や聖人たちが天から降りてきて、ジャンヌの周りに群がった。

 しかし、神学者たちが来ると、すぐにヤコブの梯子(はしご)は引き上げられた。

 それに加えて、彼らは「神学者」で彼女は「聖女」だった。

 地上の教会(Church Militant)の指導者たちと、勝利の教会(Church Triumphant、天国の教会)と直接交信する信心深い女性たちは、常に緊張をはらんでいる。

 ジャンヌは、自分に与えられた啓示がすばらしすぎるせいで、もっとも好意的であるべき審問官たちが自分を疑っていると感じ、不信感を抱くようになった。
 
 ジャンヌは、自分の声の神秘について、あえて彼らに打ち明けなかった。
 しかし、教会関係者がいないときには、美貌のアランソン公に、「あの書記官たちに話したことよりも自分は多くのことを知っており、多くのことができる」と語った。[750]

 ジャンヌは彼らのために遣わされたのではなく、彼らのために来たのでもない。

 彼らの前にいると居心地が悪く、彼らの態度は、ジャンヌのいくつかの返答にはっきり見て取れるあの苛立ちの原因となった。[751]

 時には、彼らが質問している最中に、ジャンヌはベンチの端まで後退してあからさまに不機嫌になった。

 ピエール・ド・ヴェルサイユは、「私たちは王に命じられてここに来ているのだ」と言った。

 ジャンヌは不機嫌そうに答えた。

「あなたがまた私に質問しに来たことはよくわかっています。私はAもBも知りません(Je ne sais ni A ni B)」[752]

⚠️私はAもBも知りません(Je ne sais ni A ni B):当時の文盲を指す決まり文句。読み書きができない、文字が1文字も読めないことを意味する。

 だが、「何のためにここへ来たのか?」という質問には熱心に答えた。

「私は天の王から命じられて、オルレアンの包囲を解き、ランスで王を戴冠させて聖油を塗るために来ました。ジャン・エローさま、インクと紙を持ってますか? 今から言うことを書き留めてください」

 ジャンヌは、イングランドの隊長たちに向けて短い声明文を口述した。

「汝ら、サフォーク伯、グラスデール、そしてラ・ポールよ。私は天の王の名において、汝らにイングランドへ帰るように要求する」[753]

 ジャンヌの言葉を書き留めたジャン・エローは、他の書記官たちと同様にジャンヌに好意的で、さらに独自の考えを持っていた。

 通称ラ・ガスク(La Gasque)と呼ばれるマリー・ド・アヴィニョンが、シャルル六世に忘れがたい真実の予言を語ったことを思い出したのだ。

 ラ・ガスクは「フランス王国は多くの悲しみに見舞われる」と告げ、「空に武器を幻視した」と語った。彼女が見た幻視について、次のような言葉で締めくくられている。

「私は、これらの武器を取るように求められていると思い込んで恐れたが、声が私を慰めてこう言った。これらはあなたのものではなく、乙女のためのものだ。乙女が来て、この武器を携えてフランスを救うだろう」

 ジャン・エローはこの驚くべき啓示について熟考し、「ジャンヌこそがマリー・ド・アヴィニョンに予言された乙女である」と信じるようになった。[754]

7.5 ラ・ローズ邸にて(3)危険な発言

 国王の聴罪司祭(懺悔聴聞僧)ジェラール・マシェ師は、「フランス王を助けるために乙女が来る」と書かれている予言を見つけた。
 彼はその話を、大した人物でもない従騎士ゴベール・ティボーに話し[755]、彼もまた何人かの人たちにその話を確かに伝えた。

 ジェラール・マシェは神学博士で、かつてはパリ大学の副総長だったが、現在は大学から排除されている。それにもかかわらず、教会の光のひとつと見なされていた。

 彼は宮廷を愛し[756]、国王からも寵愛されていた。
 つい最近も、国王は彼の働きに報いるために、ロバを購入する資金を与えたばかりだった。[757]

 国王の聴罪司祭自身が、ボワ・シュニュの予言をジャンヌに有利な内容に歪曲して流布させたことが判明したことで、これまで述べてきた「教会に関わるすべての謎」の疑問(真相)は解消された。

 ジャンヌは、彼女自身が「評議会(Council)」と呼んでいる「声」と、教会に設置されている彫刻や絵画に描かれている「想像上の聖人像」について尋問された。[758]

 博士たちは、ジャンヌが女性の衣服を脱ぎ捨て、髪を小姓のように丸く切ったことに異議を唱えた。なぜなら、聖書にはこう書かれている。

「女は男の服を着てはならない。
 男も女の服を着てはならない。
 あなたの神、主はそのような事をする者を
 忌み嫌われるからである」
(旧約聖書『申命記』第22章5節)

 皇帝ヴァレンスの時代に開かれたガングレ公会議(Council of Gangres)では、男装して髪を短く切った女性を破門した。[759] しかし、聖霊の不思議な啓示に導かれた聖女たちの多くは、男装して性別を隠した。

 コンピエーニュ近郊のサン・ジャン・デ・ボワには、アレクサンドリアの聖ユフロシーヌ(Euphrosyne)の聖遺物が保管されていた。ユフロシーヌは、テオドシウス修道院で38年間、男装して暮らしていた。[760]

 これらの理由と前例があったために、博士たちは次のように主張した。

「ジャンヌが男装しているのは、他人の貞節を侮辱するためではなく、自分の貞節を守るためである。我々は、善意で行われた行為に悪意の解釈を加えず、純粋な動機によって正当化された行為を非難することを差し控える」

**

 質問者の中には、なぜシャルル七世を「王」の称号で呼ばずに「王太子」と呼ぶのか、理由を尋ねた者もいた。

 この称号は、1422年10月30日、彼が持つ権利によって与えられた。
 父王が亡くなってから9日目のこの日、メアン=シュル=イェーヴルの王室礼拝堂で、彼は黒衣のガウンを脱ぎ、フランス王の象徴である紫衣のローブを身につけた。伝令たちはフランスの旗を高く掲げて「国王万歳!」と叫んだ。

 ジャンヌは、「私はあの方がランスで聖油を塗油されて戴冠するまで王とは呼びません。私がそこへ連れて行くつもりだから」と答えた。[761]

 ジャンヌからすれば、聖油を塗油する儀式なしにフランス国王は存在しなかった。
 聖油注ぎの奇跡について、ジャンヌは毎年、司祭が「故郷の教区の守護聖人である聖レミの輝かしい功績」を朗読するのを聞いていた。

 この返答は、質問者たちを満足させた。なぜなら、霊的な意味でも世俗的な意味でも、国王がランスで塗油されることは重要だったからだ。[762]

 そして、ランス大司教のルニョー・ド・シャルトル卿は、塗油式の実現を熱烈に望んでいたに違いない。

***

 聖職者たちに反論されると、ジャンヌは独特の霊的インスピレーションを用いて言い返した。

「私たちの主の書物には、あなたたちの書物よりももっと多くのことが書かれています」[763]

 これはあまりにも大胆できわどい回答だ。神学者たちがジャンヌに好意的ではなかった場合、かなり危険な事態になっていただろう。

 そうでなければ(好意がなければ)、ジャンヌの主張は「教会の権利を侵害している」と見なされる。教会は「聖典の守護者」として、「ローマ教会と公会議の権威を冒涜」されることを許さない。[764]

 そもそも、読み書きできないジャンヌが、「神の教えに反する」と断じた書物とは一体何のことか?

 それは、教会法(Sacred Canons)と教皇教令(Sacred Decretals)ではないだろうか。ジャンヌのこの発言は、教会の根幹そのものを揺るがした。

 ポワティエの神学者たちが、(シャルル七世を支持する)熱心なアルマニャック派でなかったら、この発言以降、ジャンヌは信用されずに異端の疑い(sentait la persinée)をかけられただろう。

⚠️パセリの匂いがする(sentait la persinée):中世特有の古い慣用句で「火刑に処される前段階」つまり「異端の疑い」を意味する。パセリは蓼科の植物で火を起こすときにも使う。

 しかし、彼らはフランス王とオルレアン公の忠実な臣下だった。
 そして、彼らの法服はぼろぼろで、食料庫は空っぽだった。[765]
 唯一の希望は「神に頼る」以外になく、ジャンヌを拒絶することが聖霊を否定することに繋がるのではないかと恐れた。

 さらにいうと、ジャンヌのこれらの発言に悪意はなく、完全な無知と単純さから発せられていることが、あらゆることから証明された。神学者たちがジャンヌの言葉にショックを受けなかった理由は、そういうことだ。

7.6 ラ・ローズ邸にて(4)修道士セガンとの論争

 セガン・ド・セガン修道士もまた、順番にジャンヌに質問した。
 彼は、フランス南西部のリムーザン出身で、話し方に独特の訛りがあったため出身地が明らかだった。また、ジャンヌの出身地であるロレーヌやシャンパーニュでは知られていない表現を使った。

 おそらく彼は、あの鈍重で重苦しい雰囲気をまとっており、(シノンやオルレアンがある)ロワール川、(パリがある)セーヌ川、(ドンレミ村がある)ムーズ川の住民の目にはいくらか滑稽に映ったのだろう。

「あなたの『声』はどんな言語で話しているのですか?」

 セガン修道士のこの質問に対して、ジャンヌは次のように答えた。

「あなたの声よりも上手な言語で」[766]

 聖人といえど、我慢の限界がある。
 セガン修道士はこれまで知らなかったとしても、この日それを学んだ。

 フランス陣営に味方している聖カタリナと聖マルガリータが、フランス語を話していることを疑う理由がどこにあるのか?

 そのような疑いをかけられたことに、ジャンヌは我慢できず、この質問者に「リムーザン訛りの人間が、天上の聖女たちの言語についていちいち尋ねるべきではない」と理解させようとした。

 ジャンヌの辛辣な態度にもかかわらず、彼は平然と質問を続けた。

「あなたは神を信じますか?」
「はい、あなたよりももっと信じています」

 ジャンヌはそのように(皮肉たっぷりに)答えた。
 彼女は、この善良な修道士について何も知らなかった。自分は彼よりも信仰に根ざしていると自負し、やや性急すぎるところがあった。

 ジャンヌは、自分を遣わした神への信仰を疑われていると感じて腹を立てた。
 もし、ジャンヌの返答を好意的に解釈するなら、信仰に対する熱意を証明するものとなっただろう。

 セガン修道士は、どう考えただろうか?
 同時代の人々は、彼を「やや辛辣な性格」と評していたが、それどころか、彼はジャンヌに好意的な人物だったと考えられる。[767]

「しかし、結局のところ」

 セガン修道士は、「《《神の意志》》だと言うが、私たちが信じるに足るだけのしるし(Signe)が現れない限り、あなたを信じることはできない。あなたの言葉だけで、『ジャンヌに武器と兵士を与えよ』などと王に申し上げる訳にいかない」と言った。

「神の名において」

 ジャンヌは、「私がポワティエに来たのは、しるしを見せるためではありません。私をオルレアンに連れて行ってくれたら、神から遣わされたしるしを見せます。私に兵士を与えてください。人数は問いません。そうすれば、私はオルレアンに行きます」と答えた。

 そしてジャンヌは、いつも言っていることを繰り返した。

「イングランド人はすべて追い払われ、滅ぼされます。私が天の王の名において降伏を命じれば、オルレアンの包囲は解かれ、町は敵から解放されます。王太子はランスで聖別され、パリの町は国王への忠誠を取り戻し、オルレアン公はイングランドから帰ってきます」[768]

⚠️リムーザンの言葉について:フランス南西部にあるリムーザン、シャラント、ドルドーニュの農村地域の方言。現在のフランス政府は「単一言語政策」に基づきリムーザン語を認めていない。
フランス革命当時、革命政府に反対した地域が弾圧され、地域住民・文化・言語の絶滅が企図された名残りだが、ジャンヌの反応から察するに、中世時代からこの地域を見下す風潮があったと思われる。
なお、ジャンヌの故郷ドンレミ村は北東部の農村地域である。

7.7 ラ・ローズ邸にて(5)神のしるし

 セガン修道士の質問に倣い、博士や教師たちはジャンヌに使命のしるし(証拠)を示すよう何度も促した。

 もし神がフランスを救うためにジャンヌを選んだのであれば、旧約聖書『士師記』のヨアシュの息子ギデオンにしたように、神が遣わしたしるしを何らかの兆候によって明らかにするはずだと考えた。

——————
 かつて、神に選ばれた民イスラエル人が、ミディアン人にひどく苦しめられ、山の洞窟にこもって敵から身を隠していたとき,樫の木の下に天使が現れてギデオンに言った。

「私は汝と共にいる。汝は、たった一人の男を打ち負かすようにミディアン人を倒すだろう」

 これに対し、ギデオンはこう答えた。

「もし、私が本当にあなたの目にかなう人物ならば、あなたが私と話していることを示す証拠を見せてください」

 ギデオンは子ヤギを用意し、種なしパンをこねた。
 彼は肉を籠に入れ、スープを鍋に入れ、鍋と籠を樫の木の下まで運んだ。
 すると、神の遣い(天使)が言った。

「肉と種なしパンを取ってこの岩の上に置き、スープを注ぎなさい」

 ギデオンは言われた通りにした。
 天使が手に持っていた杖の先端を伸ばし、肉と種なしパンに触れた。
 すると、岩は熱くなって火を吹き、肉と種なしパンを焼いた。
 ギデオンは天使を見たと確信して叫んだ。

「ああ、主なる神よ! 私はたしかに主の御使いを目の前で見ました!」[769]

 ギデオンは兵士300人とともに進軍し、ミディアン人を征服した。
——————


 博士たちの念頭には、ギデオンの言い伝えがあったのだろう。[770]

 しかし、ジャンヌにとって、しるしとは勝利そのものを意味していた。
 だからジャンヌは「私が見せるしるしは、オルレアンが解放され、包囲が解かれることです」と言い続けた。[771]

 ジャンヌの頑固さは、多くの神学者たちに感銘を与えた。
 彼らは、これを「つまずきの石」ではなく、むしろ熱心さの模範として啓蒙しようと決めた。

 ジャンヌはしるしを見せると約束したので、彼らは謙虚な気持ちで「しるしを送ってください」と神に求めた。(絶望ではなく)希望を抱きながら、国王とすべての民とともに、イスラエルを救った神に「我らに勝利の旗を授けてください」と祈るべきだと考えた。

 あとひとつ、ジャンヌが処女であるかどうかを確認する必要があった。
 実のところ、ジャンヌがシノンに到着したときに、すでに女性たちが検査をしていた。

 当時は、ジャンヌが男性か女性かさえ疑われていた。
 悪魔の術が作り出した「女性の姿をした幻影」である可能性さえ懸念されていた。学者たちは、それは決してあり得ないことではないと考えていた。[773]

 ごく最近、騎士がクマに変身したり、精霊が一晩で100リーグ(400キロ)も移動したかと思えばいきなり雌豚や藁束になったりすると主張していた聖職者が亡くなったばかりだった。[774]

⚠️リーグ/リュー(league):ヨーロッパの古い単位で、人が徒歩1時間で進む距離のこと。だいたい4〜5キロ。本文中の100リーグ(400キロ)をわかりやすく例えると東京〜大阪の直線距離に相当。

 そのため、然るべき対策が講じられた。
 ジャンヌが処女であるかどうかという問題は非常に重要なことで、正確に、賢明に、そして慎重に調査を実行しなければならなかった。

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