『鬼滅の刃』第1話はどうすごいのか
『鬼滅の刃』を知っていますか?
と聞かれたら、今の日本国民ならほとんどの人が「知ってる」少なくとも「タイトルは聞いたことがある」と答えるのではないでしょうか。これはかなりの異常事態だと思うのですが、

この第1話を読むと、なぜこの物語がここまで愛されたのかが見えてきます。
なぜ第1話なのか?それは、漫画というのは第1話に全てが詰まっていると言われるからです。そう、面白くなる作品は第1話からすごい。そんな視点から、まさに国民的ヒット作である『鬼滅の刃』の第1話はどうすごいのか?を考えていきたいと思います。
『鬼滅の刃』(きめつのやいば)は、吾峠呼世晴による日本の漫画。『週刊少年ジャンプ』(集英社)において2016年11号から2020年24号まで連載。
上記にあるように、終了からもう5年が経とうとしています。とっくに連載が終わった漫画にもかかわらず、今後の映画化も控えており、出せば記録的な大ヒットが約束されている。
『劇場版「鬼滅の刃」無限列車編』:歴代1位(407.5億円)。
『劇場版「鬼滅の刃」無限城編 第一章 猗窩座再来』:歴代2位(371.1億円)。
ジブリ映画をも超えて、歴代トップです。なぜここまでヒットしたのでしょうか。理由は、他にはないキャラクターの魅力もそうですし、世界観そのものが非常にしっかりできているということもありそうです。「サーガ」としての厚みが超分厚いのです。
読んでみるとよくわかるのですが、コンテンツリッチというのか、この物語ひとつの中に、主人公を張れるくらいの魅力あるキャラクターが何人も登場しており、それぞれのエピソードも非常に奥深くて魅力的です。つまり、圧縮率が高くて濃密なのです。私はこれがヒットするコンテンツの条件だと思っていますが、『鬼滅の刃』はまさにその条件を軽々と満たしています。
それでは、『鬼滅の刃』第1話をつぶさに追っていきましょう。
見事な第1話
あらためて読んでみると、この第1話がとてもちゃんとできているのですよ。
当時はなんだか地味な導入だなと思っていましたが(ごめんなさい)、伝えるべきことをしっかりと伝えている、シンプルながら実に練られた第1話となっています。
内容は、何者かに家族を殺されて雪の中を禰󠄀豆子をおぶって歩く炭治郎ではじまり、冨岡義勇に出会ってあっという間にのされ、「鱗滝という老人を訪ねろ」と言われて歩きだす炭治郎と禰󠄀豆子、このシーンまでとなります。

物語の導入部、雪の中を禰󠄀豆子をおぶって歩く炭治郎のコマからこの物語は始まります。タイトルは「残酷」。
そして、「なんでこんなことになったんだ」という炭治郎の心の声が1コマ目に入る。歩く炭治郎を正面から見据えたカット、この時点では見るからに強そうでもなんでもない、普通の男性という感じの印象です。額には例のあざがあり、見慣れた今では、緑と黒の市松模様と並んですっかり炭治郎のトレードマークになっていますが、初見だとこれもキズみたいで痛々しい。
「禰󠄀豆子、死ぬなよ」「兄ちゃんが絶対助けてやるからな」というセリフで1ページ目が終わります。この言葉で、額から血を流してぐったりと背負われている和装の女性が彼の妹である、この二人が兄弟関係であることがわかります。

次に序盤の数ページ、竈門家の日常の風景が描かれます。雪降る季節、山の中の一軒家で、なんか兄弟がたくさんいる賑やかな家。この炭治郎少年はどうやら長男で、なんか働き者であることが見て取れる。優しいお母さんが家を守っていて、会話の中でお父さんが死んじゃっているのが伝わる。なので長男である炭治郎がお父さんの分もとばかりに働き、兄弟たちにも慕われているのがわかる。とても仲のいい、幸せそうな一家です。生活はかなり不便そうですけどね。山の中にポツンとある家で、大正時代ですからスーパーやコンビニもまだありませんし、買い物はどうするかというと、山を降りて民家の集まった集落までいくわけです。これだけでも大変です。
竈門家は炭焼きを家業にしているので、炭を売ってまわっています。炭治郎は大きなカゴを背負って歩くのですが、その中には炭が入っていますね。
もうちょっとすると炭治郎は炭ではなく鬼化した妹の禰󠄀豆子を背負って歩くことになる。炭治郎はいつも何か背負っている。このあたりに意味をつけることもできますが(運命とかね)、まあこじつけの範囲という感じがします。
炭治郎が感じ取る「匂い」の正体
物語全体を通して、炭治郎は嗅覚に強みがある。ちなみに炭治郎が鼻が利くという表現は、この1話の中だけでなんと6回出てきます。
まず「幸せが壊れるときにはいつも血の匂いがする」というモノローグがあります。これが1回目。これによって、炭治郎が何か匂いというもので物事を感じ取る人であることが示されます。

次に、炭治郎が山を降りて集落を訪ねたときに男の子に声をかけられる。皿を割った濡れ衣でおかんに怒られている同世代らしい知り合いなんですが、彼に割れた皿の匂いを嗅いでくれと頼まれて匂いを嗅ぐ。炭治郎は「猫の匂いがする」と答える。これが2回目です。怒っていたおかんは「あら猫なの?」と言って男の子の濡れ衣は晴れますが、炭治郎の嗅覚にみんな全幅の信頼を置いていることがわかるやり取りです。
そして帰り道の途中にある家に住む三郎おじさんに炭治郎は声をかけられます。「暗くなってから山道を歩き回ると人食い鬼が出る、あぶねえからうちに泊まれ」と言うんですね。そこで炭治郎は「俺は鼻が効くから大丈夫だよ」と言って断る。これが3回目。そして、翌朝に出発して家に帰るとみんな死んでいる、そこでもう一度「幸せが壊れるときにはいつも血の匂いがする」というナレーションが入る、重複ではありますが、これが4回目です。

昨日まで平和に暮らしていた家族がみんな殺された炭治郎ですが、禰󠄀豆子だけまだ死んでいないのを見つけ、禰󠄀豆子を医者に見せて助けようとします。この時点ではまだ炭治郎は「冬眠できなかった熊にやられたのではないか」と考えます。まあ、そうですよね。見たこともない、いるかどうかもわからない鬼よりも熊の方が可能性が高い。
でも、おぶった禰󠄀豆子が急にグオォーと叫び出し、顔には血管が浮いて、牙も生えてくる。目が血走って、瞳孔は猫のように縦長になっている。身体もどんどん大きくなる。どうやら禰󠄀豆子が人ならぬものに変わってしまったことがわかります。そこで禰󠄀豆子は炭治郎に襲いかかる、というか牙を剥いて食おうとするんです。ここで炭治郎は三郎さんのいった「人食い鬼」という可能性を思うんですね。で、「匂いが禰󠄀豆子じゃなくなってる」という。匂いについてはここが5回目の描写です。

この後、冨岡義勇と会った炭治郎が「家族を殺したのは鬼になった禰󠄀豆子ではない、家にあったもう一つの嗅いだことのない匂いの誰かだ」と主張する場面があり、これが6回目となります。
1話の中だけでも実はこんなに言っている。このように繰り返し言及されることで、炭治郎は匂いを嗅ぐことについて特殊な能力を持っているのだということが読者にしっかりと伝わります。
この物語において炭治郎の嗅ぎ取る匂いとは、「人間の真実」の象徴です。真実で悪ければ本質です。炭治郎はこの物語の中で、匂いを嗅ぎ分ける能力によって本質を見破るケースが多々あります。この力が彼自身を救い、仲間をも救っています。見た目だけのごまかしや嘘は、炭治郎はやすやすと見破ってしまうんです。
この嗅覚というモチーフは、ここだけではなく物語が進んでもずっと続く、彼の感受性の象徴として描かれています。のちに屋根の上で交わされる胡蝶しのぶとの会話の中で、いつも笑顔の彼女に対して「怒ってますか?」と図星をついたり、不死川弟の玄弥に対して、兄である実弥は玄弥のことを憎んではいない、それは憎しみの匂いがしないからと励ましたりします。この能力は、物語的にもなかなか便利です。炭治郎は相手の心が読めると言っても過言ではない。

もしも炭治郎がまっすぐ帰っていたら
ここでちょっと可能性の話をしてみましょう。もし、炭治郎が街からの帰り道で三郎さんの家に泊まらなかったらどうだったでしょうか。何か違ったでしょうか。でもこの頃の炭治郎はただの無力な少年ですし、やってきたのが鬼舞辻無惨だったわけなので、同じでしょうね。助かるわけがない。竈門家の被害者が一人増えるだけです。そうすると、この時点で炭治郎を含めた一家全員がやられてしまう。
ただ、この物語を最後まで読んだ今の時点からしてみると、炭治郎は鬼になる才能が無惨以上にあったわけですから、無惨の血をくらった炭治郎は禰󠄀豆子と同じように鬼になるに違いない。しかも、ものすごく強力な鬼になった可能性が高いですね。

炭治郎が鬼になったら、おそらく上弦に入るレベルではないか。上弦の二の童磨、上弦の三の猗窩座あたりと並んで無惨のもとで活躍していた可能性まであります。柱のメンバーとも戦う可能性もないとは言えませんが、産屋敷耀哉の代で鬼殺隊が鬼舞辻無惨との全面対決に持ち込めたのは、元はと言えば炭治郎と禰󠄀豆子の存在がトリガーになっていると言えるので、もし炭治郎が鬼になっていたら、そういう展開にはならないのかもしれません。つまり無惨は見つからず倒されず、鬼殺隊と鬼の緊張状態はもっともっと続いたかもしれません。
では、話を戻します。
「優しさ」が作品の行動原理になった瞬間
雪の山中で禰󠄀豆子に食われそうになっているのを必死で防ぐ炭治郎は、禰󠄀豆子に「がんばれ」「鬼になんかなるな」と、あくまで人間として、そして兄として声をかけます。その心に、鬼の顔をした禰󠄀豆子はボロボロと涙を流します。
その時、羽織姿の男性が日本刀で斬りかかってきます。すんでのところで炭治郎は転がってよけますが、これが冨岡義勇との出会いです。ただし、この時点では鬼殺隊という名前も出てこなければ、柱という言葉も登場しません。ただ、冨岡が持つ刀に刻印された「悪鬼滅殺」の文字を炭治郎が見つけるのみです。
ちなみに時代設定は大正ですから、明治時代に発布された廃刀令、今でいう銃刀法によって刀を振り回すことは違法のはずで、実際に鬼殺隊は政府非公認の組織とされています。鬼殺隊だから刀を振り回しても良いわけじゃない。
三郎さんの人食い鬼の話に加え、鬼を斬ることを仕事にしている冨岡の説明を受け、炭治郎が思っていた「禰󠄀豆子は鬼になったのではないか」という疑念がどうやら事実として認識されます。冨岡義勇は鬼狩りですから、鬼について詳しい。鬼になったら人間に戻ることはないし、自分の仕事は鬼を斬ることだからお前の妹も斬ると。それに対し、炭治郎は深々と土下座をして妹の命乞いをします。
ここで例の名台詞「生殺与奪の権を他人に握らせるな!」が出ます。それにしても、この第1話での冨岡義勇は本当によく喋ります。物語上の必要というやつでしょうが、『鬼滅の刃』全編通しての3割ぐらいをこの第1話で話してるんじゃないか?と思わせるほどです。しかし、その言は厳しくも真っ当で暖かく、理にかなっています。「脆弱な覚悟では妹を守ることも治すことも、家族の仇を討つこともできない、だから強くなるしかないのだ」これが冨岡の主張です。

禰󠄀豆子の身体に刀を突き立てる冨岡。もちろん鬼になった禰󠄀豆子はそんなことでは死なないとわかった上での冨岡の挑発です。炭治郎は冨岡に石を2つ投げた後に向かっていき、刀の柄(つか)を背中に打ちつけられて気絶します。炭治郎が持っていた斧がないことに気づいた冨岡が上を見ると、斧が飛んできている。先ほど向かってくる前に死角から斧を投げることで、炭治郎が勝てないまでも相打ちを目論んでいたことがわかるのでした。

この一連のエピソードで、炭治郎は弱いなりに創意工夫の人であることがわかります。しかも自分が斬られる前提で、その後に相手を倒そうとした。冨岡は炭治郎に感じ入ります。さらに、飢餓状態のはずの鬼の禰󠄀豆子が炭治郎を食うどころか自分から庇った。それにより、冨岡は『こいつらは何か違うかもしれない』と思うのです。
禰󠄀豆子は冨岡によって気絶させられ、人を襲わないようにという戒めのため竹を口に咥えられ、あの禰󠄀豆子のビジュアルがここで決定します。

第1話「残酷」は、「日常」→「破壊」→「行動の誕生」という古典的な三幕構成になっています。ただし、ここで特筆すべきは、これが単なる復讐譚ではなく、優しさが行動原理として提示されている点です。鬼に襲われた少年が怒りや憎しみでなく、あくまで「助けたい」「守りたい」を起点に立ち上がる、これが、『鬼滅の刃』全体を通しての価値観の原点になります。
長男という重要な概念
炭治郎は、最初は非常に弱い、ただの人間として描かれています。もともとジャンプの編集会議の時点においてはサブキャラに過ぎなかった炭治郎が、編集者の提案によって主人公として抜擢されたという裏話がありますよね。元々の構想では冨岡義勇のような寡黙で孤独な主人公像だったらしい。今となっては、実に慧眼と言わなければならないと思います。
炭治郎は決して「普通」のキャラクターではない。天然だし、コミュニケーションのバランスは悪いし、優しいけど押し付けがましいし、けっこう変な奴です。ただ嫌われるタイプではない。困っている人を放っておけず、自分よりも人や状況を優先し、家族思い。そして彼は何より、長男であることに強いアイデンティティがあります。
この『鬼滅の刃』において、長男というのは非常に重要な意味を持ちます。作者の吾峠さんの価値観なのかもしれませんが、長男というのは絶対的な存在としてポジショニングされています。長男は強く、弟たちや妹たちを守らなければならない。炭治郎以外にも長男は何人も登場します。一見冷たいけれど弟思いの不死川実弥、弟の良い規範となろうとした煉獄杏寿郎、妹の堕姫(梅子)になんだかんだと寄り添い続けた上弦の鬼の妓夫太郎、そして異次元の強さの弟を持ったが故に長男としての存在できなかった黒死牟こと継国厳勝です。これは『鬼滅の刃』を読む上で、非常に重要なポイント、補助線となります。
そして最終話に、すべてが終わった生まれ変わりの世界で、炭治郎は次男として生を受け(竈門炭彦)、長男であることの重責から解放されるのです。

禰󠄀豆子について
禰󠄀豆子は人間から鬼になりました。鬼は基本的にこの漫画の中では敵であり、倒すべきデーモンにあたります。同時に、禰󠄀豆子は最後まで守られ、(旧時代の価値観的な意味での)助け出されるべきプリンセスのポジションです。ただし禰󠄀豆子は自らも戦闘力を発揮しますが、序盤だけで途中からは戦闘に加わりません。プリンセスである禰󠄀豆子が、敵と同じ属性である鬼になるという部分で、物語のとても重要な構造が序盤、第1話から提示されていることになります。それは、鬼は元々は人間であり、人間と鬼は地続きであるというルールです。
『鬼滅の刃』という物語の中では、鬼はもともと人間でした。鬼舞辻無惨ですらそうです。つまり、鬼は人間と別個の存在というよりも、あくまで人間の「なれ果て」なのであって、滅された主要な鬼はみな人間としての記憶を取り戻しながら死んでいくのです。ここも『鬼滅の刃』の物語解釈における重要なポイントです。

「復讐」ではなく「救済」で始まる物語
『鬼滅の刃』のキャッチコピーは「これは、日本一優しい鬼退治」というものでした。つまり「優しさ」という概念がこの作品の基調になっています。日常生活における優しさというのは非常に広い意味を持つ言葉ですが、いわば「思いやり」「想像力」「感受性」といった言葉で表されるものだと思います。
そして主人公である炭治郎の「優しさ」は、単なる性格描写ではなく、「嗅覚=他者への感受性」として構造化されています。匂いによって他者を理解し、他者を思いやる。つまり、彼の「強さ」というか「能力」は理性でも腕力でもなく、感受性そのものということです。実際、この時点で炭治郎は、「剣で鬼を斬る者」ではなく、「痛みを嗅ぎ取る者」として描かれています。
『鬼滅」刃』という作品のテーマは、登場人物のセリフの中から一つ拾うならこれでしょう。産屋敷耀哉の「永遠というのは人の想いだ。人の想いこそが永遠であり、不滅なんだよ」。つまり、人間は一人で完結するものではなく、想いの継承によって繋がるものである、ということです。優しさが人の痛みを感じられることだとするならば、残酷な現実という運命から始まった炭治郎や仲間たちが、優しさによって自らを再生し、繋がりによって周りをも再生させていく。
『鬼滅の刃』とは、そういう物語であったのではないでしょうか。
(了)

ちなみに、今回のエントリとほぼ同様の内容で、Podcastでも話しています。よろしければどうぞ。
少し前に『無限城編』を中心に書いた鬼滅エントリがこちら。
※記事内の画像は、解説のために引用しています。出典・著作権はそれぞれの権利者に帰属します。
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