九州大学での講義 概要

今日は九州大学で講演。何だか、自分が大学生相手に講義してるの、不思議な気分。今までにもいろんな大学で講義してきたけど、いまだに「私なんかでいいの?」という気がする。大学の先生はみんなすごくて、自分はあまりにも能力が低い。強い劣等感に苛まれていた二十代の気分が今も抜けない。

今日は午前にゼミ生に対し研究の紹介。午後はなんと「博士課程に進みたくなるような話をしてください」!?

え?

いや確かに前からその話は頂いてはいたのだけど、自分の研究内容の話じゃなくて、え?

昨日、改めて先生から依頼され、本気なんや!と分かったものの、いや、どう話をしよう?

もうぶっつけ本番で、勢いのまま、思いつくまま話をしたれ!と、1時間半、話をした。たぶん、学生は面食らったと思う。農業研究者なのに子育てとか介護、恋愛、石油タンカー、老子とか荘子、ソクラテス、小説とか、話があっちゃこっちゃに飛んでいくのだから。

でも、話をするに当たって、一つだけ決めていたことがある。「子育てだって恋愛だってビジネスだって、ありとあらゆるものが研究である。研究の手法はあらゆる分野に通じるし、研究のヒントもあらゆる分野に転がっている」話をしよう、ということ。

「恋愛を成就するには、科学の五段階法を回すとよい」と、最初の方で話した。好きな人ができたら、まずはその人を観察する。観察してると、動物好きであることが推論される。「ならば、動物の話をすれば盛り上がるのでは?」と仮説を立てる。その仮説に従って話をしてみる(実験)。

最初はうまくいってると思ったら、ネコの話の時だけ顔が曇った。もしかしたら化け猫の話とかでネコだけ嫌いになったのでは?と考察し、改めてその視点でその子を観察する。
こうして、
観察→推論→仮説→実験(検証)→考察(→観察に戻る)
の科学の五段階法を回すことで、好きな人を理解していく。

恋愛も、人間は知らず知らずのうちに研究の手法である「科学の五段階法」を実施している。そして実は赤ちゃんは、生まれながらにして科学の五段階法を身に着けており、世界を理解し、言葉を獲得し、立つことを覚え、様々な能力を身につけていく。

人間は本来、この世界を理解するための技術として、科学の五段階法を身に着けている。科学とは、それを生業にしている研究とは、人間が本来、この世界の未知を既知に変えていく手法を意識的に採用し、この世界の不思議を解き明かしていく仕事だと言える。

すでに述べたように、本来、科学の五段階法は、赤ちゃんがすでに身に着けている作法なのに、残念ながら多くの学生がその力を失っている。なぜか。
小学校に入ると、「正解」を教えてもらうようになるから。自分で試行錯誤し、未知を既知に変える五段階法を無視し、「暗記しろ」と言われるように。

ひたすら先輩たちが明らかにしてきた、大量の「正解」を暗記する作業を小学校、中学校、高校と12年間続けているうちに、未知に取り組んで既知に変えるという科学の五段階法を忘れてしまう。大学生になったころには、未知にどう向かい合えばよいのかがわからない。

4回生になり、卒論を書くに当たって、指導教官である大学の先生も答えを知らないことに取り組むことになる。「え?先生も知らないの?」と戸惑いつつも、先生に言われたとおりに手を動かして、なんかデータをまとめて卒論を書く。この段階では意味ワカメ。

修士課程に入ると、いろんな論文を読んで、修論を書いて、ってやるうちに、科学の五段階法を何度も回す体験を重ねる。自分は未知を既知に変える仕事をしてるのだ、ということにようやく気がつくのが、修士。でも、まだ先生の言う通りに手を動かしてる感が否めない。

博士課程に進んで初めて、科学の五段階法を回せば未知を既知に変えることができるということに自覚ができ、自分で実験計画を立て、自分で研究を進められるようになっていく。
小中高の12年間で失った科学の五段階法を取り戻すリハビリには、六年を要することになる。

実は、修士で卒業し、ビジネスの世界に入っても、科学の五段階法を回すハメになる。たとえば、上司から「地元で人気のカフェを立ち上げろ」と命じられたら、まずはどうするだろうか。人気のカフェ巡りをし、「観察」して、人気になるにはどんな要素が大切なのかを探ろうとするだろう。

そうして「おしゃれな内装にすれば若い人に人気のカフェになるのでは?」と仮説を立て、いざオープンしたら客の入りがイマイチ。なんでだろう?と改めて観察に戻ると、「この辺はお年寄りが多くて若者がいない」と気がつき、高齢者でも気持ちよく座れるイスに変えたりなど工夫して、店を改良していく。

ビジネスの世界も、研究と同じで正解がわからない。正解がわからない中、それと意識していなくても科学の五段階法を実施し、「未知」を「既知」に変えていく。ビジネスもまた、研究と同じ。答えのない世界から、答えを探していく行為。研究そのもの。

子育ても同様。私は赤ちゃんというものは、哺乳瓶を口に突っ込めば飲むもんだと思っていた。ところがすぐに顔をそむけて口から離す。それでいて、お腹減ったと泣く。で、哺乳瓶突っ込むとまた嫌がって顔をそむけて口から外す。そして泣く。ミルクを飲みたいのか飲みたくないのか、どっちやねん!

そこで私は「観察」することにした。私はミルクをたっぷり飲ませようと哺乳瓶を突っ込んでいたのだけど、そうすると哺乳瓶の仕組み上、ミルクがドバッと出る。すると赤ちゃんはミルクに溺れて、苦しくて顔を背けているのだと気がついた。
ミルクを与えようと親が押しつけるから嫌がるらしい。

ならば、「押してダメなら引いてみな」で、哺乳瓶を逆に引き気味にしたらどうなるだろう?と仮説を立て、試してみた。すると赤ちゃんは「逃してなるものか!」と強く吸い脇目も振らずにミルクを飲み干してくれるようになった。

最初、私にとって、赤ちゃんがどうすればミルクを飲んでくれるか、というのは「未知」だった。しかし観察を重ね、何が起きてるのかを推論し、こういうことが起きてるからではないかと仮説を立て、その仮説を検証するために別のアプローチを試してみる(実験)。こうして科学の五段階法を回して発見。

恋愛だけでなく、ビジネスだけでなく、子育てさえも、赤ちゃんがこの世界を理解する作業さえも、すべて研究の手法である科学の五段階法を回して、未知を既知に変える作業を行っている。そしてそれを意識的に実施できるようになるのが、博士課程なのだ、という話をさせてもらった。

80名もの学生が参加してくれて、彼らがどう感じ、どう思ったかはわからない。彼らが、博士課程に進むかどうかは別として、科学の五段階法を回すと、答えの見えない未知の問題も解決の糸口を見つけられるよ、ということが分かってくれたなら幸い。

もう一つ、学生のみなさんお話したのが、「一人では限界がある」ということ。
それを説明するためにインドのことわざを紹介した。「群盲象を撫でる」。これもまた科学の手法なのだけど、一人ではできないことをたくさんの人たちと協力することで未知を既知に変える手法。

ある王様が何人かの目の見えない人たちを集めて、初めてゾウを触ってもらった。何だと思う?と尋ねると、「呼び鈴のヒモだ」「カーテンだ」「吹奏楽の楽器だ」「武器だ」「柱だ」「丘だ」と、全員言うことが違う。

みんな自分の考えた手触りに確信があるから、「そんなはずはない!呼び鈴のヒモに決まってる!」「何言ってる!柱に決まっているだろう!」と、罵り合いのケンカ。
私たちはよく見解の違いでケンカになるけれど、それはこの様子と全く同じだ、と風刺したことわざ。

ここで終わったら、科学の話どころかただのケンカに終わるのだけど、このことわざには続きがある。
誰かが一人「おい、俺たち、同じものを触ってるんだよね?」と声をかけ、みんなハッとして、改めて自分の触ってるものを予見なしに観察し、報告し合うことに。すると。

「呼び鈴のヒモ、先がピョコピョコ動く」「柱と思ってたけど、出っ張りの裏がへこんでいてまっすぐじゃない」「この武器、上に反り上がってる」「丘のサイズはこれくらい」こうして細かい観察結果を互いに持ち寄ることで「もしかしてこれは、ウワサに聞くゾウでは?」と、真相にたどり着く。

実は、科学は、研究は、これと全く同じ営みをしている。タンパク質とかDNAとかは、1本のヒモが折りたたまれたり二重らせんになったりしてると大学ではさも見てきたように説明するけど、実はこれらを直接見た人はいない(DNAの二重らせんは比較的最近見ることができた)。間接的な証拠ばかり。

「群盲象を撫でる」と同じように、間接的証拠をたくさん積み上げて、「タンパク質はアミノ酸のヒモが折りたたまれたものではないか」「DNAは二本のヒモがらせん状に絡まっているのではないか」と考えると、様々な状況証拠をうまく説明できる、というに過ぎない。

でも、最新の電子顕微鏡でもはっきりとは見えない微細な世界も、「恐らくこうなっているのだろう」とほぼ確信を持って言えるのは、まさにたくさんの研究者が「群盲象を撫でる」よろしく、たくさんの観察結果、実験結果を持ち寄って、すべての結果を説明できる「仮説」を紡いでいるに過ぎない。

そう、科学は、研究は、最も確からしい(確かとは断定できない)仮説を、多くの人たちの協力を得て、様々な観察結果、実験結果を持ち寄って紡ぐ、集団での行為。
だから、科学は、研究は、一人ではできない。たくさんの人たちと協力しなければ、前に進めない。

そうして、協力して研究を進めるうえで、非常に重要な姿勢がある。
謙虚であること。
もし「群盲象を撫でる」の場面で、一人傲慢な人間がいたとしたらどうなっただろう?「呼び鈴のヒモに決まっている!お前らアホか!」と声の大きさで押し通し、みんな「はいはい、もうそれでいいです」になったかも。

大切なことは、「他者は自分の知らないことを知っている」という謙虚な姿勢。それをみんな備えているから、観察結果、実験結果を持ち寄り、「ゾウだ!」という真実にたどり着くことができる。メンバーみんなが謙虚でなければ、科学というのは、研究というのは、成立しない。

ここで、私に講義を依頼しくれた先生が面白い話を紹介してくれた。「昔の学会はひどかったんですよ」。学会の重鎮と呼ばれるような人がいて、少しでも自分の理論に反する発表を目にすると、「君は私にたてつくのかね?そもそもこのくらいの文献は読んでいるんだろうね?」とケチをつける人。

そうやって相手の無知をなじり、若い有能な研究者を潰す、ということが昔はよく行われていた。最近は比較的そういう人を見なくなった。それはなぜかというと、ポパーという哲学者が、「科学には反証可能性が必要だ」ということを提唱したことが大きい。

反証可能性とは、「もしこういう証拠が出たら、私の唱えた理論は間違っていたと認め、撤回します」と、自分の理論や仮説の弱点を示すこと。こんな反証を示されたら降参します、と、わざと弱点をさらすこと。弱点を示そうとしない理論は、すでに科学として成り立っていない、という考え方。

反証可能性を示さないため、科学になりえていない理論が、例えば幽霊とかUFO。これらはもしかしたら正しいのかもしれないけれど、「こういう証拠を出されたら幽霊がいないと認めます」「UFOはウソだと認めます」という反証可能性が示されていない。このため、科学の理論としては成立していない。

もしかしたら幽霊もUFOも存在するのかもしれない。しかし、「この証拠が出てきたら誤りだと認めます」という反証可能性が示されていない理論である以上、科学が対象とする理論となりえない、と、ポパーは唱えた。このポパーの考え方は、陰に陽に研究者の中に浸透している。

このため、自分の理論の過ちを決して認めようとしない、「こうした証拠が出たら自分の言っていたことは間違いだと認めます」という弱点(反証)があることを認めようとしない「学会の重鎮」は、科学の姿勢として誤っている、という認識が、ポパーを起点に広がるようになった。

科学は傲慢であっては成り立たない。常に自分の唱えた理論が間違っているかもしれない、という恐れと向き合う必要がある。「自分の理論を覆す反証が出てきてしまうかも」という可能性(反証可能性)と向き合う必要がある。科学の理論は、宿命的に謙虚にならざるを得ないようになっている。

では、みんな謙虚になったとして、どうしたらみんなと意見を交わし、協力し合えるようになるのだろうか?
会場でも、最初、質問は?と言っても、なかなか質問が出てこなかった(勇気ある学生がファーストペンギンになってくれた)。これ、日本の学生にはあるあるの姿。

なぜ日本の学生は、質問を促されても様子見をして、自ら質問しようとしないのか?それは、間違いを恐れるから。正解以外を口にしたらバカにされるのではないか、と恐れるから。
小学校に入ってからの12年間、正解ばかりを教えられる。そして、正解だけを口にするように促される。

そういう12年間を過ごすうちに、「間違ったことを口にしたら先生からバツを食らう」「恥をかく」ことを学習し、若者は自ら手を上げ、質問したり意見を述べたりすることをためらうようになってしまうのだと思う。これは教育者、指導者の責任が大きい。

意見を述べることを恐れないようにするためには、指導者が、どんな意見にも否定的な反応をせず、ポジティブに面白がることが大切だと思う。これを見事に実施していたのが、ソクラテスと吉田松陰。

ソクラテスはおじいさんで、いろんな知識を持っていたはずなのに、若者に教えようとはせず、逆に若者から教えてもらおうとした。若者に問いかけると、若者はウンウン考えて答えをひねり出す。その答えを面白がり、「へえ、どうしてそう考えたの?」とさらに問いを重ねる。すると。

若者はどんどん考えを深め、広めていく、ソクラテスが別の話もからめて問いかけてくるから、テーマがどんどん広がっていく。こうして、ソクラテスも若者も気づかなかった、知らなかった知の地平にたどり着く。このように、問いかけ、答えを面白がる手法を、ソクラテスは「産婆術」と呼んだ。

ソクラテスの弟子プラトンが書いた本「メノン」で、面白いシーンがある。ソクラテスは友人宅の召使を読んで、図形を前にして問いを重ねた。召使は数学の素養は全くなかったけれど、ソクラテスの問いに答え続けているうち、ソクラテスも召使も知らなかった図形の定理にたどり着いた。

ソクラテスは、その召使に対してもそうだったけれど、若者と話す時も、相手が少々頓珍漢な意見を言ってもそれにネガティブな反応をせず、「へえ!面白いね!」と反応した。すると若者は「何を言ってもポジティブに反応してくれる」ことに安心し、思ったままを口にできるように。

こうして、ソクラテスに問われるままに答えているうち、自分一人では考えたこともなかったようなアイディアにたどり着き、自分でビックリしてしまう。この体験が衝撃的だったので、若者たちはソクラテスのそばを離れがたかったらしい。

これと同じ指導法をとったのが、吉田松陰。松陰は監獄に放り込まれた時、なんと、囚人一人一人を先生とし、自分自身が進んで生徒となって、教えてもらうようになった。すると、互いに得意な分野を教え合うようになり、それがあまりに楽しそうなので牢番までその勉強会に参加。

松陰は無知などころか、11歳の若さで藩主に抗議をしたことがあるという、早熟な天才だった。幕末の日本において、トップクラスの知識人。なのに、どんな人からも自分より優れた才能をみつけ、その人から教えてもらった。その結果、全員が向学心に燃えるようになった。

この指導法は、やがて松下村塾で若者たちを指導する際にも引き継がれた。松陰が教えるのではなく、若者たちに教えてもらい、一緒に考えるというアプローチ。すると若者は必死になって考えるように。松下村塾から明治維新を起こすことになる人間がわんさか出たのは、このためだろう。

ソクラテスも吉田松陰も若者の発言を笑わず、どの発言にもポジティブに反応し、面白がった。だから若者は発言を恐れなくなり、自分なりの考えを述べることを恐れなくなり、自分の頭で考えて行動できるように育っていった。ソクラテスからプラトン、アリストテレスという天才が生まれたのもそれが理由。

しかし残念ながら、日本では正解以外を間違いとし、否定的に反応する教育を若者たちに施してきた。このため、いつの間にやら「下手に発言して間違っていたらどうしよう、恥をかくくらいなら黙っておこう」という誤った学習をしてしまうのだろう。

学生の皆さんにお願いしたのは、「あなたたちの世代で変えてくれ」ということ。幕末明治の頃の日本人の様子を調べると、日本人は決してそんな大人しい人たちではなかった。外国人を見ると興味をもって近づき、いろいろ質問した。好奇心旺盛な民族だった。

それができなくなってしまったのは、正解だけを教え、正解を口にすることだけを若者に求める12年間を強いることで、間違うことを恐れることを教えてしまったからだと思う。私たちの世代は残念ながら、この状況を十分変えることができなかった。若い人たちに変えてほしい、と伝えた。

まとめると、
・科学の五段階法(観察、推論、仮説、実験、考察)は、研究だけでなくありとあらゆる分野に通じる方法であること。
・一人で科学してもダメ。たくさんの人と協力し合い、情報を共有して初めて科学研究は成り立つ。
・協力し合うには傲慢さはダメ。自分の無知を自覚する謙虚さ大事。
・協力し合うには、相手の意見に否定的な反応をするのではなく、ポジティブに反応すること。
・問いかけては答えに驚き、面白がる。そしてまた問いかける、という産婆術を行う。

こうしたことをマスターすると、研究の世界だけでなく、ビジネスの世界でも通じると思う、という話をした。

果たして若い人たちにどれだけ伝わったかはわからない。後日、どんな感想を持ったか、九州大学の先生にお伺いしようと思う。
私としては、若い人たちと話ができて大変楽しかった。先生、貴重な機会をありがとうございました!

追伸。
今日は特にスレが長くなっているけれど、九州大学で講義した内容の、これでもまだ一部(どれだけしゃべっとんねん)。

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