深夜特急に憧れて、地図を広げるたびに騙される──90年代女子のバンコク⑤
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バンコクへ――1994年、はじめての東南アジア
マレー半島の付け根、バンコクをはじめて旅したのは、1994年の夏。暑い東京から、さらに熱い湿気のバンコクへ向かいました。女子三人旅。いつものメンバーとは違う顔ぶれで、旅慣れた女子ではない、ごく普通の女子大生たちです。その中で私だけが、深夜特急かぶれのバックパッカーコスプレで参加していました。
出発前には、深夜特急のマレー半島・シンガポール編を読んでいました。香港やマカオに比べると、旅の熱気が少し落ち着いた印象があり、その分、旅の苛立ちがにじんでいるようにも感じられます。バンコクに行くことになったとき、私は自分がどう感じるのか気になっていました。沢木耕太郎が香港と東南アジアを比較して抱いた、あの欲求不満のような感情が、自分にも生まれるのだろうかと。
90年代女子大生の旅支度
1994年当時、女子大生の旅の準備はとてもアナログでした。
学食でABロードを広げ、旅行代理店に公衆電話からテレカで電話をし、カウンターで予約をして現金で支払う。複写式の冊子のようなエアチケットとホテルのバウチャー、行程表を受け取れば準備完了です。
安いツアーはクレジットカードが使えず、現金を持参するのが当たり前でした。
持ち物は、夏服を数着、洗濯ひも、地球の歩き方、CanCamの切り抜き、暇つぶしの本を一冊、歯を磨けないときのためのミント。小さなスーツケースの中身は、驚くほどスカスカです。
到着直後の洗礼
ドンムアン空港に到着し、中心部から少し離れた安いホテルへ。旅の目的は、観光、タイ料理、ジムトンプソン訪問、大学で大流行していたシルクのリボンバッグの購入、そしてタイ式エステの体験。そこに私は、街歩きという目的を勝手に加えていました。沢木耕太郎が書いた、華僑と印僑がせめぎ合うバンコクの街を、自分の足で歩いてみたかったのです。
ドンムアン空港に降り立ってまず驚いたのは、湿気でした。東京の湿気とは違い、身体にまとわりつくような重さがあります。
ガイドの忠告と、すでに始まっている不信感
ツアーのガイドは、小柄なおじさん。ミシミシと音を立てるマイクロバスの中で、旅のイントロダクションが始まります。
タイの通貨はバーツ、だいたい4円で計算すること。水は飲んではいけないヨ、氷もだめヨ。果物も氷で冷やされていたら避けてネ。そして、タイ人は信じてはいけないヨ、みんな嘘をつくからネ。
水も氷もだめ、そして人も信じるな。すでに疑心暗鬼のスイッチは入っています。
親切な人たちと、終わらない迷子
1994年の情報源は、地球の歩き方とその地図、テレビや雑誌、そして友人の口コミ。それでも1974年の旅よりは情報があるはずなのに、2026年の今から見れば、頼りないにもほどがある状態でした。
ワット・ポーやエメラルド寺院に向かう途中、地図を広げる私たちに親切そうな人が声をかけてきます。
Today close temple because festival, holiday
close, close.
I take you good place. Special. Secret but good…
ん?
今日は祝日なのか?
ガイドブックには年中無休と書いてあるのに、そんなこともあるのか、ありがとう…と、素直に信じてしまう私たち。そのまま、なぜか土産物屋へ連れて行かれます。あれ?お寺じゃない?お寺のモチーフが金ピカなガラクタになって売られてる…
騙されているのです。
地図を広げるたびにワラワラ集まってくる親切な人たちの誘導で、クラクションと排気ガスに満ちた街を、体感湿度70パーセントの中、ひたすら彷徨い続けました。
不機嫌になる女子たち
騙され続けるうちに、女子大生たちはだんだん不機嫌になります。何か言われるたびに、また嘘でしょうと身構えてしまう。
バンコクの騙し手には、いろいろなタイプがいました。街のおじさん、普通のおばさん、英語が流暢な青年。
そして最も設定が凝っていたのが、自称シャングリ・ラ・ホテルに宿泊しているというインド系の男性です。ピンクのシルクのシャツに白い麻のパンツを合わせていました。加齢臭とスパイスのにおいがしました。
なぜそこまで設定を作り込むのか。得られるのは、土産物屋からのわずかなコミッションのはずなのに。
行けなかったカオサン
そんな中でも、私が行きたかったのはカオサン通りとパッポン通りでした。具体的な目的があったわけではありません。ただ、当時バックパッカーの聖地だったカオサンの空気を感じてみたかったし、ネオンがきらめくパッポン通りを冷やかしながら歩いてみたかったのです。
リネンのシャツにヨレヨレなパンツ、足元はビーサン。深夜特急インスピレーションのコスプレで、準備は万端でした。
けれども、そのささやかな希望は、女子たちに即座に却下されます。危ないからだめ、騙されるからだめ。その一点張りで、近づくことすらできませんでした。
爆買い女子への転換
代わりに訪れたのは、タイシルクのオーダー店と、NaRaYaのショップ。さらにジムトンプソンのブティックでは、エレファント柄の派手なブラウスを購入。結局マダム味全開なそれは、母が着ることになりました。
1994年は円高が進んでいた時期です。1ドル約98円、1バーツ約3.9円。買い物天国一歩手前の状況でした。
気がつけば私は、バックパッカー気分を忘れ、カードの限度額まで買い物をする、ただの爆買い女子になっていました。空港免税店で「1ドル100円切ってるよ!」とテンション爆上がりでディオールリップを大人買い。
なぜかドンムアン空港でエトロのバッグまで購入しています。なぜバンコクでエトロだったのか、自分でもよくわかりません。
そのバッグはメルカリで処分しました。「いつ、どこで購入しましたか?」と聞かれて「30年前にバンコクのドンムアン空港で購入した正規品です」と答えらたら、無言でした。怪しいか。笑
32年後のクッションカバー
そのときジムトンプソンで買った、エレファント柄のクッションカバー。いつか一人暮らしをするときのためにと思って選んだものでしたが、32年経った今も現役です。

今も売ってるのかな。
たどり着けなかった場所
その後も何度かバンコクを訪れましたが、結局一度もカオサン通りには行けないまま、51歳になりました。いまではカオサンも、当時のバックパッカーの聖地から、おしゃれなブティックホテルや、カフェが並ぶエリアへと変わっているようです。
もう、あの場所に行くための適齢期は過ぎてしまったのかもしれません。
ここからは、深夜特急マレー半島編の再読へと続きます。
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