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踏み込めなかった距離の話──90年代女子的な深夜特急答え合わせ⑥マレー半島編2026年

深夜特急マレー半島編・バンコクの答え合わせ

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深夜特急マレー半島編の答え合わせ

2026年、51歳になって思い出した深夜特急マレー半島編と、マレー半島の根元にあたるバンコクの旅については、こちら

本の冒頭を読み、旅の醍醐味を思い出しました。

眼の端にキラキラするものが飛び込んでくるような気がした。私は雑誌から顔を上げ、窓の外を見た。キラキラしているのは太陽の光だった。飛行機はいつしか南シナ海を抜け、インドシナ半島に入っていたらしく、窓の下には田園地帯が広がっていた。深い緑色の大地には無数の水田と沼があり、その銀色の鏡のような水面に、今まさに沈もうとしている太陽の鈍い光が反射し、それがキラキラと輝いていたのだ。

深夜特急 第四章 メナムから マレー半島Ⅰ

そうそう、この感じ。
飛行機の窓から見える景色で、自分が異国に来たことを実感したものでした。

空港と両替、旅スタイルの変化

空港でワラワラと群がってくる客引きを避けているうちに、そのまま空港を出てしまう気持ちはわかりますが、両替をせずに外へ出るのはなかなかの強者です。女子大生だった私は、いつも成田で両替を済ませていたので、現地でお金に困ることはありませんでした。でも、現地追加を持たないで街に出るような旅に憧れてたな。
最近は現地で両替することが多く、現金もちょっとしか持たない。旅のスタイルも変わりました。

ゴールデン・テンプルと90年代の空気

宿はゴールデン・テンプル。香港に続く、曖昧宿です。
女を買わないかとしつこく食い下がられる場面に、1974年の空気と1994年当時の事情を思い出しました。

書き方は適切ではないかもしれませんが、1994年当時、バンコクをはじめとする東南アジアには、おじさんが女を買いに行く場所というイメージが確かにありました。今の若い読者が読めば違和感を覚えるかもしれませんが、当時は広く共有されていた認識だったと思います。

繰り返されるやり取りと疲労

ボーイたちが女を売り込みに来る経験は私にはありませんが、同じやり取りを何度も繰り返すことによる疲労には強く共感します。
沢木耕太郎が同じやり取りを四度繰り返したように、私も地図を広げるたびに、騙そうとする人たちとのやり取りが同じ展開になり、その単調さとバンコクの湿気が重なって、ひどく消耗した記憶があります。女子大生の私もまた、バックパッカー的な体験をしていたのです。

チグハグなバンコクの感触

バンコクの旅は、どこかチグハグなまま進んでいきます。ホテル、うどん屋、そしてワット・ポーで知り合った華僑の男。
街の奥に入り込めそうな糸が見えかけると、突然ぷつりと切れてしまう。

強い湿気と、ゆるい笑顔。そのやわらかさが、逆にゆるやかな壁のように立ちはだかる街でした。
香港での体験が鮮烈だった分、どうしても比較してしまう深夜特急の旅。その感覚は、旅慣れていなかった19歳の私にもよくわかりました。

関係が浅いのに踏み込んでくる距離感や、騙そうとする気配が、女子大生だった私たちの心に見えない壁をつくっていたのだと思います。

近すぎる距離と、行かなかった選択

それでも、華僑の男の家に招かれ、母親の手料理をご馳走になる場面や、彼と一緒に日本語学校を見学する場面には、どこか憧れがありました。

「コーヒーを淹れてあげる」「家に来ないか」「食事を振る舞うよ」という誘いは、20代の当時いくらでもありました。しかし女子の旅では、それを受け入れることはありませんでした。

こうした距離の近さは、東南アジアのさまざまな場所で経験しました。プーケット、アンコールワットのあるシェムリアップ、ハノイ、ホーチミン。「バイクでドライブしよう」という誘いなど、形を変えて何度も現れましたが、一度も応じたことはありません。

危険もあったでしょうが、51歳になった今、一度くらい応じてみてもよかったのかもしれないと思うこともあります。
だって、もうそんな誘いはないもの。笑

また、日本人の友人を紹介してほしいという圧のようなものも確かに存在していました。あとは、日本人女子と結婚したいとも。あの空気は、今も残っているのでしょうか。
20代の現地の人と触れ合うスタイル(※ナンパ含む)は、50代の今はもう手に入れられない旅の醍醐味。今は、あからさまにお金をタカられるだけです。

しっくりこない感覚の正体

物語の中での旅では、マーケットでも気分は高揚しません。子どものために騙される大人の優しさに触れたり、心がバンコクに寄っていく瞬間もある一方で、物乞いの姿の厳しさに目が向き、どうにも感覚が噛み合わない。

バンコク三日目くらいなのに、その違和感に、19歳の私は確かに共感していました。
けれど今になって思うのです。あの共感は何だったのだろうと。

はっきり言えるのは、深夜特急を読んでからバンコクを訪れたことで、しっくりこないという先入観を抱えたまま旅に出ていたということ。もし何の予備知識もなく訪れていたなら、まったく違う景色が見えていたのかもしれません。

ムエタイという憧れ

本を読んで思い出したのが、ムエタイの描写です。バックパッカーの旅で格闘技を観戦することは、当時の私のwish list の一つでした。

19歳の旅では叶いませんでしたが、24歳、ミレニアムの頃にプーケットを訪れた際、その願いは実現します。四泊の女子旅で、夜があまりにも手持ち無沙汰で、ムエタイを見に行きたいという私の提案が通ったのです。

夜の競技場に観光客の女子はほとんどおらず、かなり目立ちましたが、しつこい客引きもなく、意外にも快適でした。地元の人々で盛り上がる、熱のある試合だったと思います。

けれど、一緒に行った友人たちの冷ややかな反応に気持ちが折れ、一試合だけで帰ることになりました。
私の中途半端な旅は、深夜特急のような旅にはなりきれない。ダサい、私。

旅は続いていく

沢木耕太郎は、競技場でボクシングを観たあと、さらに南へ進む決意を固めます。マレー半島を下り、華僑の国であるシンガポールへ。

19歳の私もまた、いつか鉄道でマレーシアを縦断し、シンガポールへ向かうと心に決めました。

続く


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