映画評48 シャブロルの傑作『気のいい女たち』 (上)
1 中心を欠いた映画
『気のいい女たち』(1960)は、クロード・シャブロル監督4作目のモノクロ映画だ。(日本未公開。配信リリース、DVD ・ブルーレイあり。)
ヌーヴェル・ヴァーグ(N・V)全盛期に撮られた、知られざる傑作であるが、何より興味深いのは、パリのみずみずしい街頭撮影や、パリジェンヌ四人の私生活の断片的描写などのN・V的要素と、のちにシャブロルの十八番(おはこ)となるスリラー映画的な要素とが、奇妙に混交している点だ。
(N・Vについては「映画評27」、シャブロルのスリラー映画については、「シャブロル傑作選に駆けつけよう!」を参照。)
小さな家電店で売り子をしている四人のヒロインは、ジャーヌ(ベルナデット・ラフォン)、ジャクリーヌ(クロチルド・ジョアーノ)、ジネット(ステファーヌ・オードラン)、リタ(リュシル・サン=シモン)。
いずれも若く魅力的な女性たちだ。
ーー婚約者はいるが、束縛を嫌って夜ごとアバンチュール(恋の冒険)に乗り出す、快活で奔放なジャーヌ。
現実離れしたロマンチックな恋愛に憧れている、内気で夢想的なジャクリーヌ。いわゆる"白馬の王子様症候群"、ないし"シンデレラ・コンプレックス"だ。
一番年長のジネットは、夜は歌手として舞台に立ち、一流のプロ歌手を目指しているが、それを仲間には秘密にしている。
リタはといえば、裕福な家庭の恋人がいるが、玉の輿に乗るべく、彼の両親に紹介されたいと願う、素朴な"上昇婚"志向の持ち主ーー。
このように、抱える事情はそれぞれだが、彼女たちは一様に、薄給で単調なーーしかも店長はねちねちと小言をいうサイコパス風の男ーー家電店勤めにうんざりしていて、〈ここではない何処か〉へ逃れることを夢見ているのだ。(四人にとって、パリは"花の都"であるどころか、刺激のない退屈な街だ。)
では、そんな彼女たちの日常を、シャブロルはどう描くのか。
ひとことで言えば、彼女たちの代わり映えのしない日々を、 シャブロルは小さなエピソードの連続(不連続)として、ランダムにさえ思える手つきで撮っていくのだ。
すなわち、彼女らの一人に焦点を当てたり、余暇を一緒に過ごす四人を一つのシーンに収めたり、あるいは二、三人ずつ組になって行動する彼女らの姿を撮ったりーーという風に、映画は起承転結を欠いたまま、日記風に進行していく。
よって『気のいい女たち』は、各シーン、各挿話がいわば〈順不同〉に配列され、ヒロインたちが入れ替わり立ち代わり登場する、中心を欠いた映画的エッセーのように展開するわけだ。
視点人物が一人だった『肉屋』や『不貞の女』とは対照的な、いわば多焦点的な群像劇の作風である。
急いで付言すれば、そもそも、ささいな日常の断片を〈小さなドラマ/物語〉として切り取って、ルポルタージュ/ドキュメンタリー風に、あるいは〈身辺雑記〉風に描くことは、初期N・Vの顕著な特徴ーーイタリアの〈ネオレアリズモ〉経由のーーであった。
2 ジャーヌ、ジネット、リタ
ここで、序盤における、いわば人物紹介を兼ねたいくつかのシーンを、それらに表れたN・V的要素、およびシャブロル的モチーフに触れつつ、見てみたい。
まず、冒頭すぐの、歓楽街のストリップ小屋から出て来たふたりの中年男が、車のスピードを落とし、店が引けて夜の歩道を歩いているジャーヌとジャクリーヌに声をかけるシーン。
うぶなジャクリーヌは男たちの誘いに乗らないが、情熱的で好奇心旺盛なジャーヌはその後、ふたりの男を相手に一夜を過ごし、朝帰りする。(セックス描写は一切なし。)
そこでは、ジャーヌとジャクリーヌの性格が巧みに描き分けられると同時に、名手アンリ・ドゥカのカメラがとらえた、これぞ N・V!というべき、光と影のコントラストを効かせたパリの夜景が冴えわたる。
(アンリ・ドゥカは、シャブロル『いとこ同志』、トリュフォー『大人は判ってくれない』、メルヴィル『サムライ』などなどの撮影を手がけた。)
なおそのシーンでは、"バイクの男"ラピエール(マリオ・ダヴィッド)も街路の一角にちらりと姿を見せるが、彼も本作の重要人物の一人だ。
さて、このシーンののちーー映画開始から約20分後ーー、ようやくジネット/ステファーヌ・オードランが、さらに数分遅れてリタ/リュシル・サン=シモンが登場する。 (こうしたイレギュラーな人物登場法もすぐれてシャブロル的だが、それについては「下」で触れる。)
そして、ジネットとリタをめぐるユーモラスな場面にも、シャブロル的なモチーフが巧みに刻印されていて、舌を巻く。
前述のように、夜はアルバイトで歌手をしているジネットには、あるトラブルで劇場の歌手を辞めた過去があったが、彼女は再び劇場で歌うことを目指していた。
そんなジネットはある夜、仲間に知られぬようイタリア人歌手になりすまして(!)ミュージックホールに出演するが、舞台に現れた彼女の姿に一驚する。
ジネットは何と、黒い鬘(かつら)に大きなイヤリング、額にはオリエント風の飾りを付けて登場し、カンツォーネを歌うのだが、ここにはシャブロルの偏愛する〈変装/コスチューム・プレイ(衣装劇)〉のモチーフが顕著に表れていて、目を見張る。
(シャブロル的〈変装〉のモチーフは、『いとこ同志』(ジャン=クロード・ブリアリがナチス親衛隊将校の制服姿で登場!)、『肉屋』、『ジャガーの眼』、『殺意』(1967、ステファーヌ・オードランの変装が度肝を抜く怪作!)、さらにゼロ年代シャブロルの傑作、『石の微笑』などでも描かれる。)
そして、偶然にも客席にいたジャーヌ、ジャクリーヌ、リタが、くだんの歌手がジネットであることに気づき、熱唱する彼女にやんやの喝采を送るという、滑稽かつ情味のある展開となる。
(ステファーヌ・オードランは、「007」人気に便乗して撮られたシャブロルの低予算活劇、『虎は新鮮な肉を好む』(1964、必見!)でも、オペラ歌手に扮して劇場で歌う。)
リタが、婚約者アンリ(サッシャ・ブリケ)の両親と会うシーンでは、痛烈なブルジョワ風刺が、シャブロルならではの冴えを見せる。
アンリの父親は缶詰工場の社長で、息子ともども、鼻持ちならないブルジョワの俗物(スノッブ)として、とことん戯画的に描かれる。
アンリはリタに、教養を重んじるパパの前では絵画やクラシック音楽に興味のあるふりをしてくれ、パパは食通だからワインや料理に詳しいふりをしてくれ、などと言ったあげく、リタの父親が会社の主任だと嘘をついてくれ、と言ったりする始末だ。
曲者(くせもの)のシャブロルは、うわべだけを取りつくろうブルジョワの虚栄心、虚勢、気取り、卑しさを容赦なくコケにする一方で、婚約者の戯言(たわごと)を受け入れてしまう庶民階級のリターー"気のいい女"!ーーのナイーブ(素朴)さをも、シニカルに滑稽化しているわけだ。
また、ここでのシャブロルが、『不貞の女』のヒロイン/ブルジョワ女の優雅な背徳に向けた、あの愛憎こもごもの共犯者的視線とはまったく異なる嫌悪と軽蔑を、成り上がりブルジョワに向けていることは、言うまでもなかろう。(「下」に続く)
映画速報 シャブロル傑作選に駆けつけよう !|藤崎康
