発語のない5歳次男が『ででで!(見て!)』と言いながら電車を指差しした日
ー 発語のない発達障害のある次男が、初めて「見て!」を伝えた瞬間 ー
次男は、明瞭な発語がない。
でも、それよりも私が気にしていたのは、「指差し」がないことだった。
「見て!」「あれなに?」「欲しい!」
そんな、一番最初の、世界との接続コードのようなもの。
多くの子が1歳前後で自然にやっている“指差し”が、彼には全くなかった。
長男は、言葉は早くはなかったけれど、指差しはあった。
でも次男には、それがずっとなかった。
言葉もなく、指差しもない。
それが私の心を冷たく沈ませていた。
発達検査を受け、療育に通い、発達外来でも相談した。
ある日、思い切って先生に聞いた。
「この年齢まで言葉が出なかった場合、
今後も言葉が出ない可能性は高いのでしょうか?」
先生は正直に答えてくれた。「可能性はあります」と。
——この子は、もしかしたら、本当に言葉を持たないままかもしれない。
そう感じた私は、心の奥で静かに覚悟をし始めていた。
それでも、私の顔を必死で見つめる次男の顔を見ていると、「伝えたい」という思いがまったくないとは、どうしても思えなかった。
療育の先生は、
「我々は診断や判断はできませんが、お医者様のお話はあくまでも可能性の話です。我々は次男ちゃんの可能性を信じて、これからもできることを続けていきましょう」と言ってくれた。
去年の秋、次男、5歳半の頃。
次男はついに、「描く」という手段を見つけた。
風邪をひいて、幼稚園をお休みし始めて3日目。
微熱はあるが、随分回復して、退屈そう。
色鉛筆でぐるぐるとたくさんの丸を描く次男。
そうだ…大好きな恐竜が簡単に描けたら、彼も楽しい…?
最初は、私が一筆書きで描ける恐竜を何度も何度も描いて見せた。
次男は夢中で見ていた。
彼の手に鉛筆を持たせて、私の手を添えながら一緒に描いた。
何度も繰り返すうちに、彼は大好きな恐竜を描きたくて、夢中になって描くようになった。
最初はティラノサウルスだけだったが、モササウルス、ブラキオサウルスを提案。とても気に入り、描けるようになりたくて、何度も私に描かせて、自分で練習するようになった。そのうちに、少し複雑なトリケラトプス、アンキロサウルスもできるだけ工数が少なくて済むように工夫して描いてみると、また夢中で練習し始めた。
毎日ダイニングテーブルには数十枚の紙の山。
古生物学者の研究室かな…?
夕食前に大量の研究書類を片付けるのが日課になった。
(次男が怒ってセイウチ化)
恐竜と同じくらい大好きな電車や新幹線も描き始めた。
食べ物や人物、動物も描けるようになった。
幼稚園の先生たちもたくさん教えてくれて、
今では、描きたいものが載っている本と、紙とペンを、自分で持ってきて、「ででで!(描いて)」と訴えてくるようになった。
それと並行して、少しずつ、指差しも増えていった。
「あれ」「これ」「やって」を彼なりに発声する「ででで」語。
描いてほしいものが載っている本を彼が持ってくるので
「どれを描いて欲しいの?これ?これ?」と
私が指差ししながら尋ねているとするので、それを真似するようになった。
“伝える”という行為が、ゆっくり、日常の中に増えていった。
「ででで」が出るタイミングも少しずつ増え、
何かを指示することが目的だった指差しに、
「これ、ママも見て!」という“共感”を求めるような指差しが現れ始めた。
あ、この子は、“伝えたい”と思ってる。
そんな瞬間が、確かに見えるようになってきた。
そして、ある日。
自転車の後部座席に乗っていた次男が、
通り過ぎる電車を見て叫んだ。
「ででで!!」
その声と同時に、振り返ると、
しっかりと、電車を指差していた。
世界と“共有したい”という意志が、
その小さな指と大きな声に、ぎゅっと詰まっていた。
ああ、この子はちゃんと「見て!」と伝えたかったんだ。
「話す」ことはまだできなくても、「伝える」ことは、心の中にあったんだ。
言葉は、まだ彼のオリジナルの「ででで」語だし、たくさん出るわけじゃない。
こちらが促さないと出ないことも多いし、
結局なんでも「ででで!」で済ませようとすることもある。
(ASDあるあるなのか、”伝わるならこれでいいでしょ”という、やたら合理的なところがある)
それでも最近は、「やって!」「てーび!(テレビ)」と、
不明瞭ながらも言葉のようなものが漏れ出す瞬間が、確かに増えてきた。
その一言一言が、私にはとても大きく響く。
まだ“話せる”ではないけれど、“伝えたい”が、言葉の形を描き始めている。
5歳を超えて、私はどこかで次男の言葉を諦めかけていた。
でも、次男は、静かに、でも確かに、前に進んでいた。
絵を描くことで、指差すことで、
私に「これが好き」「これが欲しい」「これをママと一緒にやりたい」と教えてくれている。
まだ「ママ」と呼んでくれたことはない。
それでも私は、君の気持ちを前よりたくさん受け取れるようになったよ。
君が私を“ママ”と呼ぶ声を聞ける日を、私はいつまでもずっと待っているよ。
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