ノカナのジャック【本当の第1話】 − 156

 成り上がれジャック!
 ノカナ国のスラムから少年は旅立った。

 レドゥビアの城下町の外れにある、小さな店だ。  
 だけど、俺には最高の居場所だ。

「ジャック! 来ておくれ。」

 親父さんの声に、俺は元気良く返事をしてカウンターへ向かう。

 このままでも問題はないけれど、  取り付け具の交換と一緒に、磨きも入れていいかと衛士様に尋ねる。
 12バリイでピカピカにします、と言うと、  
「それっぽっちで磨いてくれるのか!?」  と、驚いた顔で衛士が親父さんを見る。

「馴染みのお客様に喜んで欲しくて、坊主を雇いました。」
 そう言って、親父さんは頭を下げた。
 イルおじさんと一緒だ。  
 親父さんは、分かっている。

 お客様の鎧を工房に並べ、早朝に泉で汲んできた水を、丁寧に塗る。
 別に、井戸の水でも変わりはないと思う。  
 だけど、お客様を尊敬する気持ちは、精霊に伝わる。
 職人は、お客様と精霊に嘘をつけない仕事だ。
 精霊は全てを見ている。
 小さなごまかしや、自分しか知らない嘘も伝わる。
 真心で働く、 
 ただ、それだけだ。

 泉の水を塗り終えたら、  工房に誰もいないかを確かめる。
 知られたら、殺される。  
 精霊と言葉を交わすのを見られたら、殺される。
 俺の父ちゃんと母ちゃんみたいに。

 祈る。

 生きていること。  
 パンを食べられたこと。  
 仕事があること。

 そして、精霊に願う。
 小さく。 
 もっと小さく
 激しく泡立て!
 水の精霊の、偉大さを示せ。

 あとは、一生懸命にボロ布で武具を磨く。  
 この仕事で、俺は雇ってもらえた。
 新品と変わらない。  
 ― 違う!
 新品より、キラキラにする。

 汚れを落とすだけじゃない。  
 何度も何度も武具を磨いたボロ布は、  最高の磨き道具に育つんだ。
 俺も、このボロ布みたいに、  最高の道具になる。

 そういう気持ちで磨く。
 気がつくと、  今日も空が白み始めていた。
 
  *    *    *

 夏になる頃、   
 俺は剣の仕上げを、手伝わせてもらえるようになった。
 レドゥビアの衛士の剣。  
 その夜は、剣を見つめたまま夜明けを迎えた。

 鋼の質だけじゃない。  
 研ぎ職人の魂が、伝わってきた。

 待った。  
 ひたすら与えられた仕事に打ち込みながら、待った。
 ある日、親父さんが言った。

「ジャック。  何か、知りたいことはあるか?」
 そうして俺は、
 研ぎ職人への奉公を、許された。

 店の仕事は武具屋の小僧だから、兵隊様や衛士様からの注文の聞き取りから始まる。  
 待っている間に靴を磨いたり、仕事の細かい希望を聞いたりする。

 だけど、俺にはそれが目的でもあった。
 気の利く、武具屋のガキ。  
 バカだと思われるくらいが、ちょうどいい。
 バカにされたり、笑われることは気にならない。  

 パンが食べられる。  
 仕事を教えてもらえる。
 レドゥビアは、ノカナでゴミを喰っていた俺を、人間として扱ってくれる。

 ある日、衛士様の靴を磨いていた時、その衛士様が、ぽつりと呟いた。

「クソ……衛士隊に間者が紛れてるなんて……」

 俺は、何の話か察しがついたが、  聞こえていない振りをした。
 店の常連客だ。  
 チャンスは一度しかない。  
 俺は、黙って靴磨きを続けた。

「間者を見破れたなら、  
 俺も立身出世できるのにな。」

 その言葉に、思わず顔を上げてしまった。
 衛士は、自分の独り言が  聞かれていたことに、気づいていない。

 ドクリ。  
 心臓が、震えた。
 で、でも
 今しかないと思った。

 父ちゃんや母ちゃんみたいに、殺されるかもしれない。
  でも、勝負しなければ、成り上がれない。

「衛士様。  
 ちょっとだけ、お手に触れても、  
 よろしゅうございますか?」
 声が、震えた。

 「あん?   構わないぜ。」
 衛士様は、そう言ってくれた。

 集中を高め、衛士様の手に、そっと触れさせてもらう。

 小さな囁き……
 大丈夫、今日も聞こえる…

 祭りの囃子か?
 ― いや、子守唄かな。
 優しい風景。  
 大切にされて育てられた思い出。

 それが、激しい怒りに変わり、涙と後悔の思いが続く。
 冬景色。  
 アルプス菊。  
 そのアルプスの尾根から、日が昇る ― 。

「坊主、どうした坊主っ!?」
  衛士様の声で、正気に戻った。  
 涙が出ている、泣いていた。

 衛士様に声をかけられた後も、涙は止まらなかった。
 仕方なく、泣いたまま言った。

「衛士様。  恐れ多いですが、東部ネビル辺りの、お生まれでしょうか?」

 しばらく、衛士様は黙っていたが、やがて、言った。

「オマエ…」

 その衛士は、また黙って、しばらく考えた後に意を決したかのように、小声で

「坊主。  俺と一緒に、成り上がりてえのか?」と聞いてきた。

 俺は、頷いた。

 

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