【あの日のタイ③】それからの1年間
前回のつづき
わたくしごとですが
タイ全土が悲しみに包まれる中わたしの頭を占めていたのは
決まったばかりの自分の結婚がキャンセル、または延期になるのではないか?ということだった。
「喪中だし、黒い服しか着れない結婚式は想像がつかないし」と多くの人が結婚を延期していたが、わたしは式なんてどうでもいいからとにかく入籍したかった。
なんかしらんが早く結婚したい、あのころそういう病にかかっていたのだ。
その殺気は夫にも伝わったのか、彼がキャンセルを提案してくることはなく、
11月あたまにバーンラック市役所で結婚の手続きが完了して私は大変満足した。
その日の役所では持ちよった服を無料でその場で黒く染めてくれるサービスが行われていた。記念に何か染めて貰いたかったが何も持っていなかったのがざんねん。

喪服にたいするノリの変化
始めの頃は黒or白が絶対だった喪服も、だんだんグレーもいいよね?ネイビーもいいよね?という感じで探り探り寒色系の中で自由度が高まっていった。

とくに喪章というものが免罪符としてかなりの効果を発揮し、微妙な色の服でもこれを左胸または左肩につけていればいい感じになっていった。

王宮前広場に集まる人々
2017年10月に行われた火葬式までの1年間、毎日たくさんの人がタイ全土から王宮前広場に弔問に訪れた。
地下鉄でお年寄りを含むグループをよく見るようになって、
駅の構内でへたりこんでいたりエスカレーターが怖くてなかなか乗れなかったりする彼らを見ていると、少しでも王様を近くに感じたくて遠くからがんばって来たんだなあと、いじらしかった。
ところでわたしはバンコクに住んでいながら一度も王宮前広場に行っておらず、
火葬のために1年かけて建設された金ピカの建物も、遠くからしか見ていない。
夫が行きたがらないのでやめておいたが、興味深々だったので少し後悔している。
無償ではたらく人たち
王宮前広場に行った人から、現地ではタダでいろんな食べ物がもらえるという話を聞いた。ボランティアの方が無償で色々くださるらしいのだ。
火葬の日は、いつも利用するバイクタクシーもお金を受け取らなかった。
ボランティアで弔問客をもてなしたり、普段の仕事を無償でやったり。それは王様にいいところを見せたい気持ちなのか、徳を積む的な意味なのか、遺族同士の思いやりなのか、よくわからない。
よくわからないけどエモかった。
1年喪服を着るのと同じくらい、日本では起こらなそうな現象だ。
火葬式
2017年の10月、盛大な火葬式が行われた。
過去にこのイベントを経験した人はいないのに、国の中枢ってちゃんとこういうことをオーガナイズできる人がいるんだなあ。というところがわたしが感動したポイントだった。

記念切手買った
こうしてみんなが喪に服した1年がおわった
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