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夜次元クジラは金魚鉢を飲む #34

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34. 夏祭りの答え合わせ


 ゴールデンウィークの海は普段よりもサーフボードを抱えた人の姿が多く、シンがいつもより遅めにCONAに着いたときには駐車場も海岸沿いの広場も満車で、溢れた車が連なって路上駐車していた。

 シンは海に入って何度か波をとらえたものの、サーファーの数の多さとなかなか形を成さない波のせいで、頭の中が波留でいっぱいだった。ボードにまたがったまま何度も砂浜を振り返り、その奥に見える、少し色褪せた中古住宅に目をやる。近くで波待ちしていた海斗も、シンと同じようにどこか落ち着かない様子だった。

「シン、俺先にあがってるわ。お前もそろそろあがれよ。どうせもうたいした波は来ないし、早めに飯食っとこうぜ。波留ちゃんが学校行くの、たぶんいつも通りの時間だろ。準備しとけば自転車の後ろに乗っけてってあげれる」

 シンは水平線をぐるりと見渡し、「俺も戻るよ」と沖に背を向けた。砂を踏みしめ歩いていると、道沿いに停めた車のそばに帰り支度をしている人の姿が見える。太陽は思ったよりも高い位置にあった。

「何時くらいかな」前を歩く海斗に聞いた。

「さあ、七時半くらいじゃないか?」

「海斗、波留がいつも何時に家出るか知ってる?」

「いや、俺の方が出るの早いから知らないけど、朝のホームルーム九時半だろ。歩きだったら九時前くらいじゃないかな。シン、波留ちゃんにMESSEメッセ入れとけよ」

「学校のアプリでならメール送れるけど、何かあったら先生に見られるらしいから使いたくない」

 海斗は呆れ顔でシンを見ると、「MESSE交換してないって、どれだけ奥手なんだよ」と肩をすくめた。

「仕方ないな。CONAの二階から見てれば出かけたの分かるから、それから追いかけても十分だろ。シンは今日波留ちゃんに会ったら最初にMESSE交換すること」

 波留が教えてくれればだけど、とシンがつぶやくと、海斗はニヤッと口の片側をあげる。

「俺は聞くぞ。金魚引き取るのにやりとりしなきゃいけないし」

「そんなの俺がいるだろ。森谷先生だって……」

 シンは昨夜見た夏祭りの夢を思い出して海斗の顔をうかがったが、海岸道路に目をやっていた海斗の表情が真顔に変わり、彼は突然「行くぞ」と駆け出した。

「何?」

「波留ちゃん」

「えっ?」

 海斗は「おーい」と手を振りながら砂浜から駆け出ると、左右を確認して道路を斜めに横切った。波留の青いリュックが見え、シンも慌てて海斗の後を追う。

 波留の家の庭には、昨夜シェ・マキムラの帰りに彼女が乗り込んだ黒い車が停まっていたが、一階のカーテンは閉じられたままで人が活動している気配は感じられなかった。波留は門から数メートル歩いたところで足を止め、二人が追いつくのを待っている。

「波留ちゃん、もう出るの? どこか寄り道してから行くとか?」

 追いついた海斗が聞くと、波留は「学校に行く」と切羽詰まった声を出した。

「まだ早いし、学校行っても開いてないんじゃないかな」

「そうかもしれないけど、出目金が死ぬ夢見たから気になって」

 波留の手がパーカーの胸元をギュっと握りしめた。シンの脳裏に昨日の夢が生々しく蘇り、シンが見たあの夢も、波留が見たという出目金の夢も、もしかしたら現実ではないかという気がしてくる。波留ちゃん、と海斗が諭すように口にした。

「俺らも飯食ったらすぐ出るから、自転車の後ろに乗って行ったらいいよ。うちの家で待っててもいいし」

 ううん、と波留は頑なに首を振った。

「手遅れになったら後悔するから。海斗だって金魚が死んだら嫌でしょ? それとも卒業したらそうでもなくなった?」

「そんなことない。でも、そう思われても仕方ないのかな。餌やってるのもシンや波留ちゃんで、俺じゃないし」

 海斗は波留の勢いにたじろいでいた。波留は責めるような目つきで海斗を見ると、「森谷先生のことは?」と言う。

「えっ?」

「海斗は森谷先生のことがもう好きじゃなくなった? 先生は、たぶん」

「ストップ、波留ちゃん。何のこと言ってるの?」

 やりとりを見守っていたシンの視界の端で、サッと何かが動いた。振り返ると閉じられていた一階のカーテンが開いており、波留の母親が窓辺に立っている。彼女は家の前に立つ三人に気づくと背を向けて姿を消し、数秒後に玄関から飛び出してきた。

「波留!」

 サンダルをペタペタ鳴らしながら駆け寄ってくる母親に、波留は「行ってきます」と大きな声で返して逃げるように駆け出す。数メートル行った先で振り返った彼女は「海斗、絶対来てよ!」と叫び、海斗は「おう」と答えたけれど、それが聞こえたのかも分からないくらいの速さで青いリュックは遠ざかっていった。

 波留の母親は門の前で呆然と立ち尽くしている。パジャマ姿で、ほつれた髪にはまだ櫛を通していないようだった。

「学校に行くって言ってました。俺らもあとで行くんで、何かあったら伝えますけど」

 海斗が話しかけると、母親は我に返ったように乱れた髪を手でなでつけ、「すいません」としおらしく頭を下げる。

「昨夜、ちょっと喧嘩してしまって」寂しげにつぶやくと、彼女はもう一度頭を下げて家の中へと戻っていった。

「……なんなんだよ」

 海斗はため息をひとつ吐くと、足早にCONAの前を通り過ぎて店の裏手に回り、家の玄関先でホースを手にとって水道をひねる。

「なあ、シン」

「何? うわっ!」

 海斗は指で潰したホースをシンに向け、サーフボードに当たって跳ねた飛沫がシンの体を濡らした。

「シン、もしかして波留ちゃんに言ったか?」

「何を?」

「だから、俺が森谷先生を好きだったってことだよ」

 海斗はキレ気味に言ったあと、ヤベッと自分の口を塞いで周囲をうかがった。誰にも聞かれていないことを確認し、ホッと肩の力を抜く。

「海斗、先生が好きだったの?」聞きながら、シンの頭には浴衣の森谷とその手を引く海斗の姿があった。

「シン、気づいてたわけじゃないのかよ。神社の夏祭りで先生といるとこ見られたから、てっきりバレたんだと思ったのに。墓穴掘った」

 心臓を鷲づかみにされた気がした。海斗はハァと気の抜けた声を出してしゃがみ込み、ホースを持った手でジャバジャバと自分の頭に水をかける。頭が冴えたのか、ふと何かに気づいたらしく「なあ」とシンを見上げた。

「夏祭りの日にさ、俺、シンにメールしたよな。内緒にしとけって。あのMESSEメッセ、一体なんだと思ってたんだ?」

「俺、去年は国府神社の夏祭り行ってないし、……メールもよく覚えてない」

「えっ? じゃあ、アレ人違いだったのか?」

 海斗はホースを放り出して頭をかきむしった。メールがあったことをシンは覚えていたけれど、忘れたことにした方がいい気がした。それよりも、シンの頭の中は別のことでいっぱいだった。

 もし自分の見た夢が現実に起こったことだとしたら。波留も、シンと一緒にあの夏祭りの光景を見たのだとしたら。

 もちろん、これまでの森谷や海斗とのやりとりから波留が二人の関係を勝手に推測したとも考えられる。けれど、自分の見たものと海斗の話すことがあまりにも重なりすぎていた。

「海斗、先にシャワー浴びていい? 波留のこと気になるし、朝メシもいらない」

「ちょっと、待てよ。シン!」

 海斗を置き去りにして、シンはガレージ奥の入り口から「おじゃまします」と声をかけて家の中に入った。

 もしあの夢が現実だったなら。そういう夢を波留が何度も見ているのだとしたら。クジラと一緒に幽霊みたいな体になって未来や過去を巡っているのだとしたら。波留が見たと言う、出目金が死ぬ夢も現実だという可能性がある。少なくとも、波留はそれを現実に起こることだと確信している。

「おっ、シン。メシ食ってくだろ。気が向いたら今日も手伝い頼むよ」

 台所からヒョイと顔を出した勇気は「そういえば学校行くんだったか」と大きなあくびをした。シンは勇気の前を駆け抜け、お風呂場のドアを開ける。

「勇さん、急ぐからご飯はいらない。お風呂借りるね」

「あいよ。やっぱり休みの日に好きな子に会えるのはうれしいか、シン」

「はあっ? 何言ってんの、勇さん」

「波留ちゃんに会いに学校行くんだろ。海斗に聞いたぞ」

「海斗も一緒に行くんだよ!」

 バタンと音をさせてドアを閉めると、勇気の笑い声に混じって海斗の声が聞こえてくる。浴室のドアを開けたままウェットスーツを脱いでいると、海斗が「俺も」と上半身をはだけた状態で入って来た。

 海斗の裸なんて見慣れているけれど、こうして間近で見ると改めて体格の違いを思い知らされる。シンよりもひと回り大きい肩幅に、十センチ以上違う背丈。大人の体つきをした海斗は、恋した女性も大人だった。シンには先生以上の存在にはなり得ない森谷が、海斗にとっては恋愛対象なのだ。

 シンはおざなりに体を洗ってバスルームを出た。

「シン、髪は乾かしとけ。ボサボサの頭で波留ちゃんに会いたくなかったらな」

「海斗も、バッチリ決めて後で来たっていいんだぞ。森谷先生いるんだから」

「うるせえよ」海斗はバスルームの内側からドアを閉めた。

「海斗、先生のこと今でも好きなの?」

 気になって聞いてみたものの、シャワーの音がするばかりで海斗の返事は返って来なかった。


次回/35.金魚の墓

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