ささやかな喜びをつぶれるほど抱きしめて
20代の頃、職場の先輩(40代)の人から「歳をとってくると楽しいことがだんだん減ってきて、楽しいことが一つあれば、嫌なことは四つくらいあるようになってくるものだ」というような話を聞いたことがある。
この話を聞いた私の若いころは、自由な時間が多かったし、まだ見ぬ希望がたくさんあり、毎日わりと刺激的だった。
だから、職場の先輩の言葉を聞いても、正直「そんなもんなのかな」と半信半疑に思っていた。
ただ、その言葉は妙に心に残っていて、なぜかずっと覚えていた。
そして、少しずつ歳をとってくるとその通りだったなと感じることが多くなってきた。
歳を取ると責任が多くなり、やりたくないけどやらなくていけないことが増える。
また、家族がいると圧倒的に自分が自由に使える時間が少なくなる。
さらに、経験が増えるのは良いことであるが、その経験ゆえに新鮮な刺激が減ってきて、昔は夢中になっていたことにもだんだん飽きてきてしまって、楽しみが減っている。
例えば、私は昔は行ったことがないラーメン屋を巡ったり、音楽フェスに行ったり、マラソン大会に出て、自己記録を更新したりすることに情熱を燃やしていた。
ただ、歳をとってきて自由に使える時間が少なくなったこと、趣味自体への新奇な発見が減り、だんだん情熱を傾けられなくなってきたことに気付いてきた。
そんな状況から純粋に楽しいと思うことが若い頃に比べて少なくなってきたように思っている。
若い頃に聞いた、先輩の話もわりと間違ってなかったのかなと思う日々である。
ただ、この歳になってもやっぱり楽しいことや嬉しいことはあるものだ。
歳をとってもつらいことばかりでは決してない。つらいことはもちろんあるが、喜びもある。
むしろつらいことが増えた分、ふとした喜びの価値が相対的に上がり、それを噛み締めることができるようになってきているのかなとも思う。
そんなことがこの前、noteであった。
羊と月さんが私の記事を紹介してくれたのだ。
こちらで私の息子(5歳)の顔のことについて書いた文章を取り上げてくださった。
羊と月さんの息子さんたちは、旦那さんの遺伝子が強く旦那さんの家系のお顔にそっくりなのだそうである。羊と月さんは私のDNAどこ?というように思われることがあるそうだ。
私も娘(7歳)は妻にそっくりで、妻の要素以外に何も見出せないという状況にあるのでとても共感できた。
娘と妻は似たような服装をしているので、遠くから近づいてくると視力が弱い私は判別できなくなってきているほどである。
一方で息子はわりとプレーンな顔をしていて、いろんな人に似ているように捉えられることが多い。
そんなことを書いてみたのだが、それを羊と月さんが面白いと思ってくださって、それを取り上げて文章を書いてくれた。
自分が書いたものを読んでくれただけでも嬉しいが、それを契機に羊と月さんが記事を書いてくれたということにとても喜びを感じた。
私は文章が書くのが好きなので自己満足的に、noteで記事をあげているのだが、それでもそれに対して反応があるということはなんとも言えず嬉しいことである。
自分では自己満足的といいつつ、こうしてネット上に文章をあげている以上、私は誰かに文章を読んでもらうこと、それに対し反応をいただくことを待っているのを期待しているという気持ちがあることをもちろん否定はできない。むしろ反応を大いに待っているのかもしれない。
そんな中で、記事を紹介していただくと、私の文章をしっかり読んでくださっている人がいると実感できる。ほんとうにありがたい。
毎日、楽しいことばかりではない人生にもこうした喜びがあると、大げさではあるかもしれないが、生きていて良かったなと感じることができる。
歳をとってくると、毎日それほど刺激がなく、繰り返していくような日々を送っているように感じてしまう。
それでもこのような嬉しい出来事があると、想像した以上に騒がしい未来が私たちを待っていると感じることができ、ささやかな喜びを抱きしめつつ、強く生きていこうと、草野正宗的なポジティブな気持ちになれるのである。
羊と月さんありがとうございました。
