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別れた恋人のことをボロクソに言う人の気持ちがわかってしまった話

あるいは、なぜ私は神仏よりも人間を信じているのか。

珍しく恋愛関係の話のようですが、まずは先日SNSに投稿した内容を2つ引用します。

友達から別れた恋人の写真は基本全消しすると聞いてヒョエ〜と思ったのですが、みなさんはどうしてますか? 私は相手に特に未練とかあるわけでなくても、そこまで深く関わった人間をなかったことにはできないな〜 小中の卒アルとかは断捨離時に余裕でさよならしてるけど…

@shiroibooks.jp - 2025年7月5日 8:57

みなさんの反応によると骨すら残さず焼き尽くしてやる派が圧倒的多数でした、一度交際まで進んでしまうと綺麗な思い出として生き続けるケースはめちゃくちゃ少ないのか…🫨️🫨️

@shiroibooks.jp - 2025年7月5日 15:37

……ということを書いたわずか数日後、我が身にめでたく✨㊗️お別れ案件🎉✨が発生したため、今回はそれに対するちょっとした所感になります。

(私ももう3X歳なので、いいかげん自分自身の話としては最後になってほしいと常々思っているのですが!)

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「別れた恋人のことをボロクソに言う」って、けっこう普通に目にする光景ですよね。友達の話としても、SNS上の投稿としても。

私は正直その感覚がよくわかってなかったんです。お別れを決めるということは「2人の関係としては」うまくいかなかったということですが、それが「片方がどうしようもないクズだったから」ということが本当にそんなに頻繁にあるものなのかな? そりゃもちろん、悪い人間も少なからず世の中にはいるけど、それにしても話の割合として高すぎやしないか? という感覚があったのですよね。

今回の件よりも「前」に限ると、私は人間的に尊敬できない相手と付き合ったことはないし、お別れのいざこざを経てその見解が変わってしまったということも一度もありません。元々、私はプリミティブな恋愛感情がほとんどない(あえてカテゴライズすれば性的マイノリティの1タイプに当てはまりそう)ということもあって、交際にまで発展するときは「(異性としてというより)人として相当な魅力を感じていた」というケースが多く、それもよい方向に働いていたような気がします。

お別れへと向かいつつあるときの会話、ついにはそれが確定したあとの会話というのは大変にしんどいものではあるのですが、お互いがお互いに対して「自分のこの点は悪かったと思う」ということを素直に言えなかったケースもなかったです。自分が謝ってるだけというのは、相手からすると「何わかった顔して綺麗に終わらせようとしてんだ」「謝ってるわりに何が悪いのかさっぱりわかってないだろお前」という感じで納得していない可能性が大いにあるので、この「お互いがお互いに」という点は大事ですね。(もっとも、この例もハナから謝る気がない輩よりはマシかもしれませんが……)

で、以上のような関係にまったく当てはまらない感じの交際からお別れまでを今回初めて経験して、私は単に3X歳の現在に至るまでめちゃくちゃラッキーだっただけなのか……という事実に気がつきました。

落胆や失望でお互いの心がひどく荒れていないはずがない状況下でも、相手のことを思いやった会話、人としての誠実さを失わない会話が成り立つ人物。きっとそれは、世間で「普通」として期待できるレベルの話では全然なかったのだ、ということです。

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男女のいざこざというのは、おそらく他の人から見ればどれもこれも似たようなもので、仮に1万字くらいかけて詳細に書いたところで同じように不毛だと思うので、今回の件そのものについては詳しくは書きません。書いても特に面白くないと思いますし。(タイトルでそういう話を期待した人がいたらごめんね〜!)(芸能人のゴシップが永久に不滅なわけだよ!)

今回少しばかり考え込むことになったのは、寛容さとか誠実さといった資質についてです。

私が最初に付き合ったある人は、他人のことを絶対に悪く言わない人物で、3年間も一緒にいたのに本当にただの一度もそういう発言を聞いたことはありませんでした。学校でも職場でもプライベートでも、生きていればいろいろと起こるもので、他人に嫌な思いをさせられるということが定期的に発生していないはずはないのですが、それでも決してそういうことは口にしませんでした。

別れるきっかけも、客観的に見れば明確に私のほうに非があったのですが、それに対する非難の言葉も一切ありませんでした。非難してくれればよかったのにと思います。当時はただただ私の混乱した会話に毎晩(ときには終電も過ぎた深夜まで)付き合い続けてくれていて、最後に私が「自分が非常によくないことをしたのだ」と気づくことができたのは、明らかにこの人が度を越して聖人みたいな人物だったおかげです。それゆえに、今の私は神様でも仏様でもなく、聖書でも仏典でもなく、生身の人間というものを信じるようになっています。この人と出会っていなかったら、私は今よりも相当に悪い人間になっていたことでしょう。

もう一人思い出す人がいて、その人は私よりかなり年下で、西洋哲学の話で盛り上がったのが仲良くなったきっかけです。真面目なわりに……というか、真面目だからこそ、この世のいいかげんな物事に対する徹底した反抗の熱意を持っていた人でした。

これは「曖昧で白黒つかない状況を許しておけない」ということでもあって、現実の社会や人間関係や恋愛関係というのはまさにそのようなものですから、この気質は私たち2人の関係に対しては悪い方向に働いていたように思います。偉そうな言葉を使えば、この点は若さゆえの青さや未熟さということになるのでしょう。当然、年長者でありながらこれにうまく対応できなかった私の側にも未熟さはありました。

彼女が最後に「自分は頑固で自己中なんだと思います」と謝ったときのことを強く覚えています。すれ違いが表面化し始めたときでさえ、この人は私に対して公平でない物言い、事実を都合よくねじ曲げるような発言は絶対にしなかったし、俗っぽい恋愛の話題として見れば「中学生じゃないんだからもっとうまいことやりなよ」と思われるような話であったとしても、私はそこに「大人としての器用な立ち回り」を無事に身につけてしまった人物にはとても理解できないような、尊い何かを見たような気がしています。

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今回の話はただの思い出語りのようなもので、特にオチはありません。いつもの記事みたいに生き方がどうとか、心理的な面での学びがどうとかいう話でもないです。全然話の方向性を決めずに書き始めました。

冒頭の「写真を抹消すべきか」に再び触れると、別れた別の異性のことなど忘れてほしいという気持ちは普通にわかりますし、少なくとも現在進行形の相手の目の届く範囲内では、そのような過去の存在は影すらも意識させないのがマナーだと感じます。この点は、純粋な「自分の中での過去の重み」とは別の話題になるのでしょう。

タイトルに掲げた「別れた相手をボロクソに言う」については、正直「クソどうでもいい話」に分類しておいてよいと思います。本当にどうでもいいことなので、いったん忘れてください。私も今回の相手に限っては「思い出すのも不快」という感じで写真もさっさと全消ししていますが、それもどうでもよいです。

そういうボロクソ的な感情に対して「気持ちがわかった」というのは、「そうではない関係の貴重さを改めて認識した」という意味です。もっと重要かつ真剣な、別の視点から話をまとめることにします。

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私が本当にしたいのは善の実在という話です。

私は過去に深く関わった人たちに対して、何か大変に尊いもの、善なるもの、嘘でないもの、私にはとてもたどり着くことができないような大きさの何かを見ていて、そうした人々との関わりは実際に私の人間性に多大な影響を与えましたし、もはや顔を合わせることはなく、あえて連絡するということは控えるようになった今でも、私にとっては「人として向かうべき場所」という形で何も変わらないまま存在しているように感じています。

過去の私がそうした人たちに救われてきたように、今度は私も別の相手に同じ大きさの何かを渡せるようにならなくては、と感じます。絶対にそうならなくてはダメで、そうでなければ私が何十年か生きてそのあと死んでゆくことには全然なんにも意味がなくなるような気すらしています。少なくとも、私の個人的な価値観の限りにおいてはそうなのです。

かつてのあの人や別のあの人くらいデカい善になりたい、というのが今の私の望みなのかもしれません。おそらくそれが、いくつかの別れを経たのちに私の中に存在するようになった「苦労してでもこの世で生きていくこと」の根本的な動機なのです。

とりあえず明日からまた頑張ろ〜っと、という感じの気持ちでいます。

(それはそれとして、本当にいいかげんハッピーエンドが訪れてくれ〜〜!!)(心の声)

関連書籍

人と深く関わるということの難しさについては、2025年内に新刊「人間関係が苦手でもなんとかやっていくための本」を刊行予定です。

疑いようのない友情や愛情といったものは本当に存在するのか……という点は、この春に出した既刊「人生の意味のつくり方」でも一つの章を割いて考えています。よかったらチェックしてみてくださいね。

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