「あなたより苦しい人もいる」から何だというのか
以前、インターネットの片隅に放流した投稿について。
社会不適合者を名乗るなら職なし恋人なし友達なし以外は認めないし、ズボラと言うのならシンクにきのこを生やした経験くらいは最低限持っていてほしい
原則として、人の苦しみを比較してはならない。
よく「世の中にはもっと苦しい人もいる」「あなたは恵まれてる」などと言いたがる人間がいる。もしその人が骨折して病院に搬送されるようなことがあったら、ぜひ「隣のベッドにはもっと派手に複雑骨折した人がいるぞ」と厳しい顔で言ってあげたい。
自分の身体が痛むとき、隣の人の感じている痛みの強さなどは何も関係ないのである。こういうことを言いたがる人って、根本的な部分では苦しみに対するリアリティを持っていなくて、たぶん本当の意味で苦悩したことが一度もないんだと思う。おめでとうございますという感じ。
「殴ったら痛い」ということは誰でも知っているはずなのに、人の苦しみをそうやって切り捨てたとき、相手がどれほど深く傷つくのかは知らないみたいだ。
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ただし、程度の問題というものはある。
たとえばの話、片方だけが悪いケンカというのはあまりなさそうだが、すべてのいざこざを「どっちもどっち」だけで片付けるというのもおかしい。どちらも極論の一種だ。世の中のほとんどの問題は0か100かではないし、そもそも数値化できないことのほうが多いけど、だからといって程度という視点を無視することはできない。
仮に「職なし、恋人なし、友達なし」という「0/3」の人と、 「職あり、恋人あり、友達あり」という「3/3」の人がいて、その人が生きる上での苦しみは同じだろうか。同じであるはずがない。断じて。これを同じと言ってしまえる人間はどうにかしてる。
ポイントは「3/3の人にもそれはそれで悩みや苦しみはある」という認識と、「それでも0/3の人の苦しみのほうがもっと深刻なのではないか」という認識を両立させるという点にある。
3/3の人を「まだ恵まれてる」といって否定してはならない。しかし、そこを「誰にだって悩みはある」という安易な言葉で終わらせてしまうのなら、それは0/3の人が抱える苦しみの深刻さを否定してしまうということになる。
人は極論や二項対立が大好きなので、ただそれだけのことを理解するということが、すごくすごく難しい。多くの人は、このような話を白か黒でしか認識できないし、もっと言えば、そのようにしか認識したがらないように見える。
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そんなに長い話でもなかったけど、改めてまとめるとこんな感じだ。
あなたが苦しいとき、あなたが苦しいということは事実であって、他の人がどれくらい苦しいのかといった論点は関係ない。そこをどうこう言ってくる人間は放っておきましょう
他人の苦しみを見て「まだ軽い」「恵まれてる」などと感じたとき、反射的にそう感じてしまうのは悪いことではないが、表に出すのはやめよう。一度それを口にしてしまったら、その人との関係性はおしまいになるし、あなたという人間に向けられる周囲からの視線は悪い方向に傾く。それを受け入れられないのは「人を殴ったらなぜか嫌われちゃった」と言うようなものである
まあ、全体としては「自分がされて嫌なことは、他の人にもしないようにしましょう」というだけの話である。
本当に、それだけできれば、私たちは仲良く穏やかにやっていけるはずなんだけど。
(essay 3 - 2024.7.17)
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