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君にも希望に満ちていた時期があったんじゃないか?

日々がひたすら忙しくて、つまらないな、人生ってこんなものなのかなと感じるとき、私たちはどうするべきなのでしょうか。


地下鉄の出口から光が見えていた

先日、アート系のワークショップで「絵を描く」ということの楽しさを思い出したという話を、「人はどうして、大人になると絵を描かなくなるのだろう (2023.12.9)」の記事で書きました。

ワークショップが終わって、暗くなった帰り道を歩いているとき、私の中では「画材を買ってきて、絵を描いてみようかな」という気持ちが既に固まりかけていました。私が普段から言っているのは「自分が本当にやりたいことをやろう」「人間は常に変わってこそ」「大人になってからのほうが、ずっと人生を楽しくできる」といったことで、これらについては「今すぐやれ」と繰り返していますから、自分がこうしなければ嘘というものです。

ワークショップからほんの数日後の日曜日、私は朝から少し遠くの駅に向かいました。普段はあまり使わない駅です。この近くに画材の専門店があることは、たまたま知っていました。開店時間にはまだ早いので、珍しくスタバに寄って、軽く朝食を食べて、本を読んでから画材店に行くことにしました。

偶然にも、ここは私が新卒で入社した会社の事務所があった場所です。久しぶりに見るこの地下鉄の駅の構内は、ちらほらと改装されたような様子が見られましたが、駅の構造というのはそうそう変わるものではありません。当時の通勤コースとまったく同じ経路をたどって、地上に出ました。

階段を上って、出口の向こうに見上げるような形で広い空とオフィスビルが広がっているのを見て、私はハタチそこそこの頃に、毎朝この景色を目にしていたんだなということを思い出しました。自分の力で生活費を稼げるようになって、一人暮らしを始めて、ようやく掴んだ生活の中で、将来の希望を何も疑っていなかった頃の私です。

みんな忙しくて、何もする気力がない

人はどうして希望を失ってしまうのかな、ということを考えています。

人には安定と確実さを求める気持ちがありますが、人を本当に楽しませてくれるのは、未知の可能性です。知らなかった外の世界、知らなかった自分自身の可能性、そうしたものに触れて、変化と不確実性の中で先に進んでいるときこそ、人は自分が生きているという実感を得ることができます。

若い頃というのは、すべてが新しい経験なので、何もかもが新鮮に感じられるものです。恋愛にも就職活動にも、強い不安というのはつきものですが、この原因はもちろん不確実性にあり、その裏側にはまだ見ぬ希望が存在しています。不安というのは、それが得られないかもしれないという恐れですから、不安の大きさは、そのまま得られるかもしれない希望の大きさを意味しています。成人と呼ばれる年齢に達して、働いて自分の力で生きていくという段階になると、人はこの素晴らしい未知の世界に、いよいよ本格的に飛び込んでいくことになります。

ところが、社会に出てみてびっくりするのが、大人というのはこんなにも多くのものを背負っているのかということです。やるべきことが、あまりにもたくさんあるのです。仕事の時間は立ったまま気絶しそうになるほど長いし、家に帰ればいろいろと面倒なことが待っています。大切な友達だって、放っておいたら疎遠になりますし、恋愛も結婚も容赦なくあなたのタイムリミットを意識させてきます。その上で、あなたはやりたいことと行きたい場所、読みたい本、見たい映画、そうしたものすべてを隙間にねじ込む必要があります。ほっとひと息つけるはずの休日ですら、私たちはそれを有意義にしなければならないという思いを抱えて、忙しくあちこちを駆け回っているのです。

何かをやるというのは、本来楽しいことであるはずです。しかし、たとえばあなたが焼肉が好きで、「焼肉と白米無限に食えるわ〜」などと言っていたとしても、実際に食える焼肉と白米の量というのには上限があります。それ以上食べろと言われてもおいしく食べることはできないし、無理にそのようなことを押しつけられれば、そのうち見るのも嫌になってきます。

大人は義務のフルコースを食わされています。新しいことをするような時間はないし、心身はいつも疲れ果てていて、そもそもそんなことをしたいと思う気持ちすらなくなってしまっています。我々には、死んだ目でスマホの画面をタップし続ける力しか残されていないのです。

人生がつまらないのは、その人のせいなのだろうか

自分の人生ってこんなものかな、という気持ちを抱くことは誰にでもあると思います。

大人になるというのは、現実の世界と折り合いをつけるということです。電気も水道も、コンビニもインターネットも、誰かの毎日の地道な仕事でできています。これらはすべて支払いが必要なことなので、当たり前のようにそれを使うなら、その対価を支払うために、あなたも社会の中で何か仕事を行わなければなりません。誰でも知っているように、これはとても、とても大変なことです。

また、大人になったら、24時間つきっきりであなたに関心を注いでくれる母親のような存在はいなくなります。この世界では、誰もが愛情と関心を求めているにも関わらず、それを他人に与える人は稀です。人がまだ見ぬ世界に向かって冒険しようと思えるのは、何かあれば守ってくれる人がいる、帰る場所があると知っているときです。自分は大切にされている、自分の存在を受け止めてくれる誰かがいるという実感がないとき、人はいじけてしまい、外の世界に踏み出すということをやめてしまいます。それで、何もいいことがない、自分の人生なんてこんなものなのだ、と思うことになります。

本当にこんなものなのでしょうか?

こんなものだとして、私たちは本当にそれでいいのでしょうか?

私たちには仕事が与えられています。職業のことではありません。それは生きるということそのものであり、その中で自分の生を肯定することです。フルマラソンを走ったり、険しい山に登ったりする人に、そういうことは何の意味もない徒労なのだと言うことは簡単です。結局、人が人生の中で行うことはすべて徒労と言うことができるし、それを説得力を持って否定するということは誰にもできません。

しかし、私たちは、それでも長い道のりを走り続ける人たちがいることを知っています。走り終えたあとの満足げな表情や、そこから発せられる、熱を持った言葉を知っています。こうしたことは、何かを行った人だけが得られるものです。何かをやった人だけが、それを知っています。それで、あなたはどうして何もしないでいるのでしょうか?

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