キラキラ駐在妻の親友と、“じゃないほう”の私
こんな一日を過ごしてしまった時、いつも思い浮かぶ友人がいる。
彼女は、私が渡米した年の初めに、数年間のアメリカ駐在帯同を終え、本帰国した元駐在妻だ。
20代前半で出会い、
海外も国内も一緒にたくさん旅行へ行った。
お互い結婚して子どもができてからは、旅行に行くことはなくなったが、
定期的に会いたくなる大好きな親友の一人だ。
駐在妻だった彼女は、アメリカでの暮らしをSNSに頻繁に投稿していた。
そのキラキラした生活を見るのが楽しみだった。
休みのたびにあちこち旅行に行き、
現地の多国籍な友人たちと交流し、
子どもたちの習い事にも熱心に参加していた。
大きなオーブンでパンやケーキを焼き、
支え合える日本人コミュニティも築いていたようだった。
教会で趣味の活動を披露したり、
子どもたちのために工夫を凝らしたバースデーパーティーも開催していた。
本帰国が決まった際には、現地の友人たちも含め、たくさんの人が送別会を開いてくれていた。
私の中で、駐在妻のあるべき姿は、
彼女となった。
本帰国後、まもなく二人でランチに行った時のこと。
とにかく常に動いていて、本当にソファに座る暇もなかったとか、
現地ママとのランチの際には、飛び交う英語についていくため、目をがんぎまらせながら参加してたとか、
彼女らしいエピソードをたくさん聞いた。
そして、
「アメリカでずっと動き続けてたから、帰国してアイデンティティロスになってるんだ」
とも言っていた。
本帰国後、彼女はあまりSNSに投稿をしなくなった。
実際に自分が駐在妻になった今。
ソファに座ったまま一日の大半を過ごす日がまぁまぁある。
ネイティブの友人はまだできる気がしないし、
バースデーパーティーにはまだ行ったこともない。
これといった趣味や特技もない私は、
彼女のようなキラキラ駐在妻ではなく、
今のところ明らかに“じゃないほう”の駐在妻だ。
自分がこっち側になってみて、
彼女の近くにいた“じゃないほう”の駐在妻たちはどんな気持ちだったのだろうか、と想像してしまう自分がいる。
最近、彼女と連絡を取ったとき、
最後にこんなメッセージをもらった。
「自分らしくね」
彼女は彼女。
私は私。
私なりの居場所を、ここで見つけていこうと思う。
